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マキアヴェッリが君主論でモデルとしたチェーザレ・ボルジアが滞在していたイーモラと言う街に派遣されたときを舞台にした作品です。外交交渉の様子もあれば,フィレンツェの外交官として活躍していたマキアヴェッリの滞在先での日常の様子の描写に,女好きだったマキアヴェッリが現地の女性をものにしようとする描写など,いくつかの描写が絡み合う作品で,楽しく読むことができました。あまり固く考えずに,気楽な娯楽作品と読むことがいいのかなと,個人的には考えます。
なお,舞台となっているイタリアのルネサンス後期の政治事情に関する知識がある方がスムーズに読めると思います。マキアヴェッリやチェーザレ・ボルジアなどの登場人物の知識や,当時のフィレンツェや教皇庁を含めたイタリアの諸国家とフランス,スペインとの関係など政治背景の知識があると,より楽しめると思います。
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これはマキャベリがチェーザレ・ボルジアの許へ政府の特命で使いに行く話です。これを読んだらマキャベリの『君主論』など読む必要がない。チェーザレ・ボルジアのやったこと、策略、ものの言い方などがモーム流に書いてあります。(谷沢永一)
ある意味で塩野七生を読むよりもおもしろい。(渡部昇一)
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マキアヴェッリが主人公の小説。大学の書庫の奥で発見した当時は絶版だった。文庫で読めるようになって嬉しい限り(早速購入しなくては)。マキアヴェッリ本人が書いたちょっと色っぽいコメディよろしく、どこぞの人妻に策を弄して言い寄るものの、最後は手痛く失敗するところがいい感じ。マキアヴェッリの肖像を見ると、いつも「ルパン三世のテーマ」が脳内に流れてしまうのは、この本(と「わが友マキアヴェッリ」)の影響かもしれない。
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これを読んだら、君主論を読み返そう。
君主論の著者であるマキアヴェッリが、そのモデルとしたチェーザレ・ボルジアの元を訪れる話なんて、それをモームが描くなんて、何重構造にも読める。
ああ、ストーリー自体も二重構造なのだなぁ。
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激動の時代に、稀有な君主チェーザレ・ボルジアと渡り合う任務を負ったマキャベリ。故国のために奔走しつつ、人妻を手に入れるためにあの手この手を尽くす姿をコミカルに描く…といったところだと思うが、正直イマイチであった。
話が二つに割れてしまって、とけこんでいない。歴史認識にもこれといって新しいところがない。致命的なのは、この情事のオチがかなり早い段階で分かってしまうこと。読みながら「アイデア倒れ」という言葉がちらついた。
モーム…。短編はあんなに素晴らしいのに。
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今、我が家が空前のチェーザレブームなので読んだ本。
モームにしては、、、という感じだけれど、当時のイタリアの政局が分かるので読んでよかった。
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マキャベリとチェーザレ・ボルジアの心理戦がスリリングな歴史小説であり、すぐれたエンターテインメントに仕上がっている。モームの作品はどれも娯楽性に富んでいるが、かの名高い『君主論』の中でマキャベリがチェーザレを高く評価していたことをおもんぱかれば、15世紀のイタリア半島でこの二人が対峙する舞台設定だけでも胸が躍るというものだ。
マキャベリを主人公に、話の軸はふたつある。一つはもちろんチェーザレとの政治的駆け引き、もう一つは人妻との恋の駆け引きである。ふたつの筋がからみあい飽きさせない作りになっている。
翻訳も非常に自由なものであろうと察せられるが、ストレスなく読み進められる名文である。こういう翻訳は外国語の文学作品を知るにはひとつの理想だと思う。
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小難しいイメージのマキャベリだけど、なんだ、ただのオジさんじゃん。とマキャベリに親近感さえ湧いてくる。
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塩野七生とはまたちがったマキアヴェリとチューザレ・ボルジア。最後、使者の仕事を終えて馬で故郷に帰る際の長ーい負け犬の遠吠え感がすごい。
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事情があって、本を捌くスピードがダウンしていたが、ようやく読み終わった。
モームにしては卑俗な雰囲気で、、、と思われるが、たしかに面白い。マキャベリもチェーザレも眼の前にいるようで、楽しかった。
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チェーザレ・ボルジアとマキアヴェリの頭脳戦が面白い。
作品全体としてコミカルであり、
この時代のイタリアの様子がよく分かる。
塩野七生さんの著作と合わせて読みたい
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「イタリア統一の野望に燃える法王軍総司令官チェーザレ・ボルジアの許へ、フィレンツェ政府は使節として天才的外交官ニッコロ・マキアヴェリを派遣する・・・」
という紹介文から重厚な歴史物と思って読み始めたけど全然違った。単なる軽妙な娯楽小説だった。
軽いながらもまあおもしろかった。モンタネッリの「ルネサンスの歴史」を読んでたから時代背景をわかってたというのもあるけど、モームってよくできている。他の著作も読んでみよう。
タイトルの「昔も今も / Then and Now」の意味がよく解らないのがいまいち。1946年出版だから、第二次世界大戦も英国側に正義があったから勝ったわけじゃないと言いたかったのかなと思った。マキャベリが最後のページでこう言っている。
「チェーザレは犯した罪の当然の報いを受けたと言ったな。だが、やつは悪行を行ったから破滅したんじゃないぞ。~美徳が悪徳に勝利したとしても、それは美徳であったからじゃない、より性能のいい強力な大砲があったから勝利したのさ。~自分の側に正義があると思うのはいいが、それを担保する力がなければ、正義なんぞなんにもならん。それを忘れていい気になっていたら、とんでもない災いに見舞われるだろう。」
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フィレンツェの使者として,飛ぶ鳥を落とす勢いのチェーザレ・ボルジアのもとに派遣されたのは,後に君主論を執筆するマキャベリ.謀略と裏切りを駆使し勢力を拡大してきたボルジアとマキャベリズムとの激突かと思ったのだが,さにあらず,この時点でのマキャベリはまだ中級官吏で,フィレンツェに対する援軍要請を,言質を取られないようにノラリクラリと,ひたすらかわさざるをえない立場にある.並行して進むのが,裕福な商人に若い妻に対するマキャベルの横恋慕で,上に書いたようなマキャベリの書かれ方からして(あるいはモームの小説の主人公として),これもうまく行くわけがない.頭は切れるのだが,ひたすら小市民的なマキャベリの姿が描かれるのだった.
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これまで読んだ小説のベスト。今後これ以上の作品に出会えるのか。。人物造形、プロット、テーマどれを取っても第一級。卓越した人間観察に裏打ちされた登場人物の描写、シニカルでありながらユーモアが失われない会話、交錯する二つのストーリー、歴史に裏打ちされたキャラクターと「あ、それ言いそう」という説得力。オチも秀逸で、終始飽きさせない抜群の面白さ。人間世界の喜び、悲哀、憤怒を冷静に突き放してユーモラスに描く。モーアは、諦観の人生論を語る小説家らしいが、起きたことは起きたこととして受け入れ、次の価値感を生み出す気概が大事なのよというもっと骨太な人生観を語っている。ユーモアは自分を突き放して客観的に見て、おかしみを見出す技術だけど、そこに至る前に主観的な気持ち、特に狭量のネガティブな気持ちを一度吐き出すことが必要なのかもしれない。作中のマキアヴェッリがしていたように。。
チェーザレの民主主義への批判はモームからの現代社会への警句と受け取った。
以下、あらすじ:
1502年10月、マキアヴェッリはマジョーネの乱の渦中にあるチェーザレ・ボルジアの元にフィレンツェの外交使節としてイーモラへ発つ。同行者は2名の従者と友人ビアジオの甥ピエロの3名。ピエロは18歳になったばかりで、ビアジオは甥の見聞を広めるためにマキアヴェッリの旅路への同行を依頼し、これを受けたものである。物語は、フィレンツェへ和平と引き換えに金を拠出(傭兵契約として)させようとするチェーザレの意図と、シニョーレからなるべく観心は買っても不興は買うな、ただし決定的な条約は結ぶなと言われているマキアヴェッリとの冷徹な駆け引きを縦糸とし、仕事が忙しくなると性欲も盛んになるキャラクターとして描かれるマキアヴェッリが、大商人の若妻で貞淑なアウレリアをNastyな計略で同衾しようとする下世話な喜劇を横糸に、乾いた人間観察に裏打ちされた会話劇を下地として物語は進んでいく。アウレリア籠絡の計画は順調に進んでいるように見えたが、マキアヴェッリが思い通りにコントロールしていたと思っていたティモテオ修道士やカテリーナ夫人、ピエロまで含めて下に見ていた市井の人々の狡猾に最終的に屈して計画がひっくり返される場面は皮肉であるとともに、ある種策略家に対する教訓的な結末。利益を誘導してうまく支配していたと考えていたティモテオ修道士が実はチェーザレのスパイとして機能していて、それまでのマキアヴェッリの計画がチェーザレにも漏れてそれをうまく利用されていたことで、並行して進んでいた2つのストーリーが交錯していくところも秀逸。チェーザレとの交渉は、結果としてこう着状態から動くことはなく、より権限を持つ大使に引き継ぐという形となったが、チェーザレとマキアヴェッリの緊張感のある会話、二人の政治的な目的、手段に対する見解の一致、策略家として利益を優先する人間として描かれたマキアヴェッリの愛国心(「私は、自分の魂よりも祖国を愛する」)の表明が史実に基づいて丁寧に描写されており、両者のその後の運命を知る我々に、一言一言が強く響く。エピローグとして描かれる4年後の結末は小説の終わり方としてモーム自身も文学的には蛇足であることも分かった上で、読者へのサービス(本編へのキャラクターへの愛着と歴史のレクチャー)と何よりもモーム自身の本作への思い入れを感じた。
マキアヴェッリが今回の失敗を題材に、やりきれない想いを喜劇という芸術に昇華させようとしているが、ストーリは聞いたことのある話だった。ドン・ファンかセビリアの理髪師だったと思うが。オペレザの怪人の劇中劇で見た記憶があるが、果てして。
本作の冒頭に戻ってまとめとする。全部で37編からなる本作の第一章は「plus ça change, plus c'est la même chose(変われば変わるほど、いよいよ元と同じだよ)」というフランス語のエピグラムである。タイトルの「昔も今も(Then and Now)」との繋がりで素直に読むと、「今も昔も時代、価値観、人は大きく変わっているようだけど、本質は何も変わらないよ」というメッセージととれる。実際、読み始めた時にそのように解釈した。読了してこのメッセージをもう一度読み返したが、今の時点では他の解釈はできていない。でも、あまりにもストレートフォワード過ぎて、他の読み方があるように思える。今後モームの他作品も読んでいって、再度このテーマに立ち戻りたい。いずれにせよ、本作は今後も読み返すことになるだろう。
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中世イタリアで活躍した実在の軍人と政治家の鍔迫り合いを中心としたストーリー。いわゆる時代物。
鍔迫り合いと言いつつ、主人公である政治家が如何にして享楽的に遊ぶか、ということに苦心する様子が半分くらいを占めていて、個人的にはモームの作品の中では少し評価しづらい。
読みやすいし、その筋の専門家の一人は「その時代のイタリアをよく描いている」というような高い評価をしているようなので、中世ヨーロッパに興味がある人は、ぜひ。