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・周辺情報。どのような時勢の流れの中で原子力行政が進められてきたのか。
・軍備と原子力、電源三法による過疎の規模の固定
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第二次世界大戦における被爆国でありながら,原発を推進することになった経緯が詳しく書かれていると思います.
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今の原発における現状までの経緯を分かりやすく解説してくれる一冊。戦後日本社会では技術的な豊かさを得たものの、心の豊かさを得るまでは至らず、そのことが今につながる。原発には未知の部分が未だに多く、すべての要素をもって議論することは不可能との見解から筆者は最終的に佐伯の『「きめ方」の論理』から、しっかりした情報収集をもとにいくつかの方策を柔軟に取り入れていくという極めてまともな結論に至る。原発推進派と反対派の共倒れの言論をゲーム理論から説明したり、原発関係の本のを読んだ経験が少ない自分にとっては内容が充実しているように感じられた。
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日本が原発大国になった流れを、戦後の復興から歴史的イベントにからめつつ述べた本。
各章が各論のようになっていて、総論としては中立的な立場をつらぬいていて面白いんだけど
物語的語りが多くて事実関係を追いにくい。
あらかじめ歴史的事実を知っていないと難しいかもしれない。
原発の話というよりも、表紙にあるように「核」論という感じ。
推進派・反対派双方の意見を客観的にみているという点で興味深い。
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戦後日本の核利用を追った本。
裏にあった政治力学なんかも伺えて面白かったが、知らん人ばかり登場して読みづらい。。。
個人的には1974年論の電源三法交付金の話と2002年論のノイマンの話がスイスイ読めて面白かった。
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武田さんの著作はジャーナリズムを勉強するものとしては、個人的には、いつもわくわくさせられながら読んでいる。人文系の理論的なバックボーンを背景にしつつ、ジャーナリズム的実践を行うその記述スタイルは、僕自身が最も理想的であると思う、ジャーナリズム・スタイルだから。
今回のこの本も、もちろんそのような形式にはなっていて記述スタイルなどで大変勉強にはなったのだが、あとがきで武田さん自身が「この本は失敗だった」と宣言しているのが「えっ」と思ってしまった・・・。内容的には「あたりまえ」の事実ばかりということだろうか。
それでも、僕のような原発や原子力政策に対して全く何も知らない人間には学ぶものが多かった。本書は、戦後から現在までをディケイドで分別し、それぞれの時代の「核」論を記述していくというスタイルになっている。「1954年 水爆映画としてのゴジラ」と「1965年 鉄腕アトムとオッペンハイマー」の章が大変面白かった。
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この本は書評するべきものではない。しっかり歴史を見つめ、そして今何を考えるのか、単なる原発反対、推進でなくもっと本質的な議論が求められている私達が必要としている膨大な情報がこの本に含まれている。多くの人に読んで欲しいし、正しく理解して欲しい。
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はっきり言って、この人の本は、とても読みにくい。文体としても、内容としても。
著者は、原発スイシン派でもなく、ハンタイ派でもない。そのどちらに対しても「非共感的」に感じている、と著す。
スイシン派の引くに引けない状況。
反対派の過剰なまでの拒否反応。
その折衷案を模索して震災から2年が経とうとする。
その折衷案を考えるときに、まず読まれるべき本だと思った。
エネルギー源として原発は必要不可欠であるという推進派。
彼らの隠蔽体質は目に余るものがある。
しかし、当初「原発は完全になくすべきだ」として、頭ごなしに反対していた反対派も、思考停止状態といえるのではないか?
原発は危険だ!と訴えすぎることによる弊害もある。就労職員の核に関する知識の低下。労働のモチベーションの低下。スイシン派の隠蔽体質を作り上げもした。
危険なものでも、突然姿を消してくれるわけではない。
平和的に終息するために、議論がなされるべきだ。
それなのに、国家は、なし崩し的にスイシンへと向かおうとしている。
反対の「やり方」が、問われるときだ。
まず、原発を知ること。核を知ること。民主主義を知ること。アメリカを知ること。冷戦を知ること。倫理を知ること。学問を知ること。未来を模索すること。
原発は、本当に、複雑な要素が絡み合った問題だ。
それをほどいてくれるわけではないが、その手助けになる本かもしれない。
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アメリカは、1955年に濃縮ウランを提供し、将来の発電用原子炉についても援助することを打診してきた。当時、濃縮工場の建設するには莫大な予算が必要で、米ソ以外には難しかった。濃縮ウランを提供することによって、軽水炉技術の提供も可能になり、発電という国家の生命線を掌握できる。濃縮ウランは貸与の形で提供されるため、兵器への転用も抑え込めるというシナリオだった。
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ボクは原発問題を核兵器の問題と絡めて論じることには懐疑的である。例えば「唯一の被爆国」であることが、日本の原子力政策に影響を与えるべきことなのか?しかし、もし多くの人がそこに通底するものを見ているならば、その考え方を知るのもムダではないだろう。
増補版として、2011年論が新たに加わった。ハンタイ派v.s.スイシン派の不毛な対立が、かえってリスクを増大させていることには全くもって同感。ただ、本書の内容から離れるが、、、この手の収拾不能な二項対立はよく見られる現象。そこで仮説
⇒ヒトの認知的基盤、または社会構造の中には、論点を単純化して二項対立する傾向がビルトインされている。従来、だらだら考えていないで不確実な状況下で行動を起こせるという観点で、こうした議論の単純化が適応的だった。マスメディアの発達、民主制の発展、科学技術の進歩に伴う(?)不確実性の増大が、従来は適応的だった反応を危ういものにしている。
原子力のような先端技術は不確実性が高く、事故時のインパクトの大きさもあいまって、情報不足を無視して推論するほかない。イデオロギーがぶつかり合うことになる。
電源三法についての指摘は重要。原発がある限り過疎でなければならないし、労働力を原発に吸い取られて他の産業は育たない。原発による地域振興は、痛々しい幻だ。
高木仁三郎。チェルノブイリを受けて、事故確率の計算に潜む落とし穴を分析している。重畳型、共倒れ型、将棋倒し型。福島第1は共倒れ型か。しかし高木は「運動」に傾斜して、科学に立脚した安全策の検討から離れてしまう。
著者は、JCO臨界事故の背後にも原子力への逆風を見て取る(少しこじつけ気味ではあるが)。
核兵器開発につながるから原発に反対するというのは多少無理がある議論と思う。製鉄もやめれば銃も刃物も含めて根絶できるが。。。ただし核拡散との絡みは無視できないので、一筋縄ではいかない。