紙の本
人間そのものに接続
2017/06/04 07:32
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
インターネットの技術の中に慣れてしまうことで、ひとりひとりが思考を停止してしまう。そんなSFの世界に描かれていたことが、現実のものになってしまうのかもしれない。
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題名から、昨今のネット依存を単純に批判している著作かと思いきや、そうではなくて、インターネットへの接続が私たちの脳にどのような影響を及ぼすかということを解説した著作。
様々な研究成果が紹介されていて、たいへん説得力に富む。
訳もいい。難解な箇所も、スムーズに読み通すことができた。
オススメ!
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ネットに依存することにより、人は集中力が失われる。短期記憶をネットに委ねることにより、その短期記憶を基に生み出される長期記憶、つまり知力が失われる。長期記憶が失われることは、文化の喪失であり、人から人へと知が伝達されなくなることを意味する。本書はかなり読みにくいが、言わんとすることは貫徹している。カーの他の著作と比べても骨の折れる本だ。
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我が身を振り返り、共感、あるいはドキッとする点多数。
情報のoverdoseによる胸やけを感じる今日この頃。
それにしても、このタイトル、
考え直したほうがいい気がする。
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前著『クラウド化する世界』では、過去に米国で起きた電力産業黎明期の変化になぞらえて、クラウド化していくITインフラの社会的意義を論じたニコラス・カー。本著では、ネットの利用が我々自身に与えている影響について論じている。その名を広めた論文"IT Doesn't Matter"のタイトルからも分かる通り、ITを論じながらその利便性等を手放しで礼賛するのでなく、批判的に引き受けた上で巧みな筆致でその意義をわれわれに問うてくれる希有なライターだと改めて認識した。
"The Shallows - What the Internet Is Doing to Our Brain"が原題であるが、邦題の『ネット・バカ』はこのタイトルがよかったのかどうか疑問である。『ネット・バカ』ではあまりに軽すぎて内容を正しく伝えることができていない。
(...例えば前著にちなんで『浅薄化する私』とか。違うかな)
少なくとも単純に「バカ」になったというものではなく、考えの深化と集中力が引き返すことができないような形で損なわれていっているのではないかという警鐘が本著の主題である。
まずプロローグとして、1964年に書かれたマーシャル・マクルーハンの『メディア論』への言及から本書は始められている。「メディアはメッセージである」という余りにも有名な言葉を引いて、内容よりもメディア自体がより重要であり、結局のところメディアが我々の主人なのである、というところから始まる。
マクルーハンについてはその後本文中で何度も繰り返し言及されている。この本自体が、読まれるよりも語られる方が多いと著者もいう『メディア論』の、インターネットという新しいメディアの出現を踏まえた今日的注釈と言えるかもしれない。
著者もインターネットとともに過ごすうちに感じた、自らが変質しているという感覚を解釈することを通してマクルーハンを再発見したのではないだろうか。
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マクルーハンによると、「どの部分であれ、道具によって「増幅」された我々の身体部分は、最終的にはその道具によって「鈍く」される」。ITによって我々は後戻りができないやり方で作り変えられている。そのことに対して我々は、変わった後に初めてそのことに気づき、そして結果として受け入れるのだ。「ネットの便利さと引き換えに「直線的思考プロセス」を手放した」というのが著者の主張である。
この本書の主張を支える論拠のひとつが「脳の可塑性」に関する医学的見地である。脳内の神経の接続が外からの刺激によって物理的に変えられているということを丁寧に解説している。これがよって立つ重要な論拠であるからだ。
「神経可塑性に関する科学、および知的テクノロジーの進歩についてのわたしの理解が深まるにつれ、インターネットの重要性と影響力は、より大きな精神史のコンテクストの中でその意味を考えたとき、初めて理解できるのだということが明らかになってきた」(P.164)
この辺りの筆の進め方は説得力があり、ライターとしての力量を感じることができる。
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また本書では弱められつつある集中力/注意力/記憶力を必要とする「直接的思考プロセス」を代表するものとして、印刷された書籍の行方に��いてもひとつのテーマとして取上げている。電子書籍やGoogleの取組みなどに対して、単に「インクをピクセルにしたもの」ではないとし、「メディアの形式の変化が同時にメディアの内容の変化でもある」(p.146)という観点から考察を加えている。
「新しいメディアというものは決して古いメディアへの付加ではなく、古いメディアをそのまま放置するものでもない。古いメディアにとっての新しいかたち、新しい位置が見つかるまで、それらに圧力を加え続けるのだ。」とマクルーハンは『メディア論』で述べている。彼の所見はとりわけ今日にあっては、真実味をもって聞こえる」(p.129)
電子書籍についての本は色々と出版されているが、その視点は特別である。
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少し褒めすぎかもしれないが、自分が変質しているのではないかと漠然とした思いは個人的には共感できる。平たく言えば、仕事を進める上でメールとウェブを軸とするようになって、仕事のやり方が変わっただけではなく、自分自身の資質が変わってしまった、と感じる。
集中力がますます散漫になり、記憶力が弱くなり、ますますネットに頼るようになる。
(記憶力の低下が年のせいかと思っていたが、それはネットのせいだったのか...(笑))
そのことをよいことか悪いことかと問う前に、事実として意図しない変化がそこで起きているのだと言える。少なくともそのことについて著者は意識的であるべきだと言っているのだ。
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ニーチェを登場させ、最終章をハイデガーで締め、『2001年宇宙の旅』のHALを第一章に置いた上でエピローグに配置する点などサービス満点である。われわれの世代が慣れ親しんだ世界へのオマージュなのかもしれない。
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2010 11/8 流し読み・・・いや、ここは本書中での表現にそって言えば、「力任せに飛ばし読み(パワー・ブラウジング)」。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
みなさんレビューで指摘しているが、完全にタイトルで損している本。自分も(どこでだったかは忘れたが)中身のレビューを聞かなければ手に取らなかっただろう。インターネットにバカみたいにハマっている人についての本でもなく、ネットばかりやっているとバカになるぞというようなステレオタイプの批判でもなく、「メディアとしての」ネットやコンピュータ、ハイパーリンクメディア(コンテンツは問題ではない)が知的活動(思考、記憶、執筆等)にどのような影響を与えるか、という点について、豊富な事例や研究をひきながら考えていく本。
他のメディア(本、新聞、ラジオ、テレビ等)ではどうだったかもあわせて書かれているしマクルーハンもひかれているので、要はネットを中心に据えたメディア論の本である。
つまるところ、ネットが思考に影響する、それも深く思考にひたるのではなく注意力が散漫になる方向で、ということを事例・研究例を変えながら繰り返し述べているだけといえばだけなのだが、その事例や研究例がいちいち面白かったり興味深いので途中で手を止めずに読み切った。
ただし脳科学に関する部分は自分は門外漢であり、実際脳で何が起こっているかを研究する立場にもないので、判断は保留。図書館情報学に関わる部分はひかれている事例も扱いも適切であるように感じた。
本書そのものはもちろんのこと、本書をレビュー論文的に使って関連する研究事例をさらうのには良く使えそう。
ここに研究の種があるぞ、的な。
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「クラウド化する世界」でおなじみニコラス・G・カーによる一冊。ネットでの情報収集が、我々の脳にもたらす変化について、さまざまな視点から警鐘を鳴らしている。実はこの本、自分には文体が読みづらく、読了までに若干時間を要した。読んで読んでも文字面ばかりを追ってしまい、意味がなかなか頭に入ってこなかったのだ。そこに追い討ちをかけるように「なぜ、あなたが本を読めなくなっているのか」という内容が覆いかぶさり、非常に説得力のある(?)実体験であった。
◆本書において著者が鳴らしている警鐘
・長期的に見ればわれわれの思考や行動に影響を与えるのは、メディアの内容よりもむしろメディア自体である。
・ニーチェはタイプライターを使うようになってから、文体に変化があらわれた。その指摘に対するニーチェの回答「そのとおりです。執筆の道具はわれわれの思考に参加するのです。」
・与える刺激がつねに小さい、というまさにそのことが、読書を知的な報酬を与えるものとしているのだ。作動記憶から長期記憶へと情報を移し替え、スキーマ(複雑な概念)として組み上げる能力によって、知性の深さは決定する。認知的負荷が大きくなれば新しい情報をスキーマに翻訳できなくなり、理解は浅いものになる。
・非直線的な読み方、ブラウジングやスキャニング、スキミング等、マルチタスクに使われる神経回路が拡張したり強化されたりすれば、持続的集中をともなう深い読みや深い思考に使われる回路は、弱まったり侵食されたりする。
・われわれは「複雑な作業に最初から最後まで集中する」能力を失うかもしれないが、その埋め合わせとして新しいスキルを、たとえば「六種類のメディア上で同時に34個の会話を交わす」能力を手に入れるだろう。狂乱を、魂のなかへと迎え入れようとしているのだ。
考えてみれば、思い当たる節は多々ある。携帯を使用するようになってから、知人の電話番号は一つも思い出すことができないし、ノートとペンを前に文章を書くことは一切できなくなっているし、携帯の電波状況が悪く3時間以上Twitterにアクセスできないと、陸に打ち上げられた魚にでもなったかのような息苦しさをおぼえる。我が身を振り返っても、背筋がゾクっとするような警鐘の数々である。
古くはソクラテスの時代から情報伝達の変革を振り返り、また多くの実験結果の裏打ちによってもたらされた数々の理論は説得力があり、ネット上で目にするテキストとは迫力が違う。しかし、この本の一番恐ろしいところは、警鐘を鳴らしたまま、解決策を提示せずに終わってしまうところにもある。
本書内で結論は提示されていないが、ネット上のコンテンツを摂取する情報処理と、本を読む読書を、分けて考えれば良いのだと思う。バランスが悪くなっていれば、是正すれば良いだけのこと。しかも、我々は情報処理の道をひたすら邁進すること、読書の世界に引き戻ること、どちらを選択することもできる。それが、革命の最中に生きる者のみが享受できる最大の特典でもある。
息苦しく感じた時には、全てのデジタル機器をオフにし、ひたすら読書に励むひと時を過���すのも良いかもしれない。また、情報処理への姿勢は変えず、それを質で凌駕するような読書に励むことも解決策になるかもしれない。ただし、その場合の読書は、行動する読書でなくてはならないと思う。全く知らない領域の本に手を出して、新しい文脈を自分に形成するための読書。読んだ本を自分のスキーマに組み替えることを身体で感じながらの読書。本と本の関連付けを考えながら行う読書。方法はさまざまである。
「本は読んでも、読まれるな!」なのである。
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本書を読んだ後にWebブラウジングすると、いかに画面を読み飛ばして読んでいることがよくわかる。もうパソコンのモニタ上で長い文章を読むことが苦痛な脳になっていることに気付く。
そのことが「バカ」になっているとは言わないが、Web画面を読んでも深くは考えることはできなくなっているのは確かだ。
ネットの利便性と引換えに大切なものを失っていると思う。
この文章のようなこまめな改行もネットならではのもの。
Web画面で読まれることを意識した書き方になっている。
この様にネットで読む方も書く方も脳が変化してきているのだ。
■この本を知ったきっかけ
Amazonからのおすすめ
■読もうと思ったわけ
岡田斗司夫のTwitter公開読書で面白そうだったので。
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ネットに依存しているつもりはないが、思考パタンは明らかに影響を受けている。以降は本からの引用です//長期的に見ればわれわれの思考や行動に影響を与えるのは、メディアの内容よりもむしろメディア自体である。メディアは・・・思考のプロセスを形成してもいる・・・ネットは集中力と思考力をそぎ取っているかのよう。かつての直線的プロセス、断片化された短い情報を・・・分配しようという新たな種類の情報・・・速ければ速いほどよいのだ。考え=変えることのできる脳。可塑的変化は・・・必ずしも行動の改善につながるものではない。ネットとそれが取って変わったメディア…違い…ネットは双方向…。われわれひとりひとりを互いに結びつける…。反応と報酬を伝達する高速システム…陽性強化…もネットは提供する。長期記憶は…スキーマ体系てき図式をも保管。オンラインでは…単なる情報の解読者…気を散らされることなく深く読むとき…脳のなかでは豊かな結合が生じる…これを生みだす能力がオンラインでは大部分停止したままになる…。グーグル…インターネット…全てがメインビジネスの補完材。
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簡単なことをわざと難しく言ってるような気がする
気難しい雑誌に連載していたためか、それとも自分に酔ってるからなのか
いたずらに集中力を要求する本だとおもった
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電子書籍、web活用に興味関心ある人には、分野的には、人材育成、教育といった分野の人におすすめ。
ただし、タイトルがよくない『ネット・バカ』 原題を見ると『THE SHALLOWS』。
波乗りのときに使うシャローを意味する浅瀬になるんだと思う。
タイトルだけ見ると、インターネットを使うと、人は退化するとか、知的レベルが落ちるといったことに直結されてしまいそうだが、そんな内容ではない。
ネット、PCが、我々の脳にどのような影響を与えているのか、そして、もうこれは、元に戻る事はできない。だからどうしたらいいのかを考えさせられる一冊だった。
自分の体験に照らし合わせても納得する点が多く、自分の脳の動きが明らかに新たな流れを作り出したことを感じた。
久々に、集中して、付箋をたくさんつけながら読んだ一冊。
もう一度、じっくりと読んで、自分なりの考えをまとめていきたい。
ニコラス・G・カー blog http://www.roughtype.com/
ちゃんと読めるようになりたいな。
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またしても深い。ニコラス・G・カーらしい仕事。マスト。
幅広い知識に裏打ちされた刺激的なエピソードとフレーズのオンパレード。
ただ本当に、邦題がどうしようもない。これではほとんどの潜在的読者を刺激しないだろうし、間違った読者を呼び込む可能性が高い。ニコラス・G・カーの他の著作を気に入った読者は、きっと買うだろうけれど。
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「クラウド化する世界」以来の2冊目のニコラス・G・カー。この人の書くのはほんと面白い!大量の参考文献が巻末に記されていることからもわかるけど、内容がほんと特濃で読み応えありまくりまくりすてぃーなあぎれら(くどい)。
ただ、ひとつ苦言を呈するならば、この題名ですよね。
「ネット・バカ」
バカはおまえだよっていう。なんちゃらバカってもう流行らんでしょう。「バカの壁」もだいぶ前だし。
この題名のせいで、本の印象がだいぶ軽薄になっちゃいますよね。
原題は「The Shallows」ということで、shallowな題名にはたしかになっています。
もちろん内容は、ネットするやつはバカだみたいな浅いものでは決してなく、知的ツールの歴史からそれが社会に及ぼしてきた影響をたどり、脳の可塑性によってネットは私たちにどう影響するのかを広大な視点から書かれています。
以下章ごとに読書メモ。
一章
作者のネット遍歴と、これを書くにいたった契機。
二章
脳の可塑性について。
可塑的であるとは弾力性があるということではない。可塑性は「発達と学習のメカニズム」であるだけでなく「病理の原因」ともなりうる。(p55)
三章
テクノロジー決定論者と道具主義者
テクノロジーは単にそのものにとどまらず、社会に多大な影響を与えるもの。
「風車は封建領主のいる社会を与え、蒸気機関による製粉所は産業資本家のいる社会を与える」カール・マルクス(p72)
テクノロジーは外部からの補助というだけではなく、意識の内部からの変革でもあり、そのことが最も良く表れるのは言葉への影響においてである。(p78)
四章
言葉と本について
グーテンベルクの発明後。。。
五章・六章
ネットと従来の印刷物との関係、本
個人として啓蒙や娯楽を得るためというよりは、主に「所属感を得るために」人々がものを読む世界に合うよう、書き手は書くものを変えていくだろう。社会的関心が文学的関心を圧倒すれば、作家は文学的妙技や実験を控え、陳腐ではあるがすぐに理解できるスタイルを、優先せざるをえなくなると思われる。(p153)
七章
作動記憶が限界に達すると、重要な情報とそうでないもの、すなわちシグナルとノイズとを区別することがより困難になる。すると我々は何も考えずにデータを消費する存在となってしまう。(p177)
脳の可塑性からすれば、スキャニングやスキミング、マルチタスクなどのオンラインでの習慣で使われる神経回路が拡張したり強化されたりすれば、一方で、持続的集中をともなう深い読みや深い思考に使われる回路は、弱まったり浸食されたりするだろうと推測できる。(p198)
オンラインでマルチタスクを行うとき、我々は「クソに注意を払うように脳を鍛えているのだ」。(p199)
この章に関しては、自分の論をサポートする文献ばかり引っ張ってきている印象があるので完全に信用できる訳ではないけれど、実感として、タブをたくさんひらいてブラウジングしている時や、���イッターのタイムラインを眺めているときにクソに注意を払っているような気がする。そして、集中して本を読むということも以前より難しく感じることが多い。
これは気づけてよかった。
八章
グーグル批判
九章
短期記憶、長期記憶、人工的メモリーの違い
「コンピュータに記憶を預ける」、アウトソーシングするというのは、よくいわれる。しかしこれは記憶とその脳機構を知れば、成り立たないとわかる。コンピュータのメモリーはスタティックなビットの形であるが、生物学的メモリーは常に更新されている。
だからremember everything とか言ってEvernoteに自分の脳の外付けHDDができたみたいな感覚でいると、精神のなかで作られる接続の富、脳内のシナプスを失い、逆にクリエイティブな能力を失うということか。はいはい。
十章、エピローグ
コンピュータに頼って世界を理解するようになれば、われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまう。(p309)
とりあえず、これを読んで思い立ったことは、ツイッターやめようと思います(笑)。
あれこそ、完全に自分の作動記憶に負荷をかけ続けるものだし、注意散漫な脳になる元凶のようなものに思えてきました。
おもしろいツイートする人が何人かいるので、それが見れなくなるのは残念ですが。。。。
ま、やめると気分がすっきりするものです。
ではでは!
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インターネットが、私達の脳、思考に変化を及ぼしているという本。長い本が読めなくなったりするとか。ネットばかりしていると頭が悪くなるという本かと思ったのだが、そうではなかった。ソクラテスの時代から、ニューロンから、グーグルまで、様々な観点で、その変化を検証している。
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もしもPCを使わずにいたら、わたしは何をしてたでしょうか。平凡だけど手書きを愛し、普通の暮らししてたでしょうか。時の流れに身をまかせ、ネットの便利さに染められ、読書の時間、それさえ捨てることもかまわない。だからお願い壊れずにいてね。いまはあなたしか愛せない。テレサ・テンの替え歌をつくりたくなるような本でした。しかし、読書に集中できないとき、ネットに逃げてしまっていること、あるあると思いました。私は、静かな、深い思考が知らずのうちに苦手になっており、本を読んだ記憶は知識として呼び起こすことが出来ない人になりつつあると思われ、ぞっとしました。