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第1章 君、それ自分で確かめたか?
第2章 文章は誰が読んでもわかるように書く―記録と記憶の技術(1)
第3章 メモ/スケッチと写真を使い分ける―記録と記憶の技術(2)
第4章 情報は分類せずに配列せよ―記録と記憶の技術(3)
第5章 空想こそ学問の原点
第6章 学問とは最高の道楽である
第7章 知識人のマナー
第8章 できない人間ほど権威をかざす
第9章 生きることは挫折の連続である
エピローグ つねに未知なるものにあこがれてきた
論じられている内容も、高校時代に放校されかかった話(山岳部として年間100日も山に登っていた)や、時代の寵児としてテレビに出まくっていた頃のお話などさまざま。
ただ、当ブログの読者さん的には、第2~4章の「記録と記憶の技術(1)~(3)」あたりがツボかもしれません。
「写真よりも図を描く」という話のところでは、先生直筆のスケッチが掲載されているのですが、これがまたかなりお上手。
何でも絵は子供の頃から上手かったそうなので、まぁ絵心のない私が真に受けてもしょうがないかな、とか(今なら、デジタルで写真を撮ったものに、そのままメモ書きもできるでしょうし)。
それ以前に「メモは読めるように書く」というのが、当たり前とはいえ、改めてグサっと来ましたw
◆そして、名作『知的生産の技術』誕生のくだりも読みどころの1つ。
当時は「工業技術以外に技術があるとは誰も思っていなかった時代」というのは、言われてみれば、確かにそうなのかもしれません。
梅棹 とにかく、活字人間には、放送みたいな雑な仕事はたえられんな。(中略)
切ったり貼ったりの編集が、発言者の最終確認をとらないでやられてしまう。本だったら、最後の最後まで、ここ削ったり、ここは誤解を生むからちょっと足したりってできるけれど、テレビやラジオでは、それは発言者にはできない。だから責任が持てない。
小山 その発言も、梅棹さんなんかであれば、話すときには、ちゃんと予稿をつくって演説するでしょう?
梅棹 あれは思想の媒体ではないな。
梅棹 どこかでだれかが書いていたんだけど、「梅棹忠夫の言ってることは、単なる思いつきにすぎない」って。それはわたしに言わせたら「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとのまねということやないか」ということ。それを思いつきにすぎないとは、何事か。
1.文章は単文の連続で書く
小山 民博が始まった頃、若手を登用して新聞連載をしようとして、「途中で投げ出してしまった」と言ってたでしよ。何が悪かったんですか?
梅棹 みんな、むつかしい文章、書くからや。複文というのはわかりにくい。単文の連続で書かんと。
小山 だけど、むずかしい文章を書いたら、かっこいいじゃないですか(笑)。
梅棹 それがいかん。それが一番だめなこと。「かっこええ」と言うけれど、科学はかっこうではできない。われわれの仕事は芸術と基本的にちがう。芸術的にすぐれているフリをしたらいか��。そんなことは、われわれにとって、どうでもいいことや。
■2.メモは自分があとで見てわかるように書く
小山 梅棹さんのノートを見ると、きっちり楷書で書いてあるんですよね。(中略)
これもやっぱり科学的な秘密のひとつなんでしょうか。きっちりわかりやすく書く。くずし字しない。
梅棹 メモでもノートでも、あとから自分が見てわかるように書かなあかんわな。
■3.写真では細部の構造がわからないので図に描く
梅棹 そう。写真ではあかん。写真では細部の構造がわからへんのや。目で見て、構造をたしかめて、その構造を図に描くんやからね、ようわかる。
小山 目でたしかめていくわけですね。
梅棹 写生をするということは当然、そういう作業を伴う。写真ではそれがない。写真もたいへん有用、役に立つけれど、ちよっと絵とは機能がちがう。フィールド・ワークの補助手段としては、写真よりも絵のほうがずっといい。その場でシューッと線をひいて、欄外にメモが書きこめるから。
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(2010.10.30読了)(2010.10.28借入)
今西錦司さんが好きだったので、ニホンザル、チンパンジー、ゴリラの方に興味の主流があり、梅棹さんの文明論の方には、なかなか興味が行きませんでした。
それでも、大阪に勤務していたときは、万博公園へは歩いてゆける距離に住んでいたので、国立民族学博物館には何度か行き、会員になっていたのですが、あまり熱心ではありませんでした。
かろうじて、「文明の生態史観」「情報の文明学」などは読んでいますが、「知的生産の技術」などはまだ読んでいません。積読のどこかにはあるので、その内読んでみましょう。
梅棹忠夫さんは、2010年7月3日、90歳で亡くなりました。
この本は、2008年に米寿を祝う会を企画した際に、体調が悪くて出席できない場合を想定して、あらかじめインタビューをしておいて、出席できない場合に使おうということで、2008年2月から週一回、全体で15回にわたって聞き取った物ということです。
話題は、登山、探検、学術調査、民博創設、仲間たちとのエピソードのまで広がっています。(3頁)
この本は、実に親切な本で、しっかり読みとってほしい部分は、活字が大きくなっています。マーカーも鉛筆もいりません。おかげで全体の文字数は、少なくなって、どんどん読めてしまいます。
●自分で見たことしか信じない(18頁)
どんなに偉そうなことを言っていても、そんなもん、こっちは全部、既に本で読んでいるわけです。だから、所詮それは受け売りや。
自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える、これが大事や。他人の書いたものを信用していない。
●「風土」は間違いだらけ(26頁)
和辻さんという人は、大学者には違いない。ただ、『風土』は間違いだらけの本だと思う。
●中国を信用したらアカン(31頁)
中国というところは日本とは全然違う。「何と言うウソの社会だ」ということや。今でもその考えは変わらない。ウソというと聞こえが悪いけれど、要するに「表面の繕い」です。
●文章で大事なこと(45頁)
文章で一番大事なことは、わかるということ。自分でもわからないくせに、そのわからない言葉を使う。それは、飾ってるからや。
●ハードカバーが本(78頁)
日本の図書館学がいかんのです。形式主義で、ハードカバーしか本と認めない、そういう思想がある。たとえば新書みたいなものは、扱わなかった。文庫本もない。それから週刊雑誌、そんなものは一切なかった。
いわゆる展覧会の図録がない、写真集もいかん。
アメリカの図書館はペロッとした一枚の紙切れが残っている。(80頁)
●分類には意味がない(83頁)
分類には意味がない。分類はするな。
「分類するな、配列せよ」。機械的に配列や。大事なのは検索。
●放送おめかけ論(99頁)
情報というのは、作るもんやとおもっとらへん。勝手にあるもんやと思ってるのや。
●単なる思い付き(104頁)
私に言わせたら「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとのまねということやないか」ということ。
●研究経営論(111頁)
民博では梅棹さんに、「学問でさえ、経営なんだぞ、そう考えてやれ」って言われてきました。文部科学省や民間の研究助成、外国の奨学金などを取ってくることも含めて、学問は経営に他ならないと。
●博物館かくあるべし(113頁)
ふかい学識、ひろい教養、ゆたかな国際性、柔軟な実務感覚、ゆきとどいたサービス精神
●ローマ字論(138頁)
小山:ローマ字論の基本となっている考えは、伝達の簡便さと速さなんですか?
梅棹:簡単にいえば、合理主義です。その元には、漢字に対する反発があるな。インテリ道に対する反発というのか
●博士号(141頁)
「博士号は足の裏についた飯粒や」
「取らないと気持ち悪いし、取っても食えん」
●批判と非難(145頁)
批判されると、非難されたように思ってしまう。
●テレビ・ラジオ放送(158頁)
切ったり張ったりの編集が、発言者の最終確認を取らないでやられてしまう。本だったら、最後の最後まで、ここ削ったり、ここは誤解を生むからちょっと足したりってできるけれど、テレビやラジオでは、それは発言者にはできない。だから責任が持てない。
●三内丸山は都市文明(172頁)
三内丸山というのは、大発見やったんやな。あれは完全な都市文明です。整然たる街路と都市計画があるのやからね。
●丸山真男の話はつまらん(184頁)
丸山真男はものすごく陽気でいい人物だった。面白い人やったね。でも、話はつまらん。あんなものは、理論的にただマルクスを日本に適用しただけのことで、何の独創性もない。
●一差し舞える人物(213頁)
小山:「請われれば一差し舞える人物になれ」とよくおっしゃいますね。
梅棹:そうや、人には逃げてはならない状況がある。その時、ちゃんと舞って見せることが必要だ。責任を果たす覚悟と能力がいる。
☆梅棹忠夫の本(既読)
「大興安嶺探検」今西錦司編集、朝日文庫、1991.09.
「モゴール族探検記」梅棹忠夫著、岩波新書、1956.09.17
「人間にとって科学とはなにか」湯川秀樹・梅棹忠夫著、中公新書、1967.05.
「人類学のすすめ」梅棹忠夫編、筑摩書房、1974.04.10
「文明の生態史観」梅棹忠夫著、中公文庫、1974.09.10
「サバンナの記録」梅棹忠夫著、朝日選書、1976.01.20
「狩猟と遊牧の世界」梅棹忠夫著、講談社学術文庫、1976.06.30
「東南アジア紀行(上)」梅棹忠夫著、中公文庫、1979.06.10
「東南アジア紀行(下)」梅棹忠夫著、中公文庫、1979.06.10
「日本とは何か」梅棹忠夫著、NHKプックス、1986.05.20
「情報の文明学」梅棹忠夫著、中公叢書、1988.06.10
「日本語と事務革命」梅棹忠夫著、くもん出版、1988.06.20
「情報論ノート」梅棹忠夫著、中公叢書、1989.03.20
(2010年11月6日・記)
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2010年のベストかも知れない
1969の知的生産の技術
巨人がなくなった
この本は買わなくっちゃ
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2010byWhat?
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『梅棹忠夫に挑む』中央公論社(対談集)4
『人生読本 文章』1978 河出書房新社 47
『分類の発想』中尾佐助 ⇒ 『知的生産の技術』=整理 84
宇宙線は万人にひらめきを降り注ぐ 107
やんちゃがない・・・ 144
『文明の生態史観』 160
『日本文明77の鍵』 170
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自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える・・・ 19, 31
文章:複文を使わない 44
絵、図示 60
空想、想像力、imagination 103
ふかい学識、ひろい教養、ゆたかな国際性、柔軟な実務感覚、ゆきとどいたサービス精神 113
学問は、学ぶ、まねぶやで。まねして、まねして 115
知ることの楽しみが『学問』 124
130, 136, 145, 183, 201, 209, 212,
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第一章 君、それ自分で確かめたか?
第二章 文章は誰が読んでもわかるように書く−−記録と記憶の技術(1)
第三章 メモ/スケッチと写真を使い分ける−−記録と記憶の技術(2)
第四章 情報は分類せずに配列せよ−−記録と記憶の技術(3)
第五章 空想こそ学問の原点
第六章 学問とは最高の道楽である
第七章 知識人のマナー
第八章 できない人間ほど権威をかざす
第九章 生きることは挫折の連続である
エピローグ
あとがき
梅棹忠夫略年譜
空想、妄想でもいいから、やっぱり自分の頭で考えないといけない。多読することで知識をつけようとしているが、それだけでは人の考えをなぞっているだけか。おっしゃる通りである。あくまで自分の考えが主で読書が従。知識を得て自分のものにし、発展させよう。
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亡くなられたのはたしか今年の7月だったでしょうか。
この本を読んでも感じますが、梅棹先生はなんか飛び抜けてますね、考え方とか発想が。
「知的生産の技術」をもう一回読もうっと。
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自分で見たもの以外は信用できない。
文章で一番大事なのは分かるということ、一番いかんのは美的にかざること。
役に立つものはどんどん使え。
分類するな、配列せよ、検索が大事。
おもいつきこそ独創。おもいつきとはひらめき。
なぜ自分のオリジナルの観察を大事にしないのか。自分の経験を客観的に記述する。
困難は克服されるためにある。人生は決断の連続。決断して実行する。
リーダーは押されてなるもの。請われれば一差し舞える人物になれ。責任を果たす覚悟と能力を持つということ。
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知の巨人、梅棹忠夫、大いに語る。 追悼であります、梅棹ワールドの入門書としては最適ではないでしょうか。
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梅棹の人柄もよく出ていて面白い。情報は分類せずに配列せよ、は名言だと思う。その通り。自分でその情報を使う限りは。
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対話形式なのでモロに梅棹氏の価値観が分かる。
この人はぶっとんでるなぁと思った(笑)
ただ、意外と地に足のついたスタイル、というか自分の見たことを非常に大事にする人。彼自身がものすごい行動的で、数々の功績も全てその飽くなき好奇心と洞察力、情報収集力があってこそなのだと分かった。理論偏重の頭でっかちの自分にとっては、眩しすぎる光。今後影響を受けるであろう人。去年亡くなられたのが本当に惜しいが、彼の生き方を体現したような膨大な著書は、これからも折に触れて読んでいきたい。
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晩年の梅棹さんから、もと民博の教授で、現吹田市立博物館長の小山修三さんが、他分野にわたって聞き出した記録。実は、梅棹さんはこの本の出版前に亡くなっている。ぼくは、梅棹さんの著作集まで持っているから、それなりにファンである。ここには梅棹さんの行き方、哲学のエッセンスが詰まっていると感じた。梅棹語録はどこも面白く含蓄があるが、たとえば梅棹さんは自らも早くに博士号を取っているが、かつては文化系では博士号はなかなかとれなかったし、大学も出さなかった。梅棹さんは博士号は「運転免許」とか「足の裏についた飯粒」と言う。「運転免許」はわかりやすい。まさに現在の博士号はそうである。博士号を取らなかった人が博士号の審査をすると、とてつもなく厳しくなる。これは悪弊だ。「運転免許」と思えばなんのことはない。「飯粒」のこころは?―「取らな気持ち悪いし、取っても食えん」。これも名言である。梅棹さんはラジオ、テレビというメディアに何度も出演したが、「テレビに出たら、花形になったような気になる」ことを警戒した。小山さんが言う「あれは一種の密の味」も同感だ。「テレビは思想の媒体ではない」というのも味わい深い。場合によっては、発言者の意図と違う編集がされてしまうからだ。自戒しよう。梅棹さんは、若い頃は相手に逃げるすきのない批判をしたらしい。それをたしなめたのはフランス文学の桑原武夫である。「論争は大いにけっこう。でも、自分が優勢なときほど相手に退路をつくっておいてやったほうがええなあ。そうしないと恨みがのこり、闇討ちにあうかもしれんな」と。梅棹さんは権威に挑戦した人である。しかし、自分が権威になったことはあまり自覚していなかったのではないだろうか。
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この方の生き方は実に清々しいと思います。ご自身の軸を持ち、あくまでも実証を旨とするその考えと行動~年を重ねて高みから、物申される人が多い中、説得力のある短文が印象的です。
やってきた人の凄みなのでしょうか…
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梅棹忠夫先生の最晩年の対談集.無茶苦茶なことを言うお祖父さんの話が,なぜかすんなり頭に入ってくることがある.まさにそんな感じの読後感.好き嫌いがハッキリするかもしれない.
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梅棹先生が亡くなる直前の最後の聞き書き.梅棹先生に話を聞いた小山先生との掛け合いが漫才のようで笑わせてくれるところも多いが内容は深い.キーワードだけで両先生が納得して次に進んでいるところもたくさんあるので,そこをきちんと理解しようとするとキーワードや参考文献をもとに原著にあたる必要がある.梅棹先生の膨大な著作集という広大な森にどこから分け入るのが面白そうか,さまざまな入り口を提示してくれる一冊.
つねに未知なるものにあこがれ新しいことを知って「なるほど」と知的興奮を経験することが学問のたのしみであるとか,これから大学で研究をしようとする学生さんぐらいが読むと元気が出る話も多い.「梅棹の言うことは単なる思いつきにすぎないと言われる.わたしに言わせたら,思いつきこそ独創や.思いつきがないものは,要するに本の引用,ひとのまねということやないか」「請われれば一差し舞える人物になれ」「博士号は足の裏についた飯粒や.取らな気持ち悪いし,取っても食えん」「最近は打たれ弱い.みんな,批判されるのを嫌がる.批判されると,非難されたように思ってしまう」などなどきっと学生さんには響くところがあるはず.
また民博をつくるとき梅棹先生は,一人ひとりの論文を読んで,学会に行って発表を聞いて,これはいいだろうと思う人材を採用したという.それで「諸君を選んだのは僕や.自由にやりたい仕事をやれ.研究者は一年中いつも研究者や.休みを取ることなんか考えるな.税金を使う国家公務員である自覚を持て」と訓辞を受けたら背筋が伸びるとともに奮い立つに違いない.
私にとっては「写真では細部の構造がわからない.目で見てたしかめて図に描く.急ぐときとおおまかな印象をつかむのは写真.細部を見るのはスケッチ」「写真は撮ってきた順番に並べる,記録だから分類はしない.自分の記憶ノートと同じ」「分類するな,配列せよ.そして検索が大事」といったあたりが響いてくる.そう思って自分が撮った写真を見直してみるとそう感じるものがかなりある.きちんと構造を把握して撮った一連の写真とそうでないものは明らかに情報量が違う.
そのほか,
「学問は経営,「研究経営論」や」
「情報産業論の議論はしてくれても,みんな情報論だったな.そんなん,つまらん.わたしが言ってたのは産業論なんです.それなのになんで,あんなふうになるのかな.それくらい情報というものに,みんな興味があるということなのかな.結局,ひとつは,その前にあったコミュニケーション論にひきずられてるんだと思う.これは工業時代に対する情報産業,産業時代論であって,わたしが言っているのは文明論だった.だから,情報論とちがうんですよ.文明論というのは現象論です.文明というのは,人間がつくり出した環境,人工的環境のすべてなんです」
「フォロワーシップを経験して,はじめていいリーダーになれる.フォロワーシップとは盲従ではない.自分の意志や判断は持つけれども,隊長にはしたがう.わたしたちは今西さんに育成されたのではなく,推戴したのや.弟子ではなく契約,ゲマインシャフトではなくゲゼルシャフト集団です」
「できない人間ほど権威をかざす.権威でのぞんでくるのが一番嫌いや」
など,現役の研究者でも自分の姿勢を顧みるきっかけになる言葉がきっとある.
最後は,
「当初は,いわゆる図書館で扱えるものは梅棹文庫ということで,どんどん機械的に入れていった.それから映像記録とかを入れ,最後にはファイル類,フィールド・ノート,地図,その他業績,すべてをいずれ館が管理するということで,梅棹アーカイブズというかたちになるよう了解はとってあります」
という言葉.梅棹先生が残したものはすべてアーカイブとなる.その了承を梅棹先生自身が民博から取りつけてあるのだ.その公開を待ちたい.できればアーカイブ構築の一助となりたい.
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語られている内容については、よく理解出来る。しかし、実際に自分で実践するとなると、こうは出来ないなと感じた。
自分の足で歩いて確かめ、自分の目で見て観察し、自分の頭で考える。
確かに、このスタンスは重要だ。頭で学問しても仕方ない。共感出来るが、そう言わせるだけのバックボーンを備えられていない自分には、こんなにだいそれた事は言えない。これだけの事を言うには、やはりそれなりの知識が必要なのではないだろうか。