紙の本
著者の体験からにじみ出た、とくに日本の若者たちに向けた厳しくも暖かいメッセージ
2011/03/09 15:07
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本のいまの若者たちを深いレベルで信頼している、1929年(昭和5年)生まれの著者が、自らの豊富な滞米体験をもとに説く、アリストテレス流「雄弁術」のすすめ。
戦後から7年たった1952年に夫の留学について渡米した著者夫妻は、学費を稼ぐために住み込みの家事労働者となる。こういったナマの体験を経た米国理解は、活字や映像をみただけの評論家的なものではまったくない。生きることは闘うこと、闘うための武器はコトバと雄弁術なのだ。発信しなければ泣き寝入りを余儀なくされる。米国留学の経験のある私は、著者の言うことに100%同意する。
米国留学で悪戦苦闘している最中に著者が運命的に出会ったのが古代ギリシアの大学者アリストテレスの『雄弁術』(レトリカ)。著者は次の一節に大きなインパクトを受ける。「言論による説得には三つの種類がある。第一は語り手の性格に依存し、第二は聞き手の心をうごかすことに、第三は証明または証明らしくみせる言論そのものに依存する」(池田美恵訳)。そうか、これだったのか、と。西洋世界でレトリックとして伝承された本家本流の雄弁術の源流がこの一節にあるのだ。
米国と日本を行ったり来たりの人生を送ってきた著者は、日本人としての「内なる目」と長い外国生活による「外からの目」を兼ね備えるに至ったと述懐している。そんな著者にとって、とにかく目につくのが、日本と日本以外の大陸国家とのパーセプション・ギャップである。認識をめぐるギャップは、いかにグローバル化が進展しようとも、けっして埋まることのないものである以上、そもそも両者は根本的に違うのだということを基本認識として持っていなければならないのだと説く。
島国ゆえにさまざまな美質をもった日本人は、この島国を一歩出ると弱肉強食の大陸世界ではヒツジのような存在になってしまうのだが、著者がいうように、「たとえダブルスタンダードであろうが、彼らの流儀を身につけて、闘わねばならない」のである。
私が非常に面白いと思ったのは、著者が推奨する「手鏡練習法」。思いっきり愛想よく笑った次の瞬間、いきなり厳しい表情に切り替えるというテクニックの習得である。笑顔から厳しい表情に瞬時に切り替える手鏡のテクニックはすぐにでも実行できるメソッドだから、ぜひ反復練習で身につけたいものである。
島国であることは弱点だけではない。美質ともいうべき強みを根底に据えつつ、闘うための武器を身につけよというのが著者のメッセージだ。なぜか、このような強い主張をするのは、海外経験の長い日本女性が多いような気がするのは私だけだろうか。 それはさておき、ぜひ一読を薦めたい。
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「過去五十年、欧米人と議論や口論をして、私は負けたことがない」と著者は言う。
そんな著者のケンカ修業の原点は住み込みのメイドをしながら大学に通ったアメリカ留学にある。そこで出会ったアリストテレスの『弁論術』にはこう書かれていた。
「言論による説得には三つの種類がある。第一は語り手の性格に依存し、第二は聞き手の心を動かすことに、第三は証明または証明らしく見せる言論そのものに依存する」
つまり真実でなくとも真実らしく証明すればいいのである。
「原爆は日本人のためにも落としたのよ」と言うアメリカ人にどう反論するか。交渉の場ではどんな表情をすればいいのか。割り込みしてきたアメリカ兵をどう叱るか。
また、その一方で著者は、外国人が語る日本人の美質――正直、誠実、思いやり、繊細――などを紹介しつつ、その美質が逆に議論の場では短所になることを指摘する。
どうやって言葉で世界と闘うのか。本書は、著者の闘いの記録と雄弁術のテクニック紹介であるとともに、島国で独自の文化的伝統と性格を育てた日本人論でもある。
尖閣問題などで歯がゆい思いをしている日本人にぜひ読んでほしい一冊!
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「過去五十年、欧米人と議論や口論をして、私は負けたことがない」と豪語する著者。しかしこの本は題名から連想するようなハウツーものではない。英語の一つもできなんじゃ世界のグローバル化に遅れをとるザマス!恥ずかしい!なんてグローバルバカの憂国妄言でもない。
英語なんかできなくても堂々としてなさい! 宗主国もなく、英語ができなくても勉強できて、ちゃんと仕事につける日本は実は素晴らしい国なんだぞ! むしろ日本語を国連の公用語にすればいいじゃない!
日本にもかようなコスモポリタンがおられたのだ。電車で割り込みするなめたガイジンを堂々と叱りつけるこのおねえさまの器のでかさからしたら、隣国の脅威!なんて騒ぐおっさん連中が子どもに見える。そして最新著書をFreeで配るきっぷの良さ!(そこかい)
(続きはブログで)http://syousanokioku.at.webry.info/201101/article_8.html
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年末年始の休みを利用して一気に読んだが,最近では久々に深く納得のいく名著を手にした感じである。
作者については本書中にも触れられているが,大変豊かな感性と経験をもつ方であり,既にかなりのご年輩と思われるが,文章や主張も大変若々しく,読者を強く元気付けてくれる内容に満ち溢れている。
わたしがここに感想を書くようになってから「★5つ」をつけるのは初めてかもしれない・・・。
今までこれほどの著者がなぜに広く知られずにいたのか不思議とさえいえるが,過去の著作物を見ると著者の幅広い興味範囲はかなり広いらしく,具体的な人や物や作品に対する知的好奇心に突き動かされてさまざまな分野の著作があり,社会思想的な作品は元々少ない人物のようである。
そんな中でも「わたしは日本のここが好き――外国人54人が語る!」は数ヶ月前に書店店頭で何度か手にとって見たことがある。外国人が日本の慎ましく奥ゆかしい文化に触れて感動するエピソードを集めたものであり,癒される本である。その時はこういう試みは日本再発見という意味で建設的であると思いながらも,購入にまでは至らなかったが,この本は更にそれ以上に意欲的な内容となっている。
昔から評論家櫻井よし子の明快で毅然とした物言いに溜飲の下がる思いがしていたが,なぜその他の多くの日本人知識人や政治家にはああしたものの言い方が出きないのか初めて本当の意味で理解できたような気がする。櫻井女史は,海外海外在住期間が長く,筆者の言うような表情や言い方の使い分けが無意識のうちに出来ているのであろうと思った。そう考えると,納得がいくことが多い。
最終章に書かれているシンクタンクはなかなかすぐには難しいかもしれないが,外務省やその外郭団体,大学の一部などがこうした機能を担えるようになっていくことは十分考えられるような気がする。
また,彼女は思いのほか外務省のノウハウを評価している。確かにわたしは彼女がここの著作中で言及しているような事実・事例を殆ど聞いたことがない。本当だとすればわたしは外務省を過小評価していたかもしれない。(一省庁たる外務省をすら等身大に語れないとは一体報道は何をしているのだろう。)
それにしても筆者のバイタリティには敬服する。若いころの苦学した姿勢,壮年期の物怖じせず理不尽の論調と立ち向かう姿勢,そして定年後もなおこうした情報発信をし続けようという姿勢・・・さすが昭和一桁の方々の気概には頭が下がる。
講演会等があれば是非一度拝聴したい方です。
ネット風の言い方をすれば「拡散希望」というところでしょう。少しでも多くの方がこれを読んで,ご自分の言論を磨かれることを願うとともに,特に日本の政財界の人にこの見方・考え方が浸透することを願っています。作者が期待するように英語と更にもう一ヶ国語を身につけて華麗に言論を戦わすところまでは到底なれそうにない私でも,これを知っているだ
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■話術
1.アリストテレスの説得の言論(1.語り手が信頼に足る人物だと思わせる。2.説得する相手をよく知り、相手の心を動かす。3.真実でなくても、真実らしく見える証明を使って説得する。)
2.日本人は外国からの侵攻をほとんど経験していない「島国の民」である。私たちは、自分たちがいかに温室育ちかを自覚する必要がある。
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「言葉の壁」ならぬ「文化の壁」を説き、そしてそれにどう立ち向かえばいいかを伝えてくれる指南書である。
宗教や文化が育んだ、互いに全く異なる価値観が手当っとき、あるいは衝突が起こることが考えられるだろう。
私たちはその時、どうすればいいだろう?
日本で日本人が、英語を語る外国人に話しかけらた時、私たちはどのような精神を持って臨めばいいのだろう?
それは本書に記されている。
日本人が日本人として誇りを持ち、対話と協調の和へ導くための「戦う言葉」を伝えてくれている。
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島国である日本と主に大陸の国々とのパーセプション・ギャップ(認識の差)に関する内容。友好的な関係においてうまく機能する日本人の細やかな気遣いだが、欧米などの大陸の国では通用しないと著者は言う。日本人もせめて海外とのやりとりにおいては強く自分の権利を求めていかにゃならん、と主張されている。
国家間でいうところの外交のみならず、個人で海外に出たときの外交でも自分の考えを伝えなきゃダメってのはよく感じるところである。英語ができるかどうかよりも、たぶん主張できる態度でいるかどうかが重要なんだと思う。英語は手段でしかない。
文化と文化の隙間にある見落としがちな深い谷がパーセプションギャップなのだろう。そして、平和な島国の日本はその谷の存在に鈍感なのかもしれない。
ところで、内容自体はとても興味深いものだったが、いかんせん文章が平らで抑揚がない。このため、若干内容が散漫に感じるところがある(実際には散漫ではない)。また、著者は鋼のように強い信念を持っており、それを堂々と振りかざす。日本的な観点からすれば、もう少し包み隠した方が受け入れやすい内容になったかと思う。
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帯にはビジネスで、外交で、日常で、勝つための弁論術とあり、第一章アメリカけんか修行、第二章 アリストテレスの弁論術、第三章 日本人の美点と弱点 第四章外国人との交渉術、第五章日本の未来のために、とあります。この第一章と第二章が1953年(昭和28年)、私ですら生まれていない終戦後間もない時、著者である20歳の女性と25歳の夫がそれぞれフランス文学、生物学を学ぶために米国への留学した体験が彼らの大きな成長と共に生き生きと描かれていてぐいぐいと引き込まれる。
米国人家庭で住み込みで働きながら大学に通い、そこで働く一時間を60分ではなく100分と計算されたり、通学手段を付与する条件に子供用の自転車をあてがわれたり、様々な辛酸を舐めながら、自己主張と自己正当化の米国文化、そして異文化間で起こる"Perception Gap"を学びその文化を身につける。
最初にに住み込んだ家庭がとても酷く描かれていて、その後は良い人に巡り会うようになるのは、自己主張が身に付いてきた証なのでしょうか。とにかく、米国では主張しなければなにも始まらない、しかしそれができようになると、彼らの評価は上がり、応援してくれる友人なども増え、様々なメリットも享受できるようになる。
そして夫が研究助手となり生活も安定し、論文を書くことになり、アリストテレスのレトリカ(英語ならRhetoric、日本語なら修辞学、弁論術)に出会います。ここの件(くだり)は次に引用します。
アリストテレスによると、言論には、語り手、主題、そして語りかける相手、つまり聞き手が存在する。そして、
「言論による説得には三つの種類がある。第一は語り手の性格に依存し、第二は聞き手の心を動かすことに、第三は証明または証明らしくみせる言論そのものに依存する」(一巻二章)
と言う。第一の「語り手の性格に依存し」は、語り手が信頼に足る人物だと思わせるようにと説明を付けている。
第二は、誰に向かって話しているのか、相手をよく知り、相手の心を動かすことを目的としている。
ここまでは良い、だが、第三である。
「証明または証明らしくみせる言論……」真実の証明が見つからなくても、真実らしくみえるものを持ってくればいい。それを証明として用いて、自己の正当性を主張せよ、相手を説得せよと、言っているのである。
ここで、私は(うーん)となったのだ。私たちは、真実のみをしゃべるようにと教えられてきた。だが、「正当化せよ」「真実でなくても、そう見える証明を使え」というのである。
アリストテレスには、思わず私も(うーん)である(笑)
確かに、書籍などでもこの違いは思い当たる節がある。例えば翻訳のIT系本等でも必ずといって良いほど歴史や哲学からの引用がある。そして自分の主張すべき結論の向かってそれらを「そう見える証明をとして」使っている。これは必ずしも「真実でなくても」とまで言うつもりはないが、説得力のあるレトリックとして学ぶことも重要なのではないだろうか。
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アリストテレス 言論による説得には3つの種類がある。第一は語り手の性格に依存し、第二は聞き手の心を動かすことに、第三は証明または証明らしく見せる言論そのものに依存する
日本には世界一の一般人がいる
日本の致命的な欠点は、世界へ向けての発信力が弱いということである。言挙げず、人間皆同じ 自らが行いを正し、誠意を暗黙のうちに示せば、相手は解ってくれると思う。雄弁は力なりの正反対である。そしてその雄弁力にかけるために、外の世界でどれほど損をしていることか
鈴木孝夫 新武器としての言葉
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TOPPOINT 2011年4月号より。
正直で謙虚だけれど、自己主張が苦手。
そんな日本人に向け、「勝つための弁論術」を伝授。
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「言論による説得には3つの種類がある。第一は語り手の性格に依存し、第二は聞き手の心を動かすことに、第三は証明または証明らしくみせる言論そのものに依存する」『弁論術』アリストテレス
自国の文化、他国の文化、自国の歴史、他国の歴史を理解することがなにようり重要であるとの示唆が、実際に起こった著者の体験談を元に紐付けられており説得力がある。
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言論による説得には、三つの種類
第一、語りての性格に依存
第二、聞き手の心を動かすこと
第三、証明または証明らしくみせる言論そのものに依存する。
ちょっと本のタイトルとはことなっているが、海外との文化の違いを通して、日本人としてダブルスタンダードの意味、言わなければならない、言わないと理解出来ない事が伝わった。
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ただの弁論術ではない。
コミュニケーションのあり方を通した日本人論であり、また、前半は筆者の留学時代の経験が綴られているが、その姿に生きるエネルギーがふつふつと涌いてくるような良書。
日本について思うアンビバレンツな感情。
僕も普段世の中のこういうところがイヤだ、とかもっといい社会にならないかな、っていうのはしょっちゅう思ってるわけだけど、でも他の国々と較べて日本がダメな国か、劣ってる国かっていうと決してそう思っているわけではなく、世界の中でも最上級の素晴らしい国なのではないかと思う。
この本は日本・日本人・日本的コミュニケーションの美点と弱点をそれぞれ説明する。
たとえば、日本人が婉曲的な表現を使うのは相手の心情を思いやるため。
だけど、時としてそれは意思疎通を拒んでしまうことになってしまったり、また、島国で平和すぎる環境の国だからできること・・・だとか。
僕たちが他人とどうやって接すればいいか、どうやってモノを表現していったらいいか、そんなことを考えさせてくれるフックになる。
タイトルから受ける印象よりも、もっと多くの人に必要とされるべき本ではないかと感じた。
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作者の自伝書?
第一章は読んだが、人の日記を読んでいる気がして読むのをやめてしまった。
言葉を習得していくまでの過程を学ぶにはいいのかもしれない。
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最初は彼女の留学生活のところから始まり、読みやすかった。これから日本人が外国人に対してどういったコミュニケーションあるいは交渉をしていかなければならないのかを考えていかなければならないと思った。どんな分野でも弁論は必要だと思うし、自分も学びたいと思った。それにはパーセプションギャップ、異文化間の考え方の違い、ズレを学ばなければならない。コミュニケーションを測るには相手を知ることも必要である。そのうえ、自分の国のことももっと知っていなければならない。色々考えさせられた本だった。