紙の本
我が国の第一級の社会学者、清水幾多郎氏によるデマやうわさの起因、構造、社会的影響などについて詳細に分析した一冊です!
2020/04/21 10:24
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、我が国を代表する第一級の社会学者であり、評論家でもあった清水幾多郎氏によって1937年に刊行された書です。その名の通り、「流言蜚語(りゅげんひご)」、事実とは異なる伝聞や根拠のないうわさなどが、どのようにして起こり、それはそのような構造をもって、社会に広まり、影響を与えていくのかを詳細にわたって分析した内容となっています。また、第2部では、関東大震災の生々しい体験記と震災直後の世情への反応、流言を考察した随筆も収録されています。同書の内容構成は、第1部が、「流言蜚語と報道」と「流言蜚語と輿論」、第2部が、「日本人の自然観―関東大震災」、「明日に迫ったこの国難―読者に訴える」、「大震災は私を変えた」、「地震のあとさき」となっています。
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第一部「流言蜚語」のみ読了.オリジナルは1937年.報道を環境への適応のために必要とされる情報チャンネルとした上で,流言蜚語を「アブノーマルな報道形態」と定義づける.a, c の情報のみが与えられており,全体像を構成するために不足の情報がある場合,それを補い首尾一貫した情報にするためにb’が外挿される,という流言蜚語の構造.「潜在的輿論」としての流言蜚語.
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本著は昭和12年に出版されたものだが東日本大震災を受けて復刊されたもの。
二部構成。第一部は流言蜚語について、その意味、定義等をロジカルに整理したもの。報道、与論との関係など、なぜ流言蜚語が生まれるのか分析を深めている。関東大地震における朝鮮人虐殺が背景にあるのだろうが、ロジックの進め方は抽象的で難解なところもある。
流言蜚語は情報が閉ざされた社会で起こり得るとしているが、情報の透明性が確保されているインターネット社会において流言蜚語が起こり得ないのか?
第二部は著者自身が少年時代に経験した関東大震災について。生々しい体験談。
「天譴(てんけん)」の考え方は、今回の東日本大震災でも唱えられたことでもあり、共通項が多いことに驚く。
首都圏直下地震が騒がれる中、冷静さを求めるためにも歴史を紐解くことが大切なのかもしれない。
以下引用~
・流言蜚語が生まれるためには、何かが与えられていなければならぬ。しかしすべてが与えられていてはならないのである。そこには与えらるべくして与えられておらぬものがなければならぬ。そして与えられておらぬものと欠けているものとは作り出さなければならぬ。
・医術の目標とするところが治療でなくかえって予防であるように、政治もまた流言蜚語が発生した後においてこれを禁止したり真相を発表したりするのでなく、その発生に先だって常に真相の発表に努力すべきであり、これによってその発生を防ぐべきである。
・知識の世界では全体の一部分を知っても他の部分を知らぬということがある。しかし信仰の世界では一部分を信じて他の部分を信じないということはあり得ない。全体か無かというのが信仰の世界の法則である。報道が流言蜚語から区別されるのは、前者が信頼されているからである。
・政治に関係するもの或いは社会を統制するものは、もし流言蜚語の発生を防ごうと欲するならば、まず民衆の信頼を得なければならぬ、と吾々は言った。
・言語への軽蔑の支配するところは、かえって流言蜚語の発生と成長とに有利な風土を持つということである。
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佐藤のメディア論の名著30に掲載された。実際は全集の中で150ページぐらいで読んだ。
清水が下町の自宅で体験した関東大震災での軍隊の朝鮮人虐殺のことが書かれているかと思ったら全く触れられていなかった。世論の本の最初の場面は引用されていた。ほとんど具体例なしの理論本であった。