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美浜→福島第一→敦賀と現場作業を体験した生の苛酷なドキュメント。忘れてはいけない、下請け日雇い労働者がいること、ピンハネの実態、電力社員がほとんど現場作業に関わっていないこと、線量管理の杜撰さ
なんと1979年3月11日に筆者は福島第一で地震を経験していた
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堀江さんはフリーのジャーナリストである。原発については、電力会社に聞けば「安全だ、安全だ」としか言わないし、そこで働く労働者は口をつぐんで黙ってしまう。外からの情報のまどろっこしさに耐えられなくなった堀江さんがとった方法は、自ら原発労働者として働き、その実態を知ることであった。堀江さんは美浜原発を皮切りに、福島第一、さらにもっとも過酷と言われた敦賀原発を渡り歩く。今は差別用語となっているが、それはかつて呼ばれた「原発ジプシー」を体をはって実践したのである。現場の労働は過酷であった。それは、原発の構造が点検する人のことを考えないしくみになっていたこともあるし、つねに被爆の恐怖と戦わなくてはならなかったからである。原発の直接の犠牲者は東海のJCOで2名出ただけであり、大騒ぎすることはないという声もあるが、現場の労働者たちはつねにその恐怖と戦っているのである。原発といえば時代の先端を行っているようにみえるが、蒸気タービンをまわすのに原子力という、処理のできない死の灰を生み出すウランを使っているのであるし、圧力容器にもっとも近い現場で働く人たちの労働は人間性をまったく無視したものなのである。原発の立地が、その生み出す電気を使用しない地域の犠牲の上に成り立っているだけでなく、そこで働く人々はまさに差別構造の最下層にいるのである。これが未来のエネルギーだろうか。こういうものをよく40年間もやってきたと思う。堀江さんは、一年近くを現場ですごし、労働者たちと心の交流をし、この報告を書いた。それは、もの言わぬ原発労働者の声の代弁でもあった。本書が出ると、大きな反響がおこったが、電力会社は、バカらしくて反論する気がしなかったと言ったそうだ。悲しい人たちである。
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企画コーナー「今、原発を考える時」(2Fカウンター前)にて展示中です。どうぞご覧下さい。
展示期間中の貸出利用は本学在学生および教職員に限られます。【展示期間:2011/5/23-7/31】
湘南OPAC : http://sopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1598449
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期待を裏切らない復刊だった。原発内で働く労働者(電力会社社員
ではない)が直面する劣悪な環境が、日記形式で克明に綴られている。
手配師によって全国から駆り集められる底辺の労働者たちは、十分な
安全教育・放射能知識も授けられず定期点検の行われる原発構内に
送り込まれる。
作業の妨げになるからと、被曝線量は根拠もなく引き揚げられる、
被曝量を量る機械は交渉がち。作業中の事故や怪我は巧妙に隠され、
労災さえも認められない。
「廃棄物処理は請負にして欲しい」
電力会社社員の言葉が端的に表しているように、電力会社が前面に
押し出している安全性は社員の安全性であって、下請け・孫請けの
労働者は使い捨てだ。
現在、福島原発で事故終息の作業に当たっている多くの作業員同様、
放射線被曝と背中合わせの危険な作業に従事している彼らがいてこそ、
原発は動いているだということを原発推進者は隠し続けて来たので
はないか。
福島原発の作業工程に「放射線管理と健康」が追加されたとの報道
があった。それも事故から3カ月を経過してからである。いままでどれ
だけ、現場の安全をないがしろにして来たかが分かるではないか。
この福島原発事故では線量計の不足云々も報道されたが、先日の
東京電力の会見を聞いて唖然とした。5000台あった線量計が津波で
流され300数十台になったことを「若干の不足」と表現していた。
10分の1以下を「若干」とは言わないだろう。ここにも電力会社の
驕りが見える。
樋口健二『闇に消される原発被曝者』も被曝した労働者を追った
秀逸な作品であったが、本書も潜入ルポルタージュとして私が名作だ
と思っている鎌田慧『自動車絶望工場』に匹敵する力作である。
原発稼働から被曝による労災認定を得た人は、わずかに10人。
テレビの報道バラエティでもよく取り上げられるようだが、この数字
自体がおかしいだろう。
放射線による人体への影響は解明されている訳ではない。どんな
影響が出るかも分かっていないのだから、電力各社はこれまで原発で
作業に従事した労働者の追跡調査をするべきではないのか。
本書が発行された時の反響が「文庫版あとがき」として収録されている。
そして、今回の復刊に際しての「あとがき」が新たに追加された。実際に
原発内で働いた著者による、貴重な体験を収録した◎な良書である。
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原発の「安全性」「必要性」を説く「原発推進派」からの情報と、
原発の「危険性」「不要性」を訴える「原発反対派」からの情報の波にのまれ、
「素顔」が見えなくなっている原発の現状にせまるため、
著者の堀江邦夫さんが、
1978年9月28日から翌1979年4月19日まで、
美浜発電所、福島第一原子力発電所、敦賀発電所の三カ所で、
原発労働者として、放射能まみれになりながら、
命がけで敢行した原発ルポ。
出版されてから30年。
3.11の地震、津波、そして、それに続く福島第一原発事故をうけ、
あらたに「あとがき」が加えられ、新装出版された。
これは、30年前のルポなので、今はずっと労働環境は改善されたのかもしれない。
しかし、過酷な労働環境のもとで、多くの非社員の方たちが、
多量の放射能を浴びて働いているという事実は、おそらく変わっていないのではないだろうか。
今回、福島第一原発事故がいまだ収束しない中で読んで、
改めてその内容のおそろしさに圧倒されたが、
今も続いている現場での作業は、
おそらくこれ以上に凄惨なのではないだろうかと思う。
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今、読み出したところ。
原発の点検作業への潜入ルポ。
著者の仕事は始まったばかり・・・クリーンで安全な原発というイメージを打ち破る汚く危険な作業ばかり。
____________________________
淡々とした筆致で来る日も来る日も、被爆しながらの単純にして危険な作業が続く。原発内の汚さ、雑然とした内部・・・電力会社の管理の杜撰さ、下請け労働者の劣悪で過酷な労働。身体を除染するシャワーも冬でも水しか出ない、防護服を来て管理区域に入ったらトイレにも行けない・・・
このルポから30年、【原発ジプシー】達の環境は改善されているのだろうか?
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正直もっと衝撃的な部分があるのかと思った
でもこの労働状況はかなり悪条件な労働+得体の知れない放射能といった絶対働きたくない職場だな
今でもテキトウなんだから40年くらい前なんて身を守る術とかひどいもんだし
作者の方が生きているのがうれしいです
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下請け会社の実態の悲惨さをつうかんする。また、原発のメンテナンス、維持は、実際コスト面や安全性には全く含まれていないし、知らない粋だろう。
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福島原発事故後 図書館で予約したが、3ヶ月ほどまたされて
順番が回ってきた。
過酷な労働条件下でかつずさんな放射線管理の実態が描かれている。
ただ 30年前のことなので現在はどうかは一口にいえないが
正規職員の被爆量は少なく、請負の労働者の被爆量が多いことは間違いないだろう。
元 原子力発電所の所長が「まともに反論する気がなくなった」などの
この本の価値を切り捨てるような発言をしたらしいが、そのこと自体
問題がある。いずれにしても多くの労働者の被爆の上に原子力発電が運用されていることを否定できない。また発病が原子力での労働災害といえないということに寄りかかっていることも見て取れる。
今なお
原子力発電を推進しようという人たちは この本で暴かれているような労働の実態をどうみるのだろうか。
もし改善しているというなら 著者のようにまずは原発で請負労働者として働いてみてほしい。
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その場に立たされた労働者でなくては絶対に知ることのできない〈痛み〉を、私は自らの肉体で知ることができたように思う
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1978年から79年にかけ、7ヶ月間実際に、美浜・福島・敦賀の原発で下請労働者として働いたジャーナリスト堀江邦夫のまさに命を削ったルポ。
どこかで聞いたことのある話が、事実として収められている。自分とはかけ離れた世界のように見えるが、紛れもない事実であり、79年初版から84年文庫版、2011年4月の増補強改訂版と版を重ねるごとのあとがきが、ふっと現実に引き戻してくれる。そして、内臓をかき回されるような怒りのような感情がわく。特に、東日本大震災後に書かれたあとがきでは、差別語の「ジプシー」をあえてタイトルから消さなかった理由が綴られ、そこにジプシーとしか表現できない原発労働者の哀しみがこめられている。三十年も前に書かれた現実は、おそらく今も変わらない。
それは、ここ半年の東電の動きを見ていれば分かる。現場で命を削って生きてゆくしかない下請けを、人間扱いせず、ボロ雑巾のように使い棄てしている電力会社の体質は今も昔も変わらない。想像を絶する堀江氏の体験に言葉を失うのはもちろんなのだが、それ以上に人を人と思わずに、何がどう発展し、誰がどう幸せなのか?戦後の日本人がやってきたことの正しさを疑わざるを得ない。
現代で電力の恩恵に預かる全ての日本人は一読すべき本。
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『原発ジプシー』で加藤登紀子さんが歌ったこの世界が真実という事を知って衝撃を受けた頃に本書を知りました。筆者が原発労働に従事していたのは70年代ですが、実態は今もさして変わらないものだと思っています。
「見えない光体に受けて 赤いブザーの鳴り響くまで…」という歌い出しで始まる加藤登紀子の「原発ジプシー」という曲を僕は最近知って、この歌に描かれている世界を実際に記した本があるということを聞いて、それが最近再販されたということを知って、手に入れて読みました。
この本は幾度となく再販されており、そのたびに削除された箇所があったりしているのを福島原発の原子力発電所の原発事故を機に新たに「跋文」というあとがきを書き下ろされて復刻したという経緯を持っています。内容はというと、筆者自身が原発の下請け労働者として美浜・福島・敦賀で働いた経験を元に、そこで見聞きしたものや、実際に感じたことを赤裸々に記したルポルタージュの傑作ともいうべき本であると思います。
「先端技術」と知って将来が期待された原子力発電が、日雇い労働者や、農民、漁民などの労働力なしには成り立たず、彼らは放射能の危険性もろくに知らされないまま、完全武装の防護服を着、狭く、暑苦しい現場ですさまじいばかりの放射能を浴びながら過酷な労働に従事し、被曝の度合いが一定以上を超えれば、文字通り「棄民」として打ち捨てられる…。そのプロセスが事細かに書かれてあったり、電力会社の社員と、下請け、孫請け、ひ孫請けの「協力会社」が使うものが違ったりと露骨なまでの差別が描かれ、彼らの存在を「犠牲」にして、原発というものが成り立っているのだということを改めて思い知りました。
一番印象に残っているのは筆者が作業中にマンホールの穴に落ちて肋骨を折る重傷を負ったときに彼の上役である親方や、電力会社の社員があの手この手を使って事故を「労災」扱いにさせないための「懐柔策」を打ってくる場面の描写は、読んでいて戦慄が走るほどでした。原発における無事故記録はこうして表に出なかったからこそ成り立っていたのだ、ということを同僚の労働者がつぶやく描写に、原発における労働者被曝の問題を追い続けている樋口健二氏の『本当のことは労働者が一番よくわかっている』という言葉が頭をよぎりました。
現在も福島の原発事故の現場では文字通り命を賭して事故の復旧にと止めている原発作業員や、ほかにも、日本全国で原発労働の現場で働いている方々のことを想像してしまうと、気持ちが重くなります。ここには『安全神話』の裏側にある『真実』が描かれております。そこには絶句するほどのものがありますが、それに目をそむけてはいけなくなってしまったと、最近とみにそう感じております。
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ここまで過酷な労働条件で毎日放射線を浴びてせられる労働者の人たちが毎日存在していて、その人たちが原発を支えて電気を発電しているのなら、私は原発なんていらない。
その代価に原発には大きすぎる対価だと思うから。
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最先端の技術が使われているだろうと、勝手に想像していた原発。
そういえば、東海村の臨界事故のときは、バケツで作業を云々てな話がありましたな。
人間が使い捨てにされる現場…どこにでもあるのでしょうが、あることにも意識をむけない自分がいる訳です。
声高な抗議の本ではないけれど、それだけにつぶやきの重さが響きます。
構造的な差別というか、無関心のおそろしさは、沖縄の基地をして知らされているつもりでも、本土においても存在しているのですねえ。
そんなことを考えながら読みました。
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被爆下請け労働者の記録。ジャーナリストである筆者が実際に原発作業員として働いた経験を記録した有名な著。原発労働者の劣悪な労働環境や、役所仕事と現場との乖離という現実がひしひしと伝わってきます。原発推進派・維持派はこのような現実が存在することを知ったうえで持論を展開していく必要があると思います。