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紙の本

「不可能ゆえに確かなり」

2011/03/28 20:52

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

「不合理ゆえに吾信ず(Credo quia absurdum)」という言葉がある。埴谷雄高がその著書に用いたことで知っている人も多いだろう。これは古代の神学者テルトゥリアヌスの言葉として知られているのだけれど、じっさいは彼の著作にこの言葉はないという。

カナダの作家エリック・マコーマックの「ミステリウム」には、「不可能ゆえに確かなり(Certum quia impossibile)」という警句が二度ほど出てくる。これを見たときに私は、有名なフレーズ「不合理ゆえに吾信ず」のパロディとしてマコーマックが創作したものではないか、と考えた。しかし、訳者の増田まもる氏が調べたところ、テルトゥリアヌスの著作に「不可能ゆえに確かなり(Certum est quia impossibile est)」があることを確認し、逆に「不合理ゆえに吾信ず(Credo quia absurdum)」というのは「不合理ゆえに信ずるに足る(Credibile est quia ineptum est)」が誤って伝えられたものだとわかった。通説とされているものが時に根拠の薄い俗説だった、ということはままあるけれど、マコーマックを読んでいてそれを体験するとは思わなかった。しかし、これはマコーマックが意図的に埋め込んだトリックの可能性が高い。マコーマックとはそういう作家だからだ。

本書は「奇想現代文学ミステリ」という惹句をつけられたマコーマックの第二長篇となる。ミステリーという言葉の語源となったラテン語のミステリウム(秘密、秘儀)をタイトルにしているように、ある町で起こった事件の真相を究明することになった新聞記者を主人公とした、ミステリーの体裁をとった作品となっている。

主人公は行政官からとつぜんの連絡を受け、キャリックという町に住む薬剤師が書いた手記を受け取る。そこにはキャリックに「植民地人」が現れてから、町の記念碑が破壊されたり、墓地が荒らされるなど、静かな町に次々と異様な事件が起き、さらには殺人事件が発生し、ついには町の住人が死ぬまでしゃべり続ける奇病におかされ、次々と死にゆく理不尽な惨劇へと至る様が記されていた。主人公が町に到着したときには、一人をのぞいてすべての住民がすでに奇病に罹っていた。

全住民が死につつあるこの町で、いったいどうしてこのような破滅的な帰結がもたらされたのか、主人公は死を目前にした住民たちからなんとかして話を聞き出し、真実を探り出そうとする。そこで浮かび上がるのは、小さな町の意外な血塗られた歴史だった。

こうしてみると非常に魅力的なミステリらしい導入部だけれども、そこはマコーマックなので、もちろんふつうに謎を解いたりはしない。いや、主人公は真面目に真実を追究しようとするのだけれど、つねに周りから冷や水が浴びせられ、繰り返し違う口から、「真実を語ることができるのは、それをよく知らないときだけだ」という台詞を聞かされることになる。そこからは現代文学の作家がミステリ風を書くとなると、当然こうなるというメタ・ミステリ、アンチ・ミステリの展開を辿る。ここでは、ある一つの因果関係、ありうべき動機といったミステリ、推理小説がふつう前提している枠組みそのものがずらされていく。

作中、フレデリック・デ・ノシュールなる人物の「一般犯罪学講義」という架空の議論が紹介されていて、そこではクリミニフィエ、クリミニフィアン、クライミュ、という用語が使われているけれどこれは明らかにソシュール言語学(シニフィエ、シニフィアン、シーニュ)のパロディで、以下構造分析がどうとか差異の体系とか、ポストモダン思想のパロディが繰り広げられる部分は微苦笑を誘う部分になっている。主人公には訳のわからない議論と見なされているけれども、ここでいわれる「犯罪の性質は恣意的」で、捜査官の記述そのものが精査の対象にされるべきだという文言は、この作品のメタ的な仕掛けとパラレルだ。

なかでも挑発的なのは、謎の言語なり逆さ言葉なり、真面目な話に罵倒文句なりを交えないと喋れない症状を呈しながら、主人公が一通り話を聞くと皆タイミングよく死んでいく住民の奇病だ。あんまりにもご都合的で胡散臭いこの症状は、ミステリでふつう行われる事情聴取の様子を徹底して馬鹿にしている感がある。作品全体から、「虚構の中で、真実だって?」と呆れられているような印象だ。訳者増田氏がいうとおり、『世界には真理などなく、本質的に無意味であって、そこに真理をみいだし意味を与えようとするのは、私たち人間の業である』というような認識を、真実を見出そうとするミステリの徹底して冗談じみたパロディとして語るのがマコーマックだ。これと関連して、最後に言及されながらそのまま放置されるある謎の答えらしきものが、じつは冒頭にすでに書き込まれていたのに気づき、その意味するところを理解したとき、読者は「やられた」、と思うだろう。

ただ、こうしたアンチ・ミステリの仕掛けというのもこれはこれで手垢が付いて凡庸になりかねないものなのだけれど、意外な事実が判明し、それがまた絡み合っていき、複雑な町の歴史を描き出すミステリ部分が普通におもしろいのと、マコーマックらしいブラックユーモアあふれる奇想短篇的なエピソードがちりばめられ(「片脚の炭鉱夫」はこれまでの邦訳すべての単行本で出てくる)、ドライな不条理世界が楽しめる。

アンチ・ミステリと書いたけれど、むしろアンチ・フィクションと呼ぶべきかもしれない。フィクションが、自身を真実であるかのように語るものであるとすると、マコーマックは、自身を徹底して胡散臭い信用できないものとして語るという手法をとっているからだ。マコーマックの作品は、いってみれば悪ふざけのような冗談、法螺話という印象を与える(R・A・ラファティのような法螺話を語る作家の系譜を想起させる)。「不可能ゆえに確かなり」という自己矛盾的な警句とそれを巡る俗説と事実の絡まりはこのとき、マコーマック的状況そのものとなって読者の前に現れている。

元記事
Close to the Wall

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