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登場人物にはつらい、つらい過去があり、生きていていいのかと自分自身を問い詰める。生きていればお腹がすき、食べれば美味しいと思うことさえ許されない罪の意識。でも生きているから奇跡をみることができる。前向きな中に忘れてはならない重いものが心に残りました。
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有名料亭での修行中、怒涛の事件に巻き込まれた主人公・紫紋は絶望の果てに、北の町・尽果にたどりつく。そこで小さな定食屋を営むマリアが…。
紫紋が尽果で出会った人々は、みな、悲しい現実や過去を抱えながらも、ひっそりと温かく生きていて、そんな彼らのおかげで元気になっていく紫紋が嬉しかった。彼のあつらえる料理が、料亭での修行を踏まえた巧みさを持っているところにも読ませられたしね。
だから、好きか嫌いか、と問われれば、うん、よかったよ、と答えると思う一冊なのだけど、
ちょいと突っ込みたくなってしまうところが・・・。
まず、まぐだら(ここでは幻の怪魚の名前ってことになってるけど)、マリア、その他、あっちにこっちに聖書の有名人や名所が出てきて、うん、意図はわかるよ、確かにそれらのおかげで荒涼感の果ての救済が奥行き深く描かれ、また、温かい思いも巧みに織り込まれていたものね、と思いはするものの、そんなに散りばめる必要があったかな、とつい言いたくなってしまうのは、私が意地悪かなぁ。(かなり無理がある名前もあって、ちょっと苦しかった気がしたから。)
そして、
舞台の発端は、もう誰が見ても例の吉兆でしょう、という高級料亭。
一回事件を起こすとここまでグリグリと小説の枠として使われちゃうのね、と少々気の毒なくらいだったけど、紫紋の逃避行を共感できるものとして裏づけるためにはこれくらい書かないといけなかったんでしょうね。
また、一番のキーパースンであるマリアと、“女将さん”との関係が今ひとつ、私にはピンとこなかった。やましさとか申し訳なさが、そんなに簡単に愛情に結びつくものかなぁ。ただただ贖罪の日々、というのだったらむしろ説得力があったと思うんだけど、あれだけのことをしたマリアが女将さんを慕う、という気持ちの流れには無理があったんじゃないかなぁ。
なんて、ゴメンなさい、悪口ばっかり言ってるみたいだけど、よかったんですよ、でもね、という気持ちなので許してください、。
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悪くはないんですが、なんとなく物足りなぃ…??
そんなに、のめり込まなかったなぁ…。
男性的には、好きなシチュエーションかもかもって思いましたが、
女性的には、どぅなんでしょうか…。
いくつかのネタを寄せ集めて1つの物語を作り上げた感もありますが、
うまくまとまってた思います…。っが…、あまり残らなかった…。
でも…、読み終わったとき、ホッコリと暖かくなる作品でしたね…。
そんなところは、原田さんっぽい…(^。^)
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傷つき、東京から逃れて、なりゆきで理由ありの人が流れ着く田舎町の食堂を手伝うことになった男性と、食堂を切り盛りする女性を巡る話。
主人公の過去の傷が少しずつ明らかになる過程が苦しく、それを見守りつつ少しずつ癒してくれる周囲の人の優しさがあたたかい。
タイトルからしてマグダラのマリアを下敷きにしているとは思ったけど、マリアの相手のネーミングはちょっと苦しいと思った。
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つらい思いをして生きようとする人は、強くて優しい。女将、マリア。紫紋は、料理ができることで人を喜ばせることができる。食べ物をおいしく作ることは大切だなあと感じた。
与羽と杏奈には納得がいかない。子どもを連れて死んだ杏奈だけは許せん。
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電車で読んでいて
降りても続きがすぐ読みたくなるぐらい
そのあと帰っていっきに読破しました。
『本日は、お日柄もよく 』
以来にかなり感銘を受けました
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原田マハさんらしい、あったかくも切ない物語。いつも感心するのだが、この作家さんは引き出しが沢山あるなぁと。
どこかにまぐだら屋があるかも、と思うのは楽しいし、紫紋の最後の言葉が良かった。
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文章が特別に巧いわけでもなく、
登場人物の名前の多くがキリストの使徒からとられているのもどうかと思うし、
壮絶な過去は「できすぎ感」があってリアリティに欠ける。
少女漫画、あるいは携帯小説のようなモチーフ、ストーリー展開ではある。
それなのに、ふと胸の内をすぎる温かさやすがすがしさがここちよい。
包丁のとんとんというリズミカルな音が聞こえ、だしのいい香りが漂い、
ひとごこちつくような料理の描写が魅力的。
そして何よりも、この「尽果」という土地の、何も問わずに受け入れるという、哀しくも温かい場所に惹かれているのだと思う。
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小川糸さんの作品とにてたなぁ。でもこのストーリー好き。タイトルもいいよね。やっぱ食べるということは生きることなんだ
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タイトルからして、聖書を絡めるのだろうなあ、とは思っていたが、こういう展開する?それにしても、マグロとタラで「まぐだら」とは!初めて文字で出てきた時には、電車の中で思わず吹き出してしまった。でもこの、ほんのり暖かい世界、やさしくていいなあ。
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またまた マハさんって いろんな分野の作品を
かけるん人なんだぁ~と 驚きつつ読み進みました。
いつか紫紋も 再び尽果の町にもどってくんだろうなと
温かい気持ちになって 読み終わりました。
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タイトル通り、あちこちにキリスト教から引用した名前などが出てきますが余り気にせず読みましょう!
「まぐだら」の意味なんて…笑えます
原田マハがこういう作品も書くとは知りませんでしたから良い発見と言う印象です。
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修行先の料亭の事件に巻き込まれ、死に場所を求めてバスを降りた主人公、紫紋。「まぐだら屋」を切り盛りする女性マリアに助けられ、店を手伝ううちに…
登場人物の名前が、聖書からの引用。ある意味DQNネームと言うか…
名前の点では、軽く興ざめ。
でも、それくらいしないと、聖書的なテーマを感じ取ることが難しいのかも。赦され、赦し、ありのままを尊いものとして受け入れることが、救いなのだと思う。
最後のお母さんの伝言にやられた…
マグダラのマリアは、キリストの復活においてとても重要な人物。
でも、この物語で復活したのは…?そこまで考える必要はないかな?
ちなみに、ダヴィンチコードでも大事な人物だったなあ。
私の印象では、あることないこと言われて、ちょっと可哀想な人だったりする(笑)
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高級料亭で修行する及川紫紋がある事件に巻き込まれ、逃避行の末にたどり着いた店「まぐだら屋」で、生きる力を取り戻すお話。
それなりの意図があってのネーミングなのだろうが、「まぐだら」だの「マリア」だの「マルコ」に「ヨハネ」で、はあ?と思わなくもないし、起きた事件も登場人物の行動もなんとも昼ドラの雰囲気がぷんぷん。途中、私の思い描いていた方向と違う方へいっちゃうのかな~と不安にもなったけど、最後は期待通りの顛末で、結局ちょっと泣けちゃうんだよねぇぇぇ。
どう考えても出来すぎなんだけど…それもまあいいか~と思わされる、要するに、いつも通りいいように著者の思惑通りに楽しまされた、読んで温かな気持ちになれる作品でした。
紫紋が最初に女将に食事を用意するシーンがいいな。
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原田マハさん。
面白い。好みだと思う。
でも、どこか
わざとらしいというか
そこまでしなくてもいいのに
と思うところがいつもある。
まりあと、よはね
は、ないなー。
あとおばあちゃんと抱き合うところとか
聖母マリア像のうんたらかんたらとか
元キュレーターだからそういうとこで
自分らしさを出したいのかとも思うけど
そこはいらない気がしました。