紙の本
突き抜けた卑俗
2011/09/10 01:32
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る
芥川賞受賞の瞬間の様子を取材で聞かれて「自宅で待機していたが、連絡が来ないので、そろそろ風俗に行こうかなと思っていた」と平然と語る反骨精神。「震災、原発という大きな問題は、西村さんのような私小説家にも影響を与えますか」と尋ねられて「全くないです。被災地に足を運んでる作家も、言葉は悪いけど、ネタ取りにいっていると思うんですよ。しょせん、東京から出版社のカネ貰って行ってるんですから。ネタ取りと、ポーズと自己満足のために被災地に行っているとしか僕には見えないですね」と答えるふてぶてしさ。
そんな西村賢太自身、無頼派のポーズをしている偽悪者なのだが、これだけキャラが立っている私小説家は久々で、それが作品の魅力にもつながっている。
父親が性犯罪者、中卒、家出、人足で日銭を稼ぐ、常に空腹で孤独で、夢も希望もない。その日暮らしだった作者自身の陰鬱で自堕落な青春時代に材を取った表題作のほか「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を収録。
退屈で悲惨な毎日を反復するだけだった北町貫太の生活は、日雇い先で出会った日下部正二という専門学生との交流によって好転していく。だが卑屈さの裏返しとしての攻撃性と、愛されてこなかったがゆえの甘えによって、せっかくの友情を自らぶち壊してしまう。殻を破って他者と親しくなったことで、相手を傷つけ自分をも傷つけ、かえって一層、寂しくなってしまうという展開は、自業自得とはいえ痛々しい。
劣等感、怠惰、嫉妬、憎悪・・・自身の醜さをさらけ出すのは私小説の基本であるが、芥川賞受賞の表題作はそれだけの作品ではない。日本の私小説はどこか露悪趣味なところがあって、それが鼻につくのだが、作者は貫太の愚行と自滅をユーモラスに描くことで、この問題を巧みに回避している。要するに貫太を戯画化することで自己を相対化している。
貫太は周囲の人間全てに迷惑をかける問題児であるが、彼には少しも悪意がない。単に身勝手なだけであり、その幼稚さが読者から見ると一種の愛嬌となっている。いわば「憎めないダメ人間」であり、作者は若き日の自分をそのまま描いたのではなく、人物造形に工夫を凝らしたものと思われる(そして世渡り上手の日下部との対照によって、貫太の不器用さが殊更に際立つ仕掛けになっている)。この辺りの匙加減が絶妙である。
また、実体験を基にしている有利を差し引いても、「下流」な生活描写が非常にリアルで唸らされる。特に性欲と食欲に関する記述が異様に詳細で、何とも下品な文章なのだが、卑俗に徹しているからこそ笑えるのである。この作家の文章力は侮れない。
無教養な少年が主人公の作品なのに、妙に小難しい言葉が多用されているのもポイントだろう。そこに語り手である西村賢太(40代の作家)と作中人物である貫太(10代の少年)との分裂が明確に示されているわけだが、教養をひけらかすことじたいが中卒である作者のコンプレックスの表明に他ならない。もちろん作者は意識的にそうしているはずで、なかなか食えない作家だと思う。
紙の本
芥川と対抗して都落ちしていた頃の菊池寛のようだ
2011/03/30 08:56
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
このように己が中卒であり、人生の敗残者であり、あまつさえ父親が性犯罪者であることを小説の中で暴露したり、卑下しているようで自慢したりする文学者はとても面白いと思うけれども、友人としては絶対に付き合いたくない。
芥川賞を受賞した表題作は、4帖半一間1万5千円のその日暮らしの若者が日当5500円の肉体労働にいやいや従事してやさぐれ、世間の成功者を妬み嫉み、そして鬱屈し、自涜し、たまに糞袋に精を遣りにいって身も世も呪いつつ自滅していく話で、底なしの自虐がいっそ心地よい60年代にはよくあった青春をコピーした私小説でどうということもないが、冒頭に「嚢時」なる旧弊の漢字をあえて使用したところに、著者の傲岸不遜さとあえかな矜持があらわれていると読んだは当方の僻目か。
そのようにいくぶん恰好をつけて書かれた「苦役列車」に比べると、同じ書物の後半にグリコのおまけのように収められた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」では、著者のやけくその捨て身の私小説家魂が赤裸々に叩きつけられていて、妙に胸をつかれる箇所がある。
「彼は文名を上げたかった。(中略)名声を得たなら、彼を裏切り別の男に去っていった女のことも、たっぷりと後悔さしてやれる。自分の方がはるかに価値ある男だと云う事実を思い知らしてやるのだ」
「後悔させて」ではなく、「後悔さして」であり、「知らせてやる」ではなく「知らししてやる」と書いてしまうところに、この人の本質がある。さうしてインテリげんちゃんならそう思っても絶対に書かないほんとうの本音を、この人はまるで芥川と対抗して都落ちしていた頃の菊池寛のように、マジで書いてしまうのだ。
紙の本
モラトリアムな寛多
2021/05/16 00:02
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひねくれまくった主人公・北町寛多にも、時おり親近感を抱いてしまいます。港の倉庫や場末の酒場の、鬱屈とした雰囲気も味わい深いです。
電子書籍
テレビでみてから
2014/05/06 16:12
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投稿者:天上大風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者の西村さんをテレビで見てから、興味をもち買いました。テレビでみた、空気感が作品にもでていました。下品ながらも面白いですが、私小説なのでネタ出し尽くしてしまってからどうなるんだろう。
電子書籍
いいですね
2012/07/21 20:51
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投稿者:Dat - この投稿者のレビュー一覧を見る
生きる手段の一つでもあるとおもいます
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芥川賞の受賞会見での受け答えがユニークだったので、相当期待して、この本を手に取った。あっという間に、読み終わる。ぐいぐいページをめくらせる。
なぜか?
独特の言葉のリズム、言い回しもさることながら、主人公・北町貫太のキャラの立ちっぷり。「私小説」と帯に書かれてはいるが、まさか、これが実話なわけないだろうと思いながら、読み進めた。読み終わって、ネットで作者の来歴を調べる。どうやら実話らしい。素直に驚きだ。
そして多分、作者・西村さんは、いろんな人からの賛辞を基本的に拒否するんじゃねえかなあと感じる。特に、私なんかダメだろうなあと。会ってみたいという想いと、拒否られるだろうなあというところで、多少揺れた。近いうちに会える気もするけど、そのときに備えて、ほかの作品も読んでみたい。
貫太の語りに、飽きるかもしれない。それでも飽きるまで、とことん付き合ってみたいと思わせる作家。同時収録「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」も秀逸じゃないか。まるで安吾みたいだ。だけど西村さんには、安吾にある甘えが感じられない。
久しぶりに、芥川賞作品で読むに値するものを読んだ。
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芥川賞受賞作。
北町貫多という本人の名前をイジッただけの、本人そのものと思われる人物の内面を全てさらけ出したような私小説でした。
自分についての内省を物語として面白く書きあげていると思います。これだけ明らかに本人という主人公の繊細な部分も全て恥ずかしげもなく晒すあたり、さすが、風俗へ行こうとしていたところで芥川賞の受賞連絡を受けたとマスゴミにさらっと言ってのける人物だと思いました。
苦役列車はこの方の小説が初めてだったことと、芥川賞という期待感が強かったのもあって、そこそこの印象です。
一方、同時収録の短編は非常に面白かったです。基本どちらも本人の思い出に少々盛って面白く書いてるだけっぽいのですが、自分でもわかってるんだけど、変えられない歪みという部分がわりと共感出来る人も多いのではないでしょうか?
これだけありのままを書くならば、芥川賞受賞後についても赤裸々に書いてくれると思うので、次の作品が非常に楽しみです。でも金入ったら小説書かなそうだから、あんまり売れない方が本人のためっぽい(笑
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芥川賞受賞時のコメントきいた時は、このオヤジは突然ナニ言いだすのか!!
と思ったけど作品読んだら単なる風俗オヤジでないことがわかった。
ダメ人間の刻印をギリギリ??のとこで回避できてる主人公の素行がおもろい。
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人の不幸ってのはやっぱ自分にとって面白い話なんですよ。
治太宰の流れをくむ正統派『俺性格悪いし人生やってられないぜ』作品、読みやすくてダメさ具合がリアル。
愛すべきダメな人。
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芥川賞を受賞した時のコメントが今までに受賞した人の中では
聞いたことがないし、それもかなり変わった発言だったので印象深かったので手に取ってみました。
『苦役列車』の他に『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』があります。
まずこれは今までに読んだことの無いタイプの小説の
私小説というのも私にとって新境地でしたが、
あまりにもいわゆる普通の生活という物が綴られているわけではないので
それだけでも驚きでした。
同じ人間なのにまるで異次元にいるような感覚でした。
貫多の父親が性犯罪者だったことから、
その引け目をいつも背負ってしまい
それまで希望に満ち溢れていたものからも切り離さらざるおえなくなってしまい何を努力しても人並みのコースは歩んではいけないと思っていました。
そしてしまいには自分にも犯罪者の血が流れているかと思い込んだりして、
犯罪者の家族というのは本当に残酷な人生を歩んでしまうのだと思いました。
貫多は何もしていないのに・・・
そんな貫多半分諦めかけ、孤独と貧困の中で生活をしていたある日に
彼にも生活の変化が訪れました。
青春時代からずっと孤独に生きていた彼にとっては、
同じ世代の友達と言えるような人がいなかったので、
友達と会う事で徐々に今までの孤独から解き放たれたように感じられました。
でも貫多は常に自分は人とは違う人間だと思い込んでいるふしがあるのでそこがちょっと物悲しい気持ちがしました。
私小説なので貫多は作者でもある西村さんの事だと思うので、
きっとこんな風に思いながらずっとこんな生活をしていたんだろうと思います。
中卒なので仕事もまともな物に就けず、大変な苦労をされて、
そしてただ美味しいお酒が飲める為に辛い仕事にも耐えて
想像を絶する生活と苦労をしたことが伝わります。
でも1つ言えることは本当に本が心の底から好きなんだという事が分かります。
所々に文学について私には到底分からない事が細かく書かれていて、
相当読み込んでいるなと思います。
そしてそれは文章中にも、現代文なのにどこか古めかしい言葉を使ったり、
難しい言葉や漢字も沢山出てくるので作家になれたことは
西村さんにとって本当は心の底から喜びたいのだと思います。
でも受賞した時のコメントがあんな風に言ったのは、
彼の引け目があったのだからだと今では思えました。
『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』の後半ではかなり破滅的な
書き方になっているので、この人はこのままで大丈夫なのか?とも思いました。
中卒なんて関係ないし、彼の生い立ちも何も関係ないです。
こんなに素晴らしい作品が書けるのだから、
これからはもっと自由に羽を広げて、
新しい作品をどんどんと生み出して欲しいと思いました。
これからの作品が楽しみな作家さんだと思います。
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今年の芥川賞受賞作。中卒の主人公・貫多は物流倉庫で働く日雇い。父は性犯罪者という過去を持つ。母は離婚し、貫太は中卒のまま日雇い労務者となる。こらえ性のない性格と暴力癖。性犯罪者の子供というレッテルを憎悪しながら怠惰で投げやりな人生がダラダラと続く。九割が著者自身のことだと言う今時珍しい私小説。客観的に自分を見る目、独特の文体もおもしろい!切なくて、泣けて、癒される小説が好きな人にはお薦めできません
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主人公の北町貫太をあまり好きになれない。
が、何か自分の心の底にある嫌な部分をくすぐられるような感じがした。これが私小説だというのだからすごい。
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こんなに汚い内容の文章を書けることが中卒であることの財産。こういう風に暮らしてる人もいる。今の生活は幸せなんだと感じた。
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最近では珍しい私小説の作家ということで。
おそらく読むこともないとは思うのですが、とりあえず。
かつての私小説は作家のすざましいまでのダメダメぶりに一種の本質や美を見出し鑑賞するという感じだったと思うのですが、
現代の私小説に対してはどことなく、身につまされるというか、シンパシイを抱きつつ読むのではなかろうかと思えます。
ぼくも含めて、日本じゅうみんなけっこうダメ人間?
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友もなく、女もなく、一杯のコップ酒を心の慰めに、その日暮らしの港湾労働で生計を立てている十九歳の貫太。或る日彼の生活に変化が訪れたが……。こんな生活とも云えぬような生活は、一体いつまで続くのであろうか――。昭和の終わりの青春に渦巻く孤独と窮乏、労働と因業を渾身の筆で描き尽くす表題作と「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を収録。
第144回芥川賞受賞作
記者会見を見て「面白い人だなあ」と思い、読んでみました。書かれている内容は決して軽くはないのですが、文体が淡々としていてすらすら読めました。
主人公の北町貫多は何だか可愛い。これがダメな人に惹かれるって感覚なのだろうか(笑)生い立ちなんかは全く違うのに、ひとに対する僻みとか、何かしら行動したあとの後悔とか、共感しました。