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面白いという形容詞はこの一冊がまとう切実さには不謹慎か。“弱い者がさらに弱い者を叩く「循環小数の輪廻」”をはじめ、ここで提示されている問いは今を生きる全ての人にとっての問いであるはず。いずれにしても再読が必要、そしてカントの再読もしてみよう。
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宮澤賢治・柄谷行人・柳田国男・北大路魯山人の4人の作品について批評している。その内容は極めてエキサイティングだ。この批評を読むと上記4人の作品に再度、そしてもっと触れたくなる。
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哲学にも文芸批評にも全く素養がないため、一週間弱で本書を読み終えられたのは奇跡に近い。具体的な筆者の議論には全く追いつけないけど、考えるということの気迫は十分伝わってきた。 仕事で考えるのは,ある実利的な目的を達成するためということが多くて、本質を追求する考え方って、思い返してみると全くしていないのかも。そういう気づきが一つの恐怖ではありますね。
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我々現代人が、今、現に過ごしている社会をサバイブしていく際の課題―というか、目を背けがちになってしまっている事実―を、宮澤賢治・柄谷行人・柳田国男・北大路魯山人らの人物・作品評を通して、鮮やかに描き出していると思う。
その主張というのは、じつはこの度、個人的にネットから離れたことによってみえてきた「それがもつ醜悪さ」と「でも!それでも尚!つながっていかなければならない!」という感情に大きくシンクロするものだったりして、まあ、とにかく大変感銘を受けた次第。というか、その感覚を補完するため「そういう風に読み説いた」可能性は全然あるわけだが。
というわけで、具体的に何が書かれているのか――それをボクの言葉で要約してしまうのは、作者の意図するところでは無いはずなので(←重要)、まあ、とりあえずボンヤリ書いておくと――「メシを喰う時は自分も喰われる存在であることを常に意識しろ。そうすればおのずと喰うことに感謝するだろう。そして、それによってメシのホントの意味が見えてくる」といったカンジ。