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紙の本

「火の鳥」と「ジュン」と「サイボーグ009」が載っていた雑誌の話

2011/11/27 14:39

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る

1967年から1973年(実質的には1971年)まで手塚治虫が主宰した虫プロダクションの出版部署である虫プロ商事から刊行されていた雑誌である『COM』は、私たち以上の世代のマンガ好きにはいろいろな思いのある雑誌だと思う。個人的にはまだ余りに幼すぎて、それがどんなにすごい雑誌だったかもわからないまま、手塚治虫や石森章太郎のマンガが載っていたので買い求めることもあったのだろう。今も手元にはその当時の雑誌の切れ端がある。だが、当時の私にはそこまでしか理解できず、後になってこの雑誌のすごかったことを知ったわけだけれども。
何がすごかったかと言うと、やはり手塚治虫が主宰したとしか思えないマンガ雑誌であったことと、当時すでに有名実力派と思われていた石森章太郎や永嶋慎二がマンガを連載していたこと、そして新人マンガ家の育成を図っていて、後に有名になるマンガ家がこの雑誌の新人マンガ賞に投稿したり受賞したりしているということだ。
だが、先にあげたようにマンガ雑誌そのものとしては短期間しか刊行されておらず、いつの間にかなくなってしまった(というか、虫プロ自体がなくなってしまったためであろうが)ために、実際何がどうすごかったのかを実感することはないまま、この歳にまでなってしまった。
そうしたら、このムックが発売された。タイトルを見て改めて思うのだけれど、この雑誌がなくなって40年も経っていたのだ。
内容は、当時掲載されたマンガと、当時もマンガを載せていた作家の新作及びエッセイ等。そして、(このムックのためではないのだけれど)当時の関係者を集めた座談会の記録と、当時のマンガ愛好家及びマンガ家志望者たちで全国に組織された「ぐら・こん」の顛末を記した文章に、雑誌に掲載されたことのあるマンガ家の一覧となどのインデックスと、200ページ足らずであるにも関わらず、豊富な内容になっている。
すでに手塚治虫も石森章太郎も永嶋慎二も亡くなっており、新作を載せることができないので再録となったのだろうが、幻と言われた手塚治虫の「火の鳥 望郷篇」を読むことができるだけでも価値がある(と思っていたら、別に復刻されることになったらしいが)。
また、このムックの企画当時には存命で、新作を依頼していた作家で結果的に亡くなってしまったみやわき心太郎と村野守美のマンガやエッセイが読めるのも価値があるだろう。
当時の関係者の座談会などは、ある種伝説とも言える雑誌の実態を知る上で重要な話が出てきている。関係者も上記のマンガ家たち同様高齢になりつつあるので、このような話を知るのはもう最後のチャンスかもしれない。
そして、様々な資料も、漠然と眺めているとすごい記録だというのが段々分かってくる。有名なマンガ家だけではなく、今活躍しているマンガ家や、今はどこでどうなってしまったのかという方たちまで、本当に様々な人たちがこの雑誌に関わっていたのだ。
それなのに雑誌としては短命だったというのも、これらの記事や記録を見ていると何となくわかったような気がする。関わった人たちが、手塚治虫を初めとしてあまりにマンガ好きというだけで集まったのが、商業的にはうまくいかなかったのだろう。それは雑誌を刊行していた会社だけでなく、虫プロ本体もそうだったのかもしれない。しかし、その「マンガ好き」というところが、後々にまでインパクトを与えることになったのではないだろうか。
そして、その「マンガ好き」がゆえに全国のマンガ愛好家や志望者を組織化しようとした「ぐら・こん」が、現在まで続いているコミケの母体というか先駆けになったというのも、今となってはすごく理解できることのようにも思える。
21世紀になった今、このような雑誌はもう作られないのかもしれない。少なくとも商業ベースでは。そんなことを考えると、この雑誌が刊行されていた60年代後半というのが、ある種幸福な時代だったのかもしれないとも思わせられた。

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2011/10/23 21:47

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2012/01/19 20:15

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2012/02/27 22:24

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