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原発「スイシン派」の人も、「ハンタイ派」の人も、どちらでもない人も、今一度なぜこのような状況に日本が至ったのか、見つめなおすには最良の書だと思います。
福島原発の現状を鑑みて、東京電力を責めるのは容易いことかもしれません。だけど彼ら”だけ”の責任でもないのも事実なのではないでしょうか。
もはや、日本人は原発問題に関して無自覚でいることはできないと感じています。
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戦後史の中で、原発はどんなもの、役割を果たしてきたのか?
ゴジラ、鉄腕アトム、大阪万博・・・。
なるほどぉー。こういう切り口で考えてみる目線も必要だなぁーと実感。
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漠然としたイメージ、マスコミの喧伝、何となくの感覚に翻弄されて、ただ闇雲に賛成・反対と思ってしまうのが嫌で手にとった本
日本が原子力発電を手にする歴史的経緯と、これまで論じられてきた数々の言論を紹介しており、一冊としては極めて中立的なまとまりを見せている、と言った印象でした
読み終えて、「賛成ですか?反対ですか?」というのはいかに愚問であるかと思うようになったこと、エネルギー計画は時に戦争を起こすほどに重要な問題であると認識したこと、とりあえずトラブルが起きた時の政権を批判してるだけではいけないってこと、が大きな収穫
大量のエネルギーを消費して暮らす社会の一員として、いざというときにしっかりと考えを話せるようにはなっておこう
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「核」論の「各」論という洒落に合わず真面目な内容。
内容が盛り沢山で重いため、読後感は大きい。
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どのような歴史を経て、日本が今の原子力大国となったのか?
それを社会論、政治論、科学論、報道論 etc... から書かれています。
「スイシン」「ハンタイ」の立場を超えて均衡点を探すために、お互いにおかしい部分・目を逸らしてきた部分を見つめ直さなくてはならないと思う。そのためのきっかけに最適な本。
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企画コーナー「今、原発を考える時」(2Fカウンター前)にて展示中です。どうぞご覧下さい。
貸出利用は本学在学生および教職員に限られます。【展示期間:2011/5/23-7/31】
湘南OPAC : http://sopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1595430
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我が国の原子力政策についてその歴史的な俯瞰を示してくれる。
文庫版後書きについて消化不良を起こしているのだけど、原子力政策に根付いているこの国の業の輪廻や民族に根付いているのかもしれない何かについて考えさせられる。
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原発関係でso far最も得心がいった本。実に良くできている本である。様々なキーワードが本書に修練していき、最後に原発像が時間と空間的な様相のなかで明らかになっていく。Abby roadを本にしたような収斂である。
原発はアメリカである。終戦であり、原爆であり、白洲次郎であり、ホイットニーであり、正力松太郎であり、第五福竜丸であり、ゴジラであり、小島信夫であり、土光敏光であり、読売新聞であり、オッペンハイマーであり、人形峠であり、鉄腕アトムであり、万博であり、ニーチェであり、大衆である。ハンタイ派であり、サンセイ派である。シュンペーターであり、イノベーションであり、マスターベーションであり、レボリューションである。田中角栄であり、柏崎であり、福島である。清水幾太郎であり、大江健三郎であり、もんじゅであり、JOCである。ノイマンであり、ゲーム理論であり、中曽根康弘である。こうして私たちは原発大国を選んだのである。絶対読んだ方が良い。
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日本でどのように原発が受け入れられてきたのか、関連のある世界の出来事も含めながら政治や社会の流れと一緒に解説する。
自分が生まれた後の時代について書かれたのはたったの三分の一。
それ以前から原子力は使われてきたし、広まってきた。
その時の社会の雰囲気はこういう本でしか知ることが出来ない。
その時代を知ることで多少は何かがわかるのか。
大阪万博の時代、原子力とは未来を示すシンボルだったという。
「この電気は原子力発電所によって作られています」
現在の日本だと、嫌悪感があるのだろうか。
3月11日以前だと「当たり前でしょ」という感じだろうか。
当時はそれが「未来」そのものだったようだ。
時代によって価値観は変わる、ということをまじまじと見せつけられる。
導入当初はきちんとした知識も無いままどさくさ紛れのように導入された、という印象を持った。
現代でもそれは何も変わらない。
事故が起こった今でも原子力、原発の知識がある人は大して増えていないし、その知識を国民全体で学ぼうという話も聞かない。
今後も本書にある1970年代と何も変わらないのだろう。
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本書はその題名が語る通り、戦後日本人がなにゆえ原子力を選び、それに夢を託してきたかを跡づけたものである。日本でかつて、ウラン探しをということで、放射能フィーバーが起きたこともあった。ラドン温泉のように、放射能は体にいいのだとさえ言われた時代があったのである。これはぼくも記憶がある。中にはプロトニウムを飲んだ人もあったそうだ。そして、あの1970年の大阪万博の明かりをつけたのは、敦賀原発だったという。当時ぼくたちは、なにも知らずに原子力の日だまりの下にいたのである。田中角栄の日本列島改造論は、都市集中化に対する過疎地の開発を求めたものだが、それは原発の誘致を含んだものでもあった。武田さんは原発スイシン派に対しては敵対しないものの「共感できない」タイプである。しかし、またハンタイ派に対しても、批判的な姿勢をもつ。たとえば、反原発運動の高まりは、原発作業員の士気を低めたり、質を低下させ、JCOのようにウランの怖さを知らない作業員を死に追いやったりする、と言う。しかし、そうだろうか。それは、危険なものを危険だと知らせない雇用者の責任であり、それを反原発運動にも責任があるというのはおかしいのではないか。むしろ、反原発運動をするものは素人集団だと高をくくり、危険に対する備えに線引きをしてきた御用学者らを責めるべきではないだろうか。
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11/06/01。冒頭の「2010年論−新書版まえがきにかえて」をちら読みしたが、極めてまっとうな大人の見解。不安を煽る人たち、闇雲に安全を叫ぶ人たちが忘れているものに視点を当てている。読む前から★5つ。
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日本の核開発の歴史を散文的に解説。各賞に論旨がとっちらかっている印象だが、トピックとしては興味深いものが多い。ただ、反原発運動家にも事故の遠因があるというのは暴論であると思う。
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今だからこそ、日本が原発推進を選んだ経緯を知りたい、という人にはおススメ。賛成派、反対派、どっちかに寄ってないところもGood.
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堅い文であちこち話が跳ぶので、かなり読みづらかった。様々な視点から核の来歴を学べるのはたしか。ただ3*11以後に足した文は浅い感じ。ゴジラと核の関係の話は個人的に興味深かった。
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本書は、
・原発が日本に定着していく経緯を時系列に沿って振り返った「戦後史」である
という点が最大の特徴。
唯一の被爆国であり、憲法によって戦争放棄した日本が、
原子力の平和利用という名の下、原発大国へと大きく変化していったのはなぜか、
という疑問に答えてくれるのではないかという希望を持って読み始めた。
全体の構成は、
・ゴジラや鉄腕アトムの登場する「文化史」
・初代の科学技術庁長官を務めた正力松太郎と首相に登りつめた田中角栄が関わった「政治史」
・原子爆弾の開発者であるオッペンハイマーや卓越した数学的センスを武器に時代を駆け抜けたジョン・フォン・ノイマンに代表される「科学史」
・輝く未来を提示した大阪万博やJCOの臨界事故を扱った「社会史」
・清水幾太郎や高木仁三郎に触れた「思想史」
などが、時系列に沿って議論されている。
原発問題の難しさは、科学や経済の議論を越えたマクロな話から、
日常生活の実感に基づいたミクロな話まで様々な語られ方がされ、
立場が違うと議論がかみ合わないこと。
推進賛成派であっても反対派であっても、
便利な生活という意味でその恩恵は受けているし、
事故が起これば、被害から逃れることはできないので、
すべての人が当事者だということから来ると思う。
「どうしてこんなことになってしまったのか」
という問いにたいする答は、決して短絡的に求められるものではなく、
本書を読んで、日本の戦後史を振り返り、
原発の歴史を理解した上で、
「二度と歴史を繰り返さない」
という覚悟を決める必要があるのではないか。
新書にしては、まれに見るボリュームの本書を読みながら、
そんな思いを強くした。
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岩田先生のブログで「必読」指定ありのため、購入。
スイシンとハンタイをカタカナ書きで表記し、
なるべく政治的立場から距離を置いて書こうと努力しているところに好感が持てる。
原発を巡る歴史的ないきさつについて、丁寧に叙述しており、世の中に対する見方が変わった。そういう本はなかなか貴重である。
その反面、その中立的なスタンスが、他人事のように響くところが気になる。
原発について語ることの難しさを痛感。