紙の本
実際に検証してみることの大切さを再認識。
2011/05/31 16:33
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第一章のタイトル「言語は世界を切り分ける」は常々なにかを考えるときに感じていたことである。第二章タイトル「言語が異なれば、認識も異なるか」も、そこから派生する疑問としてこれも常々もっていた疑問である。そんなわけなので、身近にあったこれらを著者はどう扱ってくれるのかととても期待して読んだ。
著者は心理学系の研究者。発達心理学も含めた心理学の実験でこれらの疑問を検証していく。あいまいなまま通っていることでもきちんと時間をかけて実証することの大事さを実感した、なかなか誠実な書き方の一冊であった。「異なる」と結論されるものの基礎に存在する普遍性を探る試みも行っていて先の広がりも感じられる。
概念的に「きっとそうだろう」と思っていることを、心理学者はどんな実験をして証明しようとするのか。過程も詳しく書かれていてなかなか面白かった。なるほど、と思う実験もある。やっぱりね、という結果もある。結局はよくわからないのだろう、という部分もある。
終章「言語と思考 その関わり方の解明へ」では「異なる言語どうしでも分かり合えるのか」ということが議論される。「異なる」ものの基礎にも普遍性があると考える著者は「言語の普遍性を探る」という一章(第三章)をたててまず議論しているのだが、結論は「違いはあっても理解は可能である」に向かう。大事なことは「ちがい、ずれ、多様性の存在を意識すること」。終章でのこの言葉は、しっかりした実験検討の結果が、ある程度想像できる「あたりまえ」のところに落ちた、というところである。
しかし、思い込みや自分の身近なところにだけ通用する「あたりまえ」があまりにも多いのが現実の世の中である。しっかりした結果の裏打ちを受けたことで、なにか「あたりまえ」の深みが増したように感じた。
「なんとなく」の知識や情報が、かえって不安を駆り立てたりおかしな行動を引き起こしたりする。昨今それを身にしみて感じさせることが多かっただけに、本書のような「きっとそうなるだろう」ことでも実際に確認することの大切さを改めて感じた次第である。
このようにして、面倒でもひとつひとつ「確認」をつみあげることで、「通じない」ことも少しずつ「通じる」に近づけていくことができるかもしれない。
言語学を紹介する新書としても素晴らしいが、いろいろな考えを広げてくれるという意味でも高い評価をしたい一冊であった。
紙の本
言語学の書に定評のある岩波新書の中でも出色の一冊
2011/04/01 22:05
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
<異なる言語の話者の間では世界の認識の仕方も異なる>という「ウォーフの仮説」が果たして正しいのか否かについて、興味深い実験の数々によって検証された研究成果を紹介する書です。
抜群に面白い一冊です。岩波新書は限られた紙数で言語学を取り上げるのが実にうまい、というのが私の過去30年近い経験知ですが、この本はその私の見方を全く裏切らない、知的好奇心を十二分に満たしてくれる書です。
前・後・左・右という言葉で相対的に位置関係を把握する言語話者(日本語話者や英語話者など)と、東・西・南・北という言葉で絶対的枠組みで空間を把握する言語話者(メキシコ先住民のトトナック族など)とでは、位置関係の把握がやはり異なることを検証する実験。
幼児が一定の年齢に達して母語を獲得し始めると同時にその母語に大きく影響された形でしか対象に興味を示さなくなることを示す実験。
こうした実験のひとつひとつによって、人間は何を「同じ」と考え、何を「異なる」とみなすのか、それが話者の言語によって大きく左右される様子が紹介されていきます。
このようにして、「ウォーフの仮説」が一定程度正しいということを著者は示していきます。しかしそのとき読者の胸中には、にわかに絶望的な疑問が湧いてくることでしょう。
世界の見方が異なる外国語の話者とわれわれとでは、結局のところ相互理解を望むことはできないのか、と。
著者はそうは考えません。
「外国語に習熟することは、別の意味で、認識を変えるといってよい。(中略)外国語を勉強し、習熟すると、自分たちが当たり前だと思っていた世界の切り分けが、実は当たり前ではなく、まったく別の分け方もできるのだ、ということがわかってくる。この「気づき」は、それ自体が思考の変容といってよい。」(222~223頁)
言語をみつめることで世界に対する視野がどんどん拡大していく。「気づき」という言葉を「悟り」と置き換えても良いような気がします。そしてこの「悟り」に達したとき、私たちは何倍も幸せに生きられる。
そんな高揚した気分にさせてくれる本です。
紙の本
まさに新書
2011/01/01 11:49
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まるきんくらぶ - この投稿者のレビュー一覧を見る
違う言語を使っている人どうしでは、見えているものは異なっているのか、という問いはとても興味深い。その問いに対して、特別に知識を持っていない人にでも読めるように書かれた文章で、まさに新書らしい新書と言えると思う。しかも、その問いへのアプローチは、今現在の実験結果をとりいれて書かれているため、とても刺激的であるし、説得力がある。この本を読んでいる時間はとても楽しかった。
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言葉が違えば思考は違うのか。認知科学的な側面から、人はどのようにして言葉を獲得し、思考を獲得するのか。
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作者もご承知の通り、読破するにはつらいものがありました。
何を結論に持ってこようとされているのかわからない。
・・・でも、そういうアプローチだったのですね。
読み切らないと理解できない本です。
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中国語や英語では、時計は“鐘”clock“表”watch、カギも“yaoshi”keyと“鎖”lockに分けられる。こんなふうに、言語によって、世界がいろんなふうに切り分けられていることは、鈴木孝夫さんの『ことばと文化』『日本語と外国語』(岩波新書)等によって、日本でもよく知られるようになった。しかし、ことばの分化が認識に影響するかどうかは、サピア・ウオーフの仮説をどう評価するかにもかかわる古くて新しい問題だ。色の種類を二つしかもたない民族でも、色の識別はできるということがわかって、認識はことばに関係ない、ということも言われるようになった。たしかに、人間の認識というものは基本的なところでは、驚くほど一致する。しかし、ことばが認識に影響を与えることはないのだろうか。本書は、著者がそのような問題意識にたち、実験心理学の成果をふまえ、人間の認識の普遍性と、ことばが認識に影響を与える事例を興味深く提示する。普遍性にかかわるものを一つあげれば、英語や他の言語では「歩く」や「走る」を表す動詞がたくさん存在するが、「歩く」と「走る」の間は、多くの言語ではっきり分かれるとか、色の認識は確かにその核となる部分では一致するが、周辺部の色名が変わる部分ではことばに左右されることがあることをロシア語の例を引いて述べている。日本語と中国語はともに助数詞をもっているが、中国人が「椅子、傘、包丁」を共通のものとしてくくろうとする傾向は、同じ助数詞(“把”)を使っていることから来ている、などの指摘はとても興味深い。(ぼくも「言語文化論」の授業で実験してみたが、その通りだった)バイリンガルの思考と言語がどうかかわっているかの記述も興味深いが、それは本書を手にとって読んでほしい。もっとも、今井さんの関心は、認識が先か言語が先かということではなく、わたしたち人間の認識と思考に言語がどれほどかかわっているかを明らかにすることだという。熟読玩味に値する、深い本である。
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大当たり!すごい面白かった。言語による認識、思考の違いについて。例、実験が豊富。多言語習得したくなる。あと赤ちゃんの認識している世界って、どんななんだろう。
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期待外れというか…
もっと斬新なことが書いてあるかと思ったので、残念。
実験による検証は面白いと思ったけどね。
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序章 ことばから見る世界-言語と思考
第1章 言語は世界を切り分ける-その多様性
第2章 言語が異なれば、認識も異なるか
第3章 言語の普遍性を探る
第4章 子どもの思考はどう発達するか-ことばを学ぶなかで
第5章 ことばは認識にどう影響するか
終章 言語と思考-その関わり方の解明へ
「言語が思考をつくる、従って、言語における世界の分類が異なれば必然的に時には理解不能なまでに、思考も異なる」としたベンジャミン・リー・ウォーフの主張を様々な事例を挙げて考察する本。
東西南北等の絶対位置のことばのみで前後左右等の相対位置のことばをもたない言語があるのに驚いたが、その言語を使う人たちの方位に関する感覚がきわめて優れていたことに驚いた。我々は多様な言語体系の中でモノの可算性、性、動物性や形や機能等で名詞を分類している。幼児は言語の獲得にあたり使用される言語に応じてどの情報を注目すべきかという取捨選択を自然に行っている。
バイリンガルの思考は得意な言語の思考にひきづられ、新たな特別な思考がある訳ではない。全ての人にいえることは外国語を学ぶことにより、自分の言語でかかっているバイアスがどのようなものかが分かるようになることである。
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言語(母国語)は思考に影響を与えるのか?
異なる母国語を持つ人同士は根本的にはわかりあえないのか?
…結論から言えば、そうともいえるしそうではないとも言える…んだけども、
例えば「左右前後」という相対的に位置を表す言語を話す人と
「東西南北」の絶対的に位置を表す言語を話す人とでは
方向感覚に明らかな差があった、など、興味深い調査結果がいろいろありました。
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実験結果から結論への結びつきが短絡すぎる感があって、つっこみたくはなるが、
実際にはもっと複雑な実験を重ねているのだろうし、
「そうだ」「ようだ」といった表現で断言を避けているのは誠実。
その分、最後の方で言われているように、白黒ハッキリしない部分が多く、
すっきりしない読者も多いと思う。
要するに、この分野はまだまだこれからだということ、
言語と思考との関係は一言でいいきれるほど単純ではないということ、
そういうことを、専門外の人もわかってもらえる本かと。
あと、外国語学習の意味づけにも使える。
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認知心理学の観点で、言葉が人間の思考に与えている影響について語っています。かなり研究色が強く、実験結果の紹介が多いので、一般の人にとっては読み物として読みづらいかもしれません。
本書で書かれているのは、おおよそ以下のような内容です。
・文化によって物事の認識の仕方(何をどう区分けするか?)の傾向に違いがあり、その違いは言語によって表現される。
(例)エスキモーの言葉には、雪の表現がいろいろあるとか。
・赤ちゃんが言語を獲得していく中で、母国語に依存して、物事を識別する能力が成長する。
(例)エスキモーは、日本人より異なる種類の雪を識別できる。
・ただし、すべての思考が言語で規定されるわけではない。当たり前だけど。
多種多様なプログラミング言語を操るソフトウェアエンジニアは、感覚的に上記のことは理解できるんじゃないかと思いました。
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言葉が思考に影響を与える事もあるが大体は育った文化の影響が大きい。
同じ意味でも言葉によって判断を誘導したりすることが出来るのがわかった。
英語の例文などあるので初歩的な英語がわからないとよみづらい。
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言語には前々から興味があっていろいろ読んで感心していた。この本はサピア・ウォーフ仮説を心理学的に検証するとどうなるかというのを詳しく扱っていてとても興味深い。サピア・ウォーフ仮説とは,ある言語の母語話者の思考は,その言語によって規定されてしまうという説。言語は思考体系そのものであるから,言語に応じて考え方が異なり,完全な翻訳は不可能で異言語間での意思疎通は困難な場合がある,ということだ。
世の中の物事を認識・把握するのに,言葉は非常に重要な役割を果たしている。人間は自己の外部をありのままに把握するのではなく,言葉をつかってきりとりながら把握する。言葉は世界をきりとる道具といえる。道具が違えばそのはたらきも違うように,言語が異なると世の中をどう認識していくかも異なる。地球上には様々な言葉を話す何千もの民族がいるが,それぞれ固有の世界のとらえかた・思考様式をもち,多様な文化をうみだしている。言語というものはそのまま世界のきりとりかたをあらわしている。
例えば,英語では,単数か複数かで名詞の形が異なるが,日本語ではその区別がない。英語を母語とする人々は物が一つなのか二つ以上なのかを区別することに意味を見いだしているが,日本人にとってはそんな区別は重要でない。日本語では数を特定せずに「犬を飼っている」という言い方ができるが,英語では飼っている犬が一匹なのか否かを必ず表現しないといけない。逆に日本語で「犬を複数飼っている」とか、「犬たちを飼っている」とか言うのは異様な表現であり,どうしても数に触れたければ「犬を○匹飼っている」とか「犬をいっぱい飼っている」など単複の区別以上の限定をしなければならない。
もちろん英語の方が大雑把なこともある。例えば日本語には「…本」とか「…枚」とかいう助数詞があるが,英語にはない。また,英語では稲も米も飯も「rice」である。橙だけでなく茶色まで英語では「orange」になる,などなど。世の中にはいろんな言語があって,色を表す基本語が2個しかない言語や,前後左右に相当する語がなく東西南北で位置を特定する言語もある。名詞に性をもつ言語はかなりポピュラーで,男女だけでなく中性があったり,計5個の性をもつ言語もある。中国語には英語の「hold(持つ)」にあたる言葉がたくさんあるが(拿,抱,夾,頂,托,背,端,提,捧,挙など),逆に英語で使い分けている「hold(単に持つ)」と「carry(持ったまま移動する)」は区別しない。このように言語体系は千差万別であり,異なる言語間では,言葉の意味は一対一対応しないことがほとんどである。やはり思考は言語で決まるのだろうか。
本書では,このサピア・ウォーフ仮説を実験で確かめる試みが紹介されている。結論は,前置詞「on」を用いる英語話者は,位置の上下関係よりも接触・支持の有無に着目して認識する傾向があるが,日本語話者はそうでないなど,どんな言語の話者であるかによって,空間関係や時間の認識のしかたはかなり影響を受けるが,物体や色の認識においては,言語の違いがそれほど本質的に表れるわけではないとしている。むしろ,ある対象の類似物に対応する語がある言語話者は,その対象と類似物の差異を捨象してその語が表す物として認識してしまう傾向があるのに対し,そのような語のない言語話者は,その対象を変にゆがめることなく認識できる場合も多い。穏当な結果だ。
人は理解しあえる。多くの学問が言語を超えて成果を共有するのも,別にみんなが西洋文化に染まってしまったわけでもなく,本質をえぐりだしているからなのだろう。
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認知言語の楽しき新書。英語や日本語の勉強にもなりまする。英語のobject、日本語では物体と訳されますが、日本人に人や動物は物体か?と聞くとno、英語母語話者に同じ質問をするとyes…可算名詞の概念とつながるobject、その概念があいまいな物体という日本語との違い…