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4 件中 1 件~ 4 件を表示

紙の本

これでもか、とまで調べられたSFファンタジー作家の生と作品

2011/07/02 11:49

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る

 レイ・ブラッドベリの小説のつくり方の特徴は、短編を執筆する際の早さ(毎週、1編は書いているという)とかかわるが、まずインスピレーションの重視があるようだ。あるエッセイで、彼はこう書く。《素速さ、のなかに真実はあり。さっさと早書きするほど、正直に書いていられる。その逆に、思考は逡巡のなかにあり。手間をかけると、文体をひねくることになる。真実に飛びかかるものではなくなる。》
 またこのブラッドベリ伝の著者、サム・ウェラーはフェリーニに近づけて、作家のことを次のように記す。《潜在意識にまかせろ――がむかしからレイの信条だった。あれこれ考えるうちに、分析やあと知恵による批判が生まれる。「芸術家はそれをしてはいけない」とレイは警告する。》
 ブラッドベリは時間をかけ、文章を彫琢するタイプではなさそうだ。また長編をじっくり書き抜く作家でもない。その初期に遠く彼方で彼の著作を読み、やがて親交を深めた美術史家バーナード・ベレンソンは、《ブラッドベリのなかに、芸術と創作への情熱を分かちあってくれる若者を見いだした》。ウェラーは特に指摘していないが、ベレンソンは短編小説への好みがあったのではないだろうか。《ベレンソンの見るところ、レイの最大の長所はこの愛を簡潔に表現する能力だった。》
 ブラッドベリの熱心な読者にとって本書は、彼の足どりを逐一確かめるために楽しい読み物に違いない。だが私のようにこれまでほんの一握りしか読んでいないものにとって、つまりほとんどブラッドベリについて知らないものにとって、この本は別種の楽しさを味合わせる。知らない人生と膨大な作品、ただしどこか関心があった存在のすべてを時系列で確認させてくれる書物なのだ。
 その若き日からブラッドベリが、どんな小説を書き(ファンには周知のことなのだろうが短編が中心で、長編も短編から生じたもの、短編が集積したものが多いことを知った)、どんな風に認められ、雑誌に掲載され、初めての本を出し、ということが「年代記」として、これでもかというくらい精密にたどられる。各作品がどのように面白いのか、解き明かしている(おかげでこの本を読んでいる途中から、いくつかの小説を読みたくなり、読み終わったあとに、長編『何かが道をやってくる』をはじめ、かなりの短編を読んでしまった)。
 またどんな風に生涯の伴侶となる女性と出会い、彼女との家庭生活はどうであったかということも、相当につっこんだ部分まで調べられ、書かれている。本書の「謝辞」には、ブラッドベリ本人を筆頭に、原著上梓の少し前に亡くなった夫人、そして四人の娘ほか多くの、著者が取材した人たちの名が連ねられている。たとえば《何百時間にもおよぶ会話》と著者は夫人と対話した時間にふれており、半端ではない。
 公認の伝記というものの意味が痛いほど分かる。結局、公認の伝記とは、書かれるかもしれない非公認の伝記に対して、あらかじめ防御の真実を張ろうとするものなのだろう。それは一応他者としての伝記作者が、ある客観性をもって語るので、自伝とも異なる。
 訳者のあとがきには、《批評性を発揮するよりも、エピソードの紹介に重点を置いて》おり、《悪くいえば提灯持ち》と本書への印象が語られている。だが徹底して事実を追ったことで、期せずして一種の批評性がそなわっている部分がないとはいえない。
 私が特に関心をもったのは、ブラッドベリの映画とのかかわりである。ここには一通り、それが書かれている。残念ながら彼の映画とのかかわりは失敗が多い。もともと彼の小説が映画向きではないのかもしれない。またブラッドベリの安易な映画界への接近(たとえばヒューストンからの『白鯨』脚本化の依頼に応じたこと)には疑問を感じる。
 この時期のことを後に『緑の影、白い鯨』という長編に書いているが、たぶん読まないだろう。ヒューストンの映画自体が全くつまらないことも原因している。
 ブラッドベリが映画にくちばしをはさめるようになると、事態はもっと悪くなる。『何かが道をやってくる』映画化に際し、ロバート・レッドフォードが主演したギャツビーの映画を夫婦でいいと思い、ジャック・クレイトンを頑固に推薦し、大失敗する。プロデューサーも無能だったのだろうと推測する。
 スティーヴン・キングも映画ファンだったが、自分が書いた『デッド・ゾーン』の脚本は話にならないものだったらしく、監督によって却下された。キングの脚本はアメリカの大統領をめざす悪党を大きく焦点化したものだった。クローネンバーグの見事な判断と演出により、結果的にキングの映画化では水準の高い映画が出来上がった。
 小説家は下手に映画に手を出さないほうがいい。フィリップ・K・ディックは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の脚本に不満だったが、特に映画にかかわりをもたず、『ブレードランナー』は傑出したSF映画となった。
 数々のブラッドベリ映画化の失敗とくらべれば、相対的にテレビの『レイ・ブラッドベリ・シアター』は成功したと言えるかもしれない。まとめて放映してくれれば嬉しいのだが。



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2011/04/20 21:58

投稿元:ブクログ

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2011/07/26 10:48

投稿元:ブクログ

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2012/10/14 06:06

投稿元:ブクログ

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