投稿元:
レビューを見る
本書は、
・原発が日本に定着していく経緯を時系列に沿って振り返った「戦後史」である
という点が最大の特徴。
唯一の被爆国であり、憲法によって戦争放棄した日本が、
原子力の平和利用という名の下、原発大国へと大きく変化していったのはなぜか、
という疑問に答えてくれるのではないかという希望を持って読み始めた。
全体の構成は、
・ゴジラや鉄腕アトムの登場する「文化史」
・初代の科学技術庁長官を務めた正力松太郎と首相に登りつめた田中角栄が関わった「政治史」
・原子爆弾の開発者であるオッペンハイマーや卓越した数学的センスを武器に時代を駆け抜けたジョン・フォン・ノイマンに代表される「科学史」
・輝く未来を提示した大阪万博やJCOの臨界事故を扱った「社会史」
・清水幾太郎や高木仁三郎に触れた「思想史」
などが、時系列に沿って議論されている。
原発問題の難しさは、科学や経済の議論を越えたマクロな話から、
日常生活の実感に基づいたミクロな話まで様々な語られ方がされ、
立場が違うと議論がかみ合わないこと。
推進賛成派であっても反対派であっても、
便利な生活という意味でその恩恵は受けているし、
事故が起これば、被害から逃れることはできないので、
すべての人が当事者だということから来ると思う。
「どうしてこんなことになってしまったのか」
という問いにたいする答は、決して短絡的に求められるものではなく、
本書を読んで、日本の戦後史を振り返り、
原発の歴史を理解した上で、
「二度と歴史を繰り返さない」
という覚悟を決める必要があるのではないか。
新書にしては、まれに見るボリュームの本書を読みながら、
そんな思いを強くした。
投稿元:
レビューを見る
岩田先生のブログで「必読」指定ありのため、購入。
スイシンとハンタイをカタカナ書きで表記し、
なるべく政治的立場から距離を置いて書こうと努力しているところに好感が持てる。
原発を巡る歴史的ないきさつについて、丁寧に叙述しており、世の中に対する見方が変わった。そういう本はなかなか貴重である。
その反面、その中立的なスタンスが、他人事のように響くところが気になる。
原発について語ることの難しさを痛感。
投稿元:
レビューを見る
もしも核の「効用」があるとすれば、それは万人に利用できるものであるべきだし、そうでないならまず弱者を救済するものでなければならない。弱者にしわ寄せをもたらしつつ成立している原子力利用の現状は明らかにおかしい。
投稿元:
レビューを見る
年代ごとに点で特定の人間や説を追って考察しているので、
個別には深いのかもしれないが、全体の流れや、他の視点での見方
少ないので、総合的な理解には繋がらないように思えるし、読みづらい。
広島・長崎で被爆した日本にどうやって核が浸透していったか。
そこにはアメリカの政治的思惑があり、冷戦の影響が大きく見えた。
原油がないのとの同じく、原発も他国に依存しなければならないのであれば
踏みとどまってくれればよかったのに。
ゴジラが核実験から生まれたこと、アトムが冷静時代や、
科学技術の未来を暗示していたこと。
話としては面白かったが、学術的な展開から疲れる。
先端技術は持て囃されども。
放射性物質を健康にいいとして人気が出たことや
原発推進を大々的に行った新聞社など、マスコミが犯した大罪も遺憾だ。
科学的な論説ではなく反核運動の論説になっている。
原発誘致は過疎地を運命づけられ(周囲の放射線の危険を考えれば)
大した雇用も生まず、それどころかその危険性から雇用すらできない。
現場で働く人間が使命感からではなく、「弱者」が雇用されている。
大した知識もなく研修もされない。そんな現状に驚いた。
原子力的日光。
確かに的確な表現だ。
核の光と影。
投稿元:
レビューを見る
3月11日よりも前、2002年に出版された「『核』論」に、3月11日以降の原発問題に関連して著者が話したことを「二〇一一年論」として加えて5月に出版されたもの。
横柄な良い方になってしまうが、ぼくが今まで原発に関する報道等について、ずっと感じていた違和感を、「二〇一一年論」がすべて明文化してくれている。原発問題について口にする前に、一度は読んでおかなければならない一文だと思う。
一方で、原子力について、自分がどれだけ知ったつもりになって考えていたのか、どれだけ一面だけを見て考えていたのかを実感したし、自分の不勉強を本気で恥じている。
投稿元:
レビューを見る
人名、引用が多くてなかなか頭に入って来ない。でもなるほど…と思わせられるところも結構あった。ゴジラ見てみようかな。
投稿元:
レビューを見る
核については、サンセイ派とハンタイ派のヒステリックな対立こそが問題と述べられている。
サンセイにもハンタイにも寄らずに現状をとらえたいとの意欲作でおもしろいけど、難しかった。
投稿元:
レビューを見る
先に「原発報道とメディア」を読んだんですが(なかなか手に入らなかった)、こちらの方がよかった。歴史の縦糸と横糸をきちんと編んで現在(というか311前)に至った道を明確に見せてくれます。これを読んで、どうして今回の福島第一原発事故が地方社会の荒廃と直結しているのか、よくわかりました。今に生き、今後を考える僕達全員にとって必読の一冊だと思います。
投稿元:
レビューを見る
読み終えた充実感を感じる、深みのある本でした。
原発はただ廃絶すればいいものではなく、どうしたらいいかを深く考えさせられる内容でした。
投稿元:
レビューを見る
主語の大きい空論だった。
『ハンタイ』『スイシン』とカタカナ表記するセンスにも苦笑するだけでいいが、メルトダウンが明らかになった時点で前書き書かれていることとの殆どが失効してしまう残念感。
また、ハンタイ派によって幾つかの問題解決が阻害していると主張しているものの、実証的に因果を証明していない。ハンタイ派には立証を求めているにも関わらず。
このような自己の立証を放棄して他者にはそれを求める自称中立にありがちな非対称が本書をして空論となしている。
実際に『人の声』が出てくる1974年論はそれなりに読めたが、その他は読めば読むほど苛々だけが募った。
投稿元:
レビューを見る
大戦直後から今日まで、原子力に対する世の中の認識の変遷をたどって、その時代に出てくる米軍人から政治家、社会学者などの思想が紹介されている。「スイシン派」と「ハンタイ派」の二項対立を調停し、膠着を打開したいという筆者の目標は、なかなか達成困難というのが読後の正直な感想。信じる神が違う「宗教」間の対立に近い。
投稿元:
レビューを見る
核という難しい問題を、木を見て森を見るように書ければいいのでしょうが、どうやら、木にあたる部分は、量子論など難しすぎてモヤがかかって見えにくいようで。じゃぁ、森を見ようとすると、あまりに果てしなく入り組んでいるようで、それらを単純化してしまうのも、本質からかけ離れてしまうから、著者はそうはしていません。では、この本はどうやって核の問題を論じているのでしょう。1954年論というところからはじまっていきます。つまりは時系列で、そのときそのときの社会の方向性、空気を捉えながら、原爆以後に始まる核というものに対する日本人の意識の変遷をたどったところもあり、権力を持つ個人の志向や打算などが政治的に働いていった様を見つめたところもある。過去の重要な点々をおさえることで、疑問を持つことなく眺めてきた現実の色が変わって見えてきます。ちょっとしたパラダイムシフトを、過去を忘れた多くの人々や、若い人たちは受けるでしょう。それだけ、みんなの現実認識ってかなり操作されたものだということのようです。
投稿元:
レビューを見る
「原子力的な日光の中で陽なたぼっこをしていましたよ(We just been basking in the atomic sunshine.)」
ホイットニー准将が日本国憲法の草案を日本政府に迫ったときに芝居がかって言った台詞である。原爆の力を想起させる言葉で圧力をかけたのだ。私たち日本人は敗戦から66年後に今またこの原子力的日光の存在をまざまざと感じている。この原子力的日光はあの時からとぎれることなく、この世界に降り注いでいたのだ。
この本の著者は、上記の言葉がきっかけで核の脅威についての本を書こうと思ったということだ。著者本人もあとがきで書かれているように、核・原子力については、複雑な問題が絡みあい、ひとことで推進・反対と結論を出せるものではない。
東電や政府の対応には確かに問題はあったが、事故に直面して対応しているのも彼らなのだ。彼らに頑張ってもらうしかないし、監視や批判と共に、応援、感謝もしなければならないと思っている。
3.11後に感じたのは、レッテル貼りの恐ろしさだ。スイシン、ハンタイ、ムカンシン、トウデンノニンゲン、こうしたレッテル貼りは個人をないがしろにし、個人の存在まで否定しはじめる。これは自分への戒めでもある。そういう考えは無意識に日常的な問題の中にも潜んでいるからだ。
”『原子力の社会史』の中で吉岡斉は自分の電力業界に対する立場を「非共感的」と形容している。非共感的とは、あらかじめ敵対するわけではないが、批判的な立場を取るというものだ”……著者は吉岡斉を引用して自分の態度を「明らかな推進派・反対派のどちらを向いても共感できない状態において原子力に対峙しなんとか活路を見出そうとする立場」と表明している。緊迫した状況においてはいささかぬるい立場といえるかもしれないが、私もこの考えに共感するところがある。
今日では原子力に対する一般市民の科学的な思考はかなり高まってきている。感情にまかせるのではなく理性的に考え行動することができる人たちは、科学的な情報を自分なりに仕入れ自分の立場を決めそれに従って行動し始めている。ネット社会は発達していなかったならば難しかっただろう(ネットの情報を活用するにもそれなりの知識と経験が必要だが)。無目的にマスコミの情報やデマを信じる人は若い世代を中心に少なくなってきているはずだ(と思いたい)。
今の状況は陽なたぼっこなどという生やさしい表現はあてはまらない。
私たちは「原子力的日光の中で人生をSURVIVEしなければならない」状況にいるのだ。
*****
この本は、2002年出版の増補版として3.11以後に出版されました。その際にタイトルも変わりました。著者の得意なフィールドでサブカルチャーからの論点が多かったです。原発大国に進んだ戦犯を探すような本でなく、原発大国にすすんでいった時代の空気や大衆のムードに着目して書かれています。実際的な原発大国へ進んだ理由や背景などが知りたい場合は、他の書籍を参考にしたほうがいいかと思いました(タイトルと思ってた内容が自分は違ったので)。
投稿元:
レビューを見る
一つ一つの事実を丁寧に積み上げ、しっかりと解釈していると感じさせる「核」論の書。歴史的な流れを理解するには良い著作なのかもしれないが、私のニーズにはマッチしなかった。文章が読みづらい?
投稿元:
レビューを見る
原発が日本に存在するに至った背景が書かれています。
驚いたのはウランブームの初期、体にいいとされていたこと。
ラジウムドリンクを飲んだり、お風呂に入れたり、畑に撒いたり。
偏った情報が流されていたとは言え、原発を選択した背景があるわけです。なので、一概に原発を建てたことが悪い!とは言えないわけで。
反原発にしろ、原発推進を語るにしろ背景を知ることが大事ですね。
過去があるから今がある。