紙の本
マンダラ
2019/01/31 20:59
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投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
マンダラに描かれている仏さまたちって、そもそもどういう位置づけなの? という点から、わかりやすく紹介されていました。
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仏教について、何も分からなかった状態から、本を読んで少しずつ知識を身につけてきましたが、どうしても手が出ずに、最後まで残ってしまったのが、難解を極める曼荼羅の世界。
密教の本尊である大日如来を中心にして、金剛界と胎蔵界という二種類があるということしかわからず、展示されているものを見てもどこをどう観賞すればよいのか、さっぱりわからずに目を泳がせるばかりだったため、専門の本があると知って、読んでみました。
まずは、密教の定義から確認します。確かにその段階から、よく理解できていないことに気がつきます。
密教とはつまり神秘主義に基づいた教義で、我々各人の内面に置いて、仏や宇宙といった超越的な存在を直接把握し、一体になろうとする考えだという説明になるほどと思いました。
著者は仏教学の学者で、曼荼羅というそもそもが難しい事象解説において「曼荼羅は図示化したパンテオンだ」「中央にいる大日如来は、社長室にいるような感じ」という表現が時折使われているのが、こなれていてわかりやすく感じます。
曼荼羅は中心から放射状に広がっていると思っていましたが、順々にすごろくのように見るべきで、時計周りが向下門、反対周りが向上門(世俗から聖なる世界へ)とされることも知りました。
こういう単純な鑑賞法からして、学ばないとわからないものです。
チベット密教が伝来したものであるため、「大日如来」はゾロアスター教のアフラ・マズダと関係があると指摘がされていました。
「降三世明王」はヒンドゥー教のシヴァ神、水牛に乗っている「大威徳明王」はチベットでは文殊の化身とされているそうです。
仏たちがオールキャストのオンパレードで登場しているといった風の曼荼羅は、これまで知らないような仏も数多く描かれています。
「金剛蔵王菩薩」は黒色の多面多臂尊で、白い多面多臂尊の千手観音と対照的。曼荼羅でも正反対の位置に描かれるそうです。
黒い無数の手がさまざまな印を結んでいるのは、千手観音よりもはるかに迫力があり、こわいです。
また、密教で大日如来の化身とされる明王の多様なバリエーションにも驚きました。
もともと明王の「明」とは知識を示す名詞で、呪力をもった王者という意味だそうです。
かなり多面多臂の像が多く、圧倒されます。
これは気候が過酷なチベットで生まれたもので、菩薩にも多面多臂のものがあり、菩薩でさえ時として恐ろしげな様相で描かれるそうですが、温和な気候の日本に反映される時には避けられて、一面のみの穏やかな様相をした如来や菩薩像のみ描かれるとのことです。
明王が肥満形なのは、インドでの理想的な姿だからだとのこと。西洋とは感覚が違います。
五大堂は、日本各地にありますが、これは明王を五尊集めた場所だと知りました。
「軍茶利(ぐんだり)明王」は、名前がちょっと可愛いですが、「とぐろをまくもの」という意味だとのこと。
蛇の装身具を身につけているので、降三世明王同様に、これもシヴァ神の要素を取った尊格とされています。
「大威徳明王」は、六面六臂六足の姿。足まで六本あることに驚きます。さすがに多いです。
ヒンドゥー教の世界にあった仏教として、死者の王、閻魔大王を倒すものとして創造されたとのことです。
必ず水牛に乗っており、チベットでは文殊の化身とされているため、顔の上に文殊菩薩の顔をいただいているのだとか。
今度仏像を見ることがあったら、観察してみようと思います。
大威徳明王は閻魔大王並みの相当の迫力でしたが、「金剛夜叉明王」(私は金色夜叉と勘違いしていました)は、五眼三面というさらに恐ろしい顔になっています。
憤怒の顔をした仏像は不動明王だけで充分ではないかと思いますが、やはりこれも、過酷な気候のチベットが生んだ、厳しさの多様性なのでしょう。
ほかにも「蹴り立ち」のポーズの「金剛童子や、「丁子立ち」のポーズの「六字明王」など、なかなか拝見することのない像が紹介されており、気になりました。
また、「馬頭観音」が明王化した「馬頭明王」もあると知りました。
降三世明王と同一尊の「勝三世明王」もいるなど、本当に奥が深くて、まだまだわからないことだらけ。
まだまだ敷居が高い内容ですが、それでも、少し知識が深まるたびに、立ちもどって読み返していける、このような入門書があるのは、ありがたいことだと思いました。