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投稿者:meitetsu - この投稿者のレビュー一覧を見る
単なる礼儀作法のハウツーではなく、一つ一つの行動や動作の根底にある「こころ」について説明しています。姿勢を正して読みたくなるような緊張感のある文体です。
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「礼法においては、相手が誰であっても、どのような立場の人であっても、悲しいときに、嬉しいときに、ともに泣き、喜ぶ気持ちが重要だと考える。さらにその相手に対する思いは控えめでなくてはならず、ゆえに相手によっては、自分が受けている、やさしいこころ遣いからなる自然で慎み深い振る舞いに気づかない人もいるだろう。だが、それでよい。」
「だが、それでよい」…とは、なんと爽やかな心持ちだろう。
巷でよく見る冠婚葬祭集的な内容かと思ったけれど、そうではなかった。もちろん一通りの作法が書かれているが、いずれの箇所にも強調されているのは、礼儀作法とは相手に対する心遣いだということ。しかも相手を恐縮させない形でそっと相手を思いやる。それはとても難しいこと。形だけの作法程度では早晩鍍金が剥がれてしまうだろう。
「当座目に立ち申さぬ様に時宜能き様にするをさして躾と申す也……一篇にこりかたまりたるは礼に非ず」
本当の作法とは、その心根にこそあるのであり、形は、時・場所・状況に応じて臨機応変にと説く。臨機応変にとは、どんな状況でも対応できるということ。それは、作法に対する深い知識と行動が身についていなければできない。そして、相手に対する理解と相手の立場にたった深慮と優しさが不可欠なのである。
まぁ、いずれにしても、どんなに形を身につけても、それが独り善がりなものだとしたら、下品ということなのでしょう。弛まぬ心の錬磨こそが大切なのですね。
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礼儀作法の概論を述べたいのか、各論を述べたいのかやや分かりにくい。
各論の説明がもっと詳しくてもよかつたような気がするが…。
結局、筆者が言いたいのは、「我意をおさえて相手と接していくこころ遣いが礼儀作法の根底」の一言だということだとおもう。
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伝統的な作法を現代向けに分かりやすく解説してある。全てをいきなり実践するのは難しそうだが、心構えとして知っておくだけでも、かなり勉強になると思う。欲を言えば、もう少し図を付けてもらえるとイメージがわきやすかったかもしれない。
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なんとも評価の難しい本。あぁ、そういう礼儀作法があるんだね、と捉えると勉強にもなるし、背筋がのびる感じがあるが、どことなく説教されてるような気がしてしまうのは僕が卑屈だからか。
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「作法」をタイトルとしておきながら、一回も挿絵がなく図解もないという珍しい形式に筆者の意図を感じる。作法の形に拘るよりも、その作法がなされる意味を考える礼儀に力点をおいて、小笠原流礼法の古文書を引用しながら解説している。男としての立居振舞を、身の丈にあった、堂々と、エレガントなものしていく「こころ」と「かたち」にポイントを置いている。相手に不快に感じさせては申し訳ないという心遣いが、礼儀のベースにあり、そのマインドのうえに作法が成り立っている。絵も図もないので礼儀作法について解説されても、映像が浮かばない部分が多々あるが、そのマインドを学びながら読み進め、気が付くと姿勢を正し、背筋をピンッと張って読んでいる。気が引き締まる一冊。文中、父君のエピソードが微笑ましく、少女から逞しい父親への淡い恋心のような甘美が感じられるのは気のせいか。(おばあちゃんのエピソードには、明確に記憶していて、「厳しかった印象」「大切なことを教わった感謝」が強く読み取れる。が、父君のエピソードはこれと違う。)
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2011/4/1読了。
礼法の根底には"こころ"がある。仁義の仁は思いやる心であり、義は道理を貫く心。仁義のバランスが重要であり、伊達政宗は「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。」と言った。
・箸先の汚れを最低限にとどめる。これは今後実践したい。
・「残心」とは相手に対するこころを最後まで残すことであり、「間」である。
・食事のおいしさは食材や調理方法だけによらず、誰と一緒に食べるかが重要な要素である。
・相手に対する思いさえあれば通じ合える、というのは自己中心的である。「言霊」という表現があるように、ことばを大切にする精神を失ってはいけない。
・「君子は和して同せず。小人は同して和せず。徳をもって人と交わり、上辺だけで相手を判断することなく、相手の心を察し、和を貴ぶこと。
・「水は方円の器に随うこころなり」自己を主張せず、すべてに順応するように振る舞いながら、自分の本質を失わないこころを持つように、ということ。モンテーニュは「魂の偉大さは自分の場所にいながら境界線を守ることにあり、傑出したものよりも中庸を愛することで崇高さを示す。」と言った。
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2011-025。
新しいことは何もナシ。
どこかで言われたことを、上から目線で言う。
イライラする本。
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全体的に武士の精神論を述べている。
具体的な礼儀作法を期待しただけにやや物足りない印象。
しかし、現代にも通じる『心の在り方』を学ぶことができる。
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会社の新入社員研修につっこみできるようになれる本。
最敬礼は儀礼などに使われるもので日常的なものではない。
3秒ルールよりは礼三息のほうが親しみやすい。
こうしたマナーも少しずつ身に着けたいものである。
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心の在り方、姿勢、宴席での振る舞い、身だしなみなど7章に渡って、男の作法について説く!
礼法には「こころ」と「かたち」が大切だと筆者は言う。
こころとは、目の前の相手を尊重し、思いやる心。
かたちとは、所作に表れる相手への思いやり。
相手が一番喜ぶことはなにか、一番不快感を与えないことはなにか、それでいて自分の心遣いが出過ぎてはいないか、こうしたことに気を付けながら、その心遣いをかたちにして表現出来る男性を、本当に見習わなければと思った。
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具体的に礼儀作法を挿絵で説明するといったものではなく、その根底にある心のあり方を武士道と絡めながら説明している。
精神の強さが、品格のある振る舞いに通ずることを改めて確認できる一冊。
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礼儀作法を武家社会の思想までさかのぼって解説してある一冊。実用性を求めるなら姉妹書の『男の1日1作法』の方がオススメ。読んでいると文字通り背筋が伸びる。
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この新書を読むきっかけとなったのは『日本はなぜ世界でいちばん人気がるのか』の北野武との対談で、北野武が小笠原流礼法の本を読んで「礼儀作法は目上の人へのおべっかではない。なぜこういう行動をとるのかが理路整然と書かれている」と言っていたから興味を持った。
この著者、小笠原敬承斎という方が女性というのは購入してから知った。
内容はとても面白かった。
気になったところ、参考になるところなどをチェックし、ページ端を折っていたら、またもや折り目だらけになった。そのくらい興味をもった。
礼儀というのは大雑把でもいけないし、丁寧すぎてもよくない。丁寧すぎてよくないのは、相手に対して厚かまし過ぎてはいけないということである。そのため、礼儀の基本は相手がされて、また自分も嬉しくなるようにしなければいけないということ。
「水は方円の器に随(したが)うこころなり」。水が器のかたちにかかわらず自然に存在することを例に、自己主張をせず、すべてに順応するようにするように振る舞いながら、自分の本質を失わないこころを持つ。
「「すみません」を頻繁に使っている人に疑問をもつ」と書かれている節がある。これはわたしも同じなのだが、私自身も多用してしまっている。「ありがとう」を使うべきだな。
作者の曽祖父の話で、いつも同じ縞の羽織を着ていることに疑問を持ち、こっそり羽織に印を付けたところ、実は常に異なる縞の羽織を着ていた、というエピソードに驚いた。アップル元CEOスティーブ・ジョブスと同じだったから。実際には縞の幅が多少異なっていたりの目立たないなかおしゃれがあったらしい。素敵だ。
また、
ほかに面白いと思ったのが「嫁入りは惣別(そうべつ)死にたる物のまねをするなり。輿(こし)も蔀(しとみ)よりよせ代物を着せて出すなり」というところで、嫁ぐさいは「死装束」の白物を着て、死者の出棺のように輿(神輿の輿)を出した。昔は、二度と帰らぬ覚悟で、まだ会ったこともない男性のもとへ嫁ぐもあり、その決死の思いが根底にある、と説明している。その嫁ぐ女性の心細い気持ちを少しでも和らげる為に、婿側ではその女性のために迎小袖(むかいこそで)を用意するこころ遣いがあったらしい。
その節のまとめでは、現代のように「嫁入り」という概念が減少し、男女平等という考えのもとに結婚するのならば、お互いが少しずつ歩み寄って新しい家庭を築いていく過程に、小袖のようなこころ遣いが互いに必要である、としている。
相手に不快感を与えなり、また丁寧すぎない、相手、その場合に合った礼儀をもう少し心がけるようにしたいと思う。
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著者は総じて
真の礼法とは「こころ」と「かたち」から成り立つ
「こころ」を大切にする人が「かたち」を身につけると、自然で美しい立ち居振る舞いができるようになる
ということをうったえています。
小笠原の伝書のなかでは「不躾は目に立たぬかは躾とて目にたつならばそれも不躾」に共感しました。
また、書の中では
「儒教」孔子、「赴粥飯法」道元禅師、「エセー」モンテーニュ、そして「美味礼讃」 ブリア・サバランまでもが登場します。
そして総じて、儒教の教えから来ているものが多いと思います。
仁はみずからをわすれ他をはぐくみ危うきを救う。
孔子の教え の 君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず からのものです。
お酒を飲むときの心構えもあります
ここは私の一番頭がいたいところですが、
「一つゆとは酒をすきとのみて下を捨てるに一露おちたるを申し候」
差された盃の酒を飲み、盃を振って飲み残した酒を捨ててから盃を返すのだが、その盃を振るさい、ちょうど一滴だけ酒が落ちるように飲むのがよいということ
というのが印象に残りました。
基本となるお辞儀では、
お辞儀において、「礼三度に過ぐべからざる」を体現し男性としての優美さを次世代へ伝えるべし とあり、忙しないお辞儀をせず、礼三息を心がけるようすすめます。
そして「残心」 お辞儀のあと上体が元の姿勢に戻ったあとに数秒、こころを残すこと、すなわち間をとることで、お辞儀に深みが生まれる、としています。
また、最後には、男として、身だしなみを整え、まっすぐに立つこと、それが「品格」であり、そして品性を保とうとする気持ち、「気品」 とともに大事である
また「品格」は「志」ともいえる 「志」を持ち続けるには、自分のこころに正直なだけでなく、ときには厳しく自己と向き合うことも重要である。とありました。
どれも、今の世の中でふと振り返って考えなければならないことばかりだと思います。