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謎解きなど全く考えずに、人間関係もほぼ考えずに(時々人物表を見たりもしたけれど)読んだ。そこにある表現を楽しむ、と思えば、すごく楽しい一冊だと思う。
元々、推理ものは好きではないし。
それにしても、これが書かれてから70年が経っているのに本当に「かっこいい男性」像として、チャンドラーが考えたものと私が感じるものとそう遠くに外れていないのが興味深い。
いつも、マーロウはすごく素敵。
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オーファメイクエストがリーラと同一人物なのかと一瞬思った。最後まで誰が誰を殺したか不明!極めて複雑で難しかったけれどおもしろかった。
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前半はもの凄く良かったのに、中盤以降急速にトーンダウン…。
誰が誰を殺し、誰と誰がグルなのかも私の乏しい頭の中だけでは整理しきれていない。
ただそれらも含め、訳者のあとがきを読んで非常に納得。
※本筋はそのままで、説明不足や???なところを村上さんが大胆に構成し直したリメイク版みたいなモノがあれば是非読んでみたい。
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ハリウッド、もしくはある張りぼて家族の話。
『リトル・シスター』の説明は次の文章にまとめられていると思う。チャンドラーの名文。村上さんの名訳。
「芝居は終わった。私は無人の劇場に腰を下ろしていた。カーテンは降りたが、そこにはまだ演技の残像がある。それをぼんやり目にすることができる。しかし俳優たちのあるものは既に輪郭を欠いた、非現実のものになりつつある。」(p.328)
細部は鮮明、全体はぼんやり…という読後感です。
タイトルの『リトル・シスター』であるオーファメイ…彼女の情緒不安定な態度とか身勝手さがどうにも好きになれなくて、だからラストのマーロウの仕打ちにちょっとスッキリしました。
あとがきで村上さんがオーファメイこそがこの作品の魅力みたいなことを書かれているけれど、その褒められているリアルさを…わたしはチャンドラーの小説に求めていないから、彼女の人間味に嫌悪感を抱いてしまうんだろうなぁ。
あ、ストーリーに関係ないけど、これは備忘録として書いておかなければ!わたしの一番のお気に入りは冒頭、アオバエを仕留める場面です!マーロウがチャーミングすぎる!
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チャンドラー2冊目。
プロットが入り組んでいて、本当に分かりにくい。
村上春樹が解説で言っているとおり。
ファニー・メイが魅力的って、そうかなぁ。
まぁ、楽しく読めましたけど。
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「ロング・グッドバイ」と比べると、なんだかマーロウが軟弱になったような気がした。
マーロウの特徴ともいえる口の達者さは健在だけれども、マーロウの行動全体に暗い陰のような鈍さがつきまとっている印象があって、ハードボイルド的なタフさはかなり薄れている感じがした。
話しの筋は、さっぱり意味がわからなかった。
面白かったのはストーリーよりも、マーロウの軽妙な言葉の返しで、会話の部分のウィットに富んだやりとりは面白い。
やたらと比喩が多く登場して、村上春樹の小説でも様々なバリエーションの比喩が使われるのは、このチャンドラーの影響がおおいにあるに違いないだろうと思う。
「比較的というのは、いくらでも解釈が引き延ばせるってことだな。正直さも似たようなものだ」
私は意味ありげな薄ら笑いを浮かべた。「お説のとおりだ」と私は同意した。「いつか穏やかな午後に、二人でゆっくりそいつを引き延ばしてみようじゃないか」、手を伸ばして男の指のあいだから名刺を抜き取り、ポケットに入れた。「邪魔したな」(p.42)
「安全な貸金庫を持っているか、マーロウ?」
その日の午後の私の丁重さは品切れ状態になっていた。「質問ばかりしないで、用件があるならさっさと言ってくれ」
「私が質問したんだ、マーロウ」
「私は答えなかったんだよ」と私は言った。「こんな具合にね」、私はそう言うとボタンを押して電話を切った。そして指をそのままにして煙草を手探りで求めた。相手がすぐに電話をかけ直してくることはわかっていた。自分をタフだと思っている連中のやることはいつも同じだ。最後の決めの台詞を言わないことには収まらない。電話のベルが鳴ると、私はすぐに切り出した。
「話しがあるのなら、さっさと言ってくれ。それから手付け金を払うまでは、私の名前にミスタをつけてもらいたい」(p.58)
私は煙草の火を消し、新しい煙草を取り出し、平静を保つためにゆっくりと一連の意味のない動作をした。煙草に火をつけ、マッチを捨て、口の片端に煙草をくわえ、ゆったりと深く煙草を吸い込んだ。そのみすぼらしい小さなオフィスが、波の打ち寄せる海を見下ろす丘のてっぺんか何かみたいに。私のような職業には、そういうおなじみの使い古された手管が必要とされる。(p.86)
オックスナードの脇道に入り、海岸沿いに帰路に就いた。巨大な八輪トラックや十六輪トラックが、北に向けて途切れなく流れていた。オレンジ色のライトがのしかかるように光っている。右手では、むっちりと肥った広大な太平洋が、帰路に就く掃除女のように力なくよろよろと岸に打ち寄せていた。月もなく、ひっそりとして、波音さえろくに聞こえない。匂いすらない。海につきものの、きつく荒々しいあの匂いがないのだ。カリフォルニアの海だ。カリフォルニア、百貨店のような州だ。大抵のものは揃っているが、最良のものはない。ほらまた始まった。今夜のお前はどうかしているぞ、マーロウ。(p.110)
「昔はこの街が好きだった」と私は言った。ものを深く考えないために、ただ何かを口にしたかっただけだ。「遙か昔のことだよ。ウィルシャー大通りに並木があった。ベヴァリー・ヒ���ズは田舎町だった。ウェストウッドは剥げちょろけの丘で、千百ドルで土地が売りに出ていたが、買い手はなかった。ハリウッドは街道沿いの集落に過ぎず、木造住宅が何軒か並んでいるだけだった。ロサンジェルスはただの日当たりの良い、がらんとした乾いた場所だった。建物はどれも垢抜けしない不細工なものだったが、人情が良くてのんびりしていた。気候は今みんなが自慢たらしく言い立ててるのと同じものだった。人々は外に出てポーチで眠った。インテリを気取った少数のグループは、アメリカのアテネと称していた。それは言い過ぎだが、かといってネオンの灯ったスラムでもなかった」(p.251)
彼女はよろよろと膝から崩れ、私の両腕にそのまま倒れ込んできた。
もし演技だとしたら、それは完璧な演技だった。たとえ私が服の九つのポケット全部に拳銃を収めていたとしても、そんなものバースデ・ケーキについた九本の小さなピンクの蝋燭くらいの役にしか立たなかっただろう。(p.268)
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極貧の発展途上国でもないのにお金のために家族を売る…映画ミリオンダラーベイビーを見る前にこれを読んでいたら免疫ができていたかも。でもあれでも、本作の妹のように兄を殺し屋に売るために探偵を雇ってまで探すろくでなしではなかった。レイモンド・チャンドラー作品では二人姉妹の姉がまし、妹が最低、というのが定番らしい。アミーゴしか言わないオハイオ出身の自称ラテン女、は笑えた。
いかにもチャンドラーらしいとっ散らかった作品で特に面白いと言うことはない。他にいくらでも良い作品があると思う。村上春樹の本のどこがいいのか理解できない自分がいて、彼がこのチャンドラーをべた褒めするあたり、いかに売れていても価値観や感覚が合わない作家はやはりあるんだなぁと妙に納得。
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個人的には、チャンドラーの長編小説の中で一番プロットのわかりずらい本だと思います。それでも、マーロウ物の魅力が薄れるわけでなく。
登場人物はみな個性的で生き生きとしていて、読んでいて飽きません。特に女性陣。オファメイクエストの曲者感はひしひし伝わってくるし、映画女優2人の強烈さも印象に残っています。
そして、マーロウのやさぐれ感は格別ですね。
何度か読み直して、ちゃんとミステリーとしてあらすじを時系列に沿って理解したい作品です。
「誰かの夢が失われたようだね」そして身を屈め彼女の目を閉じてやった…
なんて締めの一文、本当に胸にきます。