紙の本
どの記録を重視するのか、どれを私見をまじえない客観的な記録と見るのか、評価するのはむずかしい
2011/09/06 21:10
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
史実というものは、できるだけ多数の記録を比較参照して、何が真実かをあるいはより真実に近いかを、明らかにする必要がある。日露戦争の遂行においては第二次世界大戦の軍部の行動に比較し、政軍の協調など理想的であったと思われてきたが、そうでもないらしい。スタッフとしての高級司令部参謀による現状無視で理想論的作戦立案という無能さかげんを、ラインである軍司令官以下の実戦部隊の努力と苦闘で補完したというのが実際のところであるらしい。現在の日本社会のあらゆる組織で見られる状況が、日露戦争のときから続いている、というのが本当らしい。
記録というものは、それを書いた人の立場や見方が反映されている。その点を考慮し、どこまでが主観をまじえない客観的なものなのかを読み解く必要がある。その場合にもまた読む人の考えや主観がはいり込んでくる。難しいことだ。
本書は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の記述に対する批評、批判として書かれているようだ。同じような資料を読み解いていても、かなり解釈が異なってくる部分もある。どの記録を重視するのか、どれを私見をまじえない客観的な記録と見るのか、それぞれの著者の判断を評価するのはむずかしい。
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日露戦争が、実は、伊藤博文と小村寿太郎によって主導された、
当時の国際慣行や国際法、日英同盟などに配慮して始められたというのは、非常に為になる視点であった。
また、日本の陸軍は、ドイツ式の事前戦争計画主義の為、動員から戦端を開くことまで自動的に進む方式をとっているという点は、「太平洋戦争~」に連携するものである。
そうでありながら、日露戦争では、海軍との協調不足と奇襲開戦の為の情報封鎖の必要性から、満州での戦争を想定出来ず、開戦後、陸軍が満州に上陸するのに2ヶ月以上かかった点など、なぜ、戦前に問題視されなかったのか不思議に思うような指摘がなされている。
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[ 内容 ]
日露戦争の陸戦において、日本軍は圧勝といってよい勝利を収めた。
その理由について、たとえば司馬遼太郎に代表されるように、兵力では劣ったが作戦計画能力で上回ったからだという意見が強い。
しかし、開戦準備から鴨緑江渡河を経て、遼陽会戦、沙河会戦、二百三高地、そして奉天会戦とたどってみると、全く異なる現実が見えてくる。
七つの作戦を例に、陸戦の勝因を新たな視点から問い直す。
[ 目次 ]
第1章 海主陸従で始まった日露戦争
第2章 鴨緑江と得利寺における快勝
第3章 遼陽会戦と沙河会戦における失敗
第4章 旅順攻防戦
第5章 黒溝台会戦と奉天会戦
第6章 停戦を望んだ児玉源太郎の弱気
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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得利寺の戦い,遼陽会戦,沙河会戦,旅順攻囲戦,奉天会戦といった日露戦争の主要な陸戦について,背景・経緯・結果を記述。
日露戦争陸戦の英雄とされることが多い児玉源太郎に対する評価が低い一方,乃木希典ら現場指揮官への評価が高い。
また,奉天会戦については日本の大勝利であると分析している点も,一般的な日露戦争観と異なる。
ただし,手放しで評価することはない。
遼陽会戦・沙河会戦の失敗を指摘し,旅順攻囲戦の第一回総攻撃や白襷隊による攻撃も失敗と評価している。
『坂の上の雲』で,「良い海軍・愚かな陸軍」,「智将児玉・愚将乃木」とすり込まれてしまった人の解毒剤になる。
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本書では、日露戦争における直前外交から鴨緑江、遼陽、旅順そして奉天に至る主要な陸戦の戦闘経過について解説されています。総花的なテーマですが、表面だけ舐めて終わり、という類のものではなく、それぞれの戦闘経過も詳細に説明されている上に、ロシア側の実情にも言及しているので大変参考になります。不満があるとすれば戦闘経過図(地図)が少ないので、状況を把握しづらいという点でしょうか。
面白いのは直前外交についてもそれなり詳細に説明されている点です。
これを見ると、当時の明治の元老たちは彼我(日露)の国力差を十分に意識し、かつ恐懼していたことがわかります。しかしこれを受けての各自の態度は対照的です。海軍の山本権兵衛はそれでも主戦に傾き、陸軍の山形有朋は消極的態度をとります。特筆すべきは政治家の伊藤博文と小村寿太郎で、彼らはロシアの態度から戦争は免れないと判断しつつ、事態を「ロシアによる侵略」という印象を明確に浮かび上がらせることで外交的優位(具体的にはイギリスの同盟義務の発効とフランスの中立)を獲得しようとします。この両名の洗練された戦略眼に驚かされます。
また本書にはさらに大きな特徴があります。それは世間一般に伝播されている「日本軍指揮統帥」にたいする固定観念の反駁です。
具体的には司馬遼太郎に代表される、「参謀有能/現地軍無能」の固定観念への論駁です。
『坂の上の雲』を見てもわかりますが、司馬遼太郎は 「ロシアに比べて弱卒の日本軍は、参謀本部の優れた指揮統帥能力で勝利した」というスタンスを取ります。しかし著者によるとこれは事実に反するどころか、全く真逆の話です。
本書では、陸戦の劈頭から終盤の奉天会戦に至るまで、参謀本部(現地転身して以降は「満州軍総司令部」)は一貫して無能をさらし続けた事実が説明されます。
海軍による奇襲開戦の戦果によって、「主戦場は朝鮮」と想定していた参謀本部の計画はいきなり破綻します。その上この事態に適応できず、第一軍、第二軍の上陸地点では曖昧な方針提示により混乱を生じさせ、旅順では無理難題を第三軍に課し続け、奉天でも現地軍とのズレを生じさせるなど、最後まで足を引っ張り続けます。
特に井口省吾(総務部長)と松川俊胤(第一部長)はお互い仲が悪く参謀本部内の方針を混乱させただけでなく、現地状況の無理解、海軍との縄張り意識などで終始弊害を生み続けます。
著者は様々な説明を通して、むしろ現地軍は有能(少なくとも戦果を残している)であり、参謀本部こそ無能ではなかったか、と説きます。
事実、得利寺にせよ旅順にせよ奉天にせよ、現地軍の独断専行が決定的勝利を呼び込みました。一方で遼陽にせよ黒溝台にせよ、参謀本部が茶々を入れた作戦は難航し、本部の現地移転後は総じて進撃速度が鈍化してしまいます。これらの実情を鑑みると、著者の指摘には一定の真実が含まれると思います。
これはビジネスに置き換えて考えるとわかりやすいですが、有能を自称するコンサルタントが現地から遠く離れたデスクの上で案出したソリューションにはろくなモノがありません。こういった行動の背景には「羊飼いは、怠け者な現場の羊を強制的に頤使してかまわない」といった歪んだ心性が垣間見れます。しかし日露戦争の最前線にいたのは、実戦経験とセンス豊かな指揮官と、国家の存亡を託されたと自認し、悲壮な覚悟を有した兵士たちでした。
司馬遼太郎は『殉死』の中で、乃木希典の日本国旗に対する異様な執着を指摘したうえで、太平洋戦争における島嶼守備隊が日本国旗を奉焼した上で蕭蕭と死んでいく「慣習」が、まるで乃木にそのルーツがあるかのように述べます。また旅順戦における人命軽視(実際はそうではないのだが)の作戦指揮が、太平洋戦争における(兵士の)人命軽視の呼び水になったかのように述べます。
私も(そしておそらく著者も)、日露戦争が何らかの形で太平洋戦争の蹉跌につながったと考えますが、それは司馬遼太郎の考えるそれとはまったく異なります。
太平洋戦争において島嶼守備隊が投降せずに玉砕したのは本部(大本営や参謀本部)がそれを許さなかったためです。そして本部がそうしたのは単に戦局打開の策も度胸もなかっただけです。乃木のせいではない。
またこの時の参謀本部の「羊飼い」が如き増上慢な態度は昭和陸軍に引き継がれ、他方で参謀本部の無能に伴う現地軍の独断専行を正当化するような空気もこの時に盤踞したのではないかと考えます。
そういった意味で本書は、その後の太平洋戦争における陸軍の兆しをも感じ取れる興味深い作品だと思います。