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「私たちはしあわせで、しあわせも一緒に連れて歩いた」に泣けました。陽を浴びながら笑い、甘いばかりのキャドバリーを抱く。痛みが光り輝く。
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母と二人きり、断崖絶壁で暮らしてきたシルバー。落下事故で母を亡くし、行くあてのないシルバーを引き取ったのは、岬の灯台に住む盲目の老人ピュー。代々灯台守の家系だと話すピューは、船乗りたちに聞かせるための物語をいくつも持っていた。灯台の仕事を手伝い始めたシルバーに、ピューは相反する二つの暮らしを両立させようとして失敗した男 バベル・ダークの物語を語り聞かせる。
父親のいない子として町からはじき出されて生きてきたシルバーは、やがてピューとも離ればなれになり、常に自分の居場所を探し続けなくてはならない人生を歩む。そんなとき、自分をも物語にしてしまうこと、物語は灯台のような光だと教えてくれたピューの言葉がシルバーの支えになる。この小説には寓話のような語り口と西暦がはっきり示される歴史小説のようなパートとほとんど詩といえる断片的な語りが混在しているが、これは語り手であるシルバーが物語るための〈声〉を手探りしている状態をも表しているのだと思う。冒頭の母娘二人の生活はまるで絵本のように描かれ、灯台を去ってからの日々はリアリズム小説のように具体的に描かれる。自分の人生を物語にするには、時間的な隔たりも必要ということかな。
ピューもシルバーと同じく自分のことを物語にしてしまった人間だ。ピューの家系が代々灯台守をやっていて、その始祖がバベル・ダークの血を引いているという話は出来すぎていて怪しい。最初のほうでシルバーに語り聞かす「自分自身に物語を語りながら岬に辿り着いて生き延びた船乗り」の話が、実際のピューの身の上話なんじゃないかと思う。ダークの二重生活はピューがシルバーに残した『ジキル博士とハイド氏』『種の起源』からつくりだしたお話で、だからピューはダークと会って話すこともできる。
ダークの物語は、個人的には『ジキル博士とハイド氏』よりホーソーンの「ウェイクフィールド」を連想するところが多かった。幻想小説であるジキルとハイドより日常的な描かれ方をしている分だけ罪深く、そこに人を試すような気持ちが隠れている点で近いと思う。このお話がピューにとって大事だったのか、シルバーのような生まれの子を慰撫するためにつくったのかはわからないけど。
「その最初の夜、ピューは闇の中でソーセージを焼いた。いやそうじゃない、闇といっしょにソーセージを焼いた。その闇には味があった。それが夜の食事だった。ソーセージと、闇と。」「それからわたしたちは、たった一つ残っているグラスを、たった一つ残っている水道でそっと洗い、たった一つ残っている虫食いだらけの棚にもどし、窓から射しこむ月の光の中にきらめくグラスを残したまま、石灰殻を敷いた小道をゆっくり歩いて、灯台に戻っていった。」など、夜の景色が印象的だった。灯台は夜にこそ必要とされるものだから。
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どんなひとにも一人ひとり物語があります。
それらのほとんどは語り継がれるようなものではなく、
当人がこの世を去ると同時に消え去ってしまうというような、
取るに足りないほんの小さな物語です。
そんなささやかな物語が幾世代にもわたって
塵のように積み重なり、地層のようになったうえに、
わたしたちの暮らしがあるように思えます。
そしてまた自身の物語も塵となって
風に運ばれていくいくのでしょう。
この本の舞台はスコットランドの鄙びた港町。
灯台守をする盲目の男が
みなし児の少女をひきとったところからお話は始まります。
老いた灯台守のもとで少女は見習いとして暮らし始めます。
灯台守の仕事は、光を守ることと物語を語ること。
灯台守は少女に、毎日物語を語って聴かせます。
その物語は灯台守がまだ
この世に生を受けるよりず~っと以前のお話でしたが、
盲目の老人はさも自分が見てきたように、
あるいは自分のことであるかのように話します。
やがて灯台にも近代化の波が押し寄せ、
ふたりは離ればなれに・・・。
時がたち少女はおとなになりますが、
それまでどうやって生きてきたのかは記されていません。
でも、なんとなく想像できるような構成になっています。
読み終わったあとしばし余韻に浸り、
いろいろと想像を膨らませることができるのは、
良い作品である条件のひとつといえますね。
べそかきアルルカンの詩的日常
http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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翻訳ものは苦手意識がありましたが、この本はすんなりと読めて、楽しめました。
人生は与えられたもので、自分で選べることは、上澄み部分のほんのわずかなことしかないけれど、だからこそ、自分で決めるということを、そして決めたことを大切にしたいと思いました。
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灯台守の不思議なお話。
主人公とピューの関係性が温かく心地よい。
岸本さんの翻訳が素敵でずっと物語を読んでいたくなった。
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読んだのは2007年発行の単行本の方。
『十二月の十日』から続いて岸本佐知子さんの訳のの本を読みたくて選んだ。
タイトルは前から知っていて、でも翻訳物は苦手意識があって手に取らなかったのだけど、読み終えて胸がいっぱいになった。
孤独で?光で?愛で?
なんだろう、わからないけど、私の中では『神様のボート』に近い読後感だった。
世界にはまだまだ魅力的な小説が山ほどあるし、それらを読むことで私はようやく息ができるのだ。
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盲目の灯台守ピューが、孤児になった少女シルバーを引き取り、灯台守の見習いにする。2人は物語を語り合い、闇にまみれた灯台での生活を重ねる。
とても不思議な本だった。翻訳物は難しい。岸本佐知子さんの訳はとても自然で美しかった。それでも、あまり内容を掴みきれなかった。でも、惹かれ続けて読むのをやめられない。そんな本だった。
またいつか読み直したいと思う。
…どんな辛い経験をした人でも、恋をして人生が輝き、美しい時間がある。
アイ ラブ ユー
この世で最も難しい三つの単語、
「で、その誰かさんに、お前さんは私わしが言ったとおりのこと言ったかい?」
「もしも誰かを愛したら、そのとおりに言うこと」
「ああ、そうだ」
「ピューに言われたとおりにしたわ」
「そうか、うん。それでいい」
「愛してるよ、ピュー」
「うん、何だね?」
「愛してる」
〈物語ること〉で人は救われる、と、作者ウィンターソンは言っている。「自分を物語のように話せば、それもそんなに悪いことじゃなくなる」という台詞があった。確かにそうかも…と自分にも思い当たる経験がある。辛い思いをしている人に、その経験から抜け出せない人に、物語ることの不思議さを体験して欲しい。
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書評ブログ『ボヘミアの海岸線』で星5のお気に入り作品に選ばれていたのをみた日からずっと読みたくて、5年間ほど積んでいたのをようやく読んだ。
……好みじゃなかった!笑
単線的でない重層的な語りの構成や、〈物語(ること)〉礼賛というテーマなど、ありきたりなポストモダン現代文学の優等生って感じ。
バベル・ダークの二重生活不倫痴話も退屈。
灯台や物語を愛する私たち、を自己陶酔的に愛撫するような姿勢も気に入らない。
作中で、人間的な機微が分からない”嫌なひと” として造形されているミス・ピンチが結局いちばん好きだった。
ラストには驚いた。徹底してミス・ピンチを「嫌なひと」として描いておいて、最後の最後で哀れな境遇だったことを明かして、その「嫌な性格・振る舞い」に同情的な理由付けをする。馬鹿にしすぎだろ。登場人物を。そして読者を。
要するに、本作は「わたし」(シルバー)やピュー、ダークらの主人公サイドの人物にはすこぶる甘くて優しくて、そんな自分たちを肯定するための踏み台として、ミス・ピンチのようなサブキャラを配置している、という残酷な構造をとっている。それが自分にはどうも受け入れがたい。
でも、皮肉なことに、けっきょくいちばん魅力的なのは、そんな「嫌な奴」であるミス・ピンチと「わたし」が触れ合って言い合っている場面である。上の引用の直後に「わたし」が思い出すのが「カモ丸ごと一羽の羽根ぶとん」をかぶって眠ろうとした夜であるのが象徴的だ。
振り返れば、最初のほうが(まだ)いちばん面白くて、どんどんつまらなくなっていったというか、苦手な作品姿勢が次第にあらわになってきて落胆していった。
冒頭の、崖っぷちに建つナナメの家でお母さんと暮らしている描写や、ミス・ピンチの家で一夜を明かし、ピューに引き取られた直後くらいが面白さのピーク。「二人のダーク」の挿話もぜんぜん面白くない。スティーブンスン『ジキル博士とハイド氏』やダーウィン『種の起源』への言及/活用なども、作品に雑に深みを出そうとしてるな〜という小手先感が……。
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比喩が洒落ていてロマンチックな雰囲気の文章が、くすぐったかった。
物語ることへの厚い信仰心と、並んで大きなテーマとなっていそうな「愛」、それぞれ独立して見えて、ほどけた感じのまま読了。
ダークだって自分の人生の異邦人となり(これは語り手姿勢に近いのでは)いちどはスティーヴンソンやピューや自分に、語っていたのだけどなぁ。さいごの幻想的な彼の物語は、救いだったのかしら。
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この物語を知る前から灯台に対する関心が強くあり、
将来は灯台守になりたいとさえ思っていた。
日本各地の灯台へ足を運んで、
実際に内部まで登ってフルネルレンズを
間近で見たことがあったので、ピューとシルバーが
闇と共にウィンナーを食べていた情景や、
船と鳥と眼下に広がる青い海が目に浮かんで、
読んでいてとても楽しかった。
灯台守の仕事は真に孤独で闇の中にあって、
途方もなく同じ仕事"光の世話"が続くだけに思えるが、
灯台の一つ一つには語られる物語があり、
地図のなかった時代の船人は皆、岬にある灯台の場所を
物語で覚えていたと言う話がすごく素敵だった。
灯台を舞台とした愛と人生の物語。
すでに現代では、海保が管理し無人と化した灯台に
灯台守の居場所はどこにもない。
でも、ピューや、シルバーにとって灯台が
物語であったように、これから私は私だけの
灯台を探していきたい。
それは夜の海を一条の光で照らして
陸地の位置を知らせる、美しく頼もしく、
人を導くもの。確固として揺るぎないもの。
人々が見るために外界を明るく照らしながら、
自らのうちには闇を宿すもの。
暗い記憶の海を照らし出すもの。
そして命を救うもの。
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灯台がずっと気になっている。海に行けばポツンと立っているけれど、荒れた日にもしっかりしているししばしじっと見てしまいます。世の中には同じような人がいて、フリーペーパーまで発行している。「灯台どうだい?」https://toudaifreepaper.jimdofree.com/
そんな流れでこの本もずっと手元にあったのですが、海が恋しくなって読んでみる。思っていたのと、内容は全く違う「文学」でした。しかもちょっと苦手なタイプの。たくさんの寓意が込められているのは理解できるのですが、その象徴とるのものの描き方が自分の許容をこえているというか。崖に文字通り斜めに突き立った家に命綱をつけながら住んでいて、母親は転落ししてしまった・・・の冒頭でひっかかってしまってなかなか胸に響かない。目覚めたら一匹の虫になっていた不条理は受け入れられるのに。ダーウィンもでてくるのですが、2004年の作品でありながら自然淘汰のとらえ方も間違ってるし。ちょっと鼻につく表現が合わないのかな?この自分の受け皿の限界がどの辺にあるのか謎。ばかばかしいSFとかは楽しめるのになぁ。
孤児にしてカルト的な教会の説教師にまでなってあげくに追放という経歴をもつ著者自身に興味がわいた。自伝的要素をもつ「オレンジだけが果物じゃない」のほうが面白そうだし、なにより純粋に灯台を深堀りしたほうが楽しそうだ。