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紙の本
あれこれ悩みすぎず、その場の感覚で行動する鬼太郎が心地いい。墓場鬼太郎は水木しげる自身なのかもしれない。
2011/12/01 15:49
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る
この『貸本版 鬼太郎夜話 完全復刻版BOX』は、かつて三洋社から出版された、貸本版鬼太郎夜話全四集をセットにしたもの。
再び鬼太郎・水木しげるウェーブを起こした、テレビドラマ『ゲゲゲの女房』で説明すると、村上弘明演じる深沢洋一氏の出版社から出された本になる。
その後、社長入院のドタバタで消えてしまったあの原稿は、第五集になるはずのものだったらしい。
収録の物語はというと、各集それぞれにタイトルがついているものの、重なりながら連続しており、長編に山場がいくつもある構成になっている。
物語自体シンプルなのに非常に楽しめるのは、この構成の妙もあるのだろう。
【第一集 吸血木と猫娘】
歌手のトランク永井は、ねずみ男に吸血木の芽を植え付けられた。体は徐々に吸血木に支配されていく。
一方、小学校の昼食でねずみを食べはじめた鬼太郎。すると隣の席の寝子(ねこ)が猫のようになってしまった。
彼女が好きな鬼太郎は、もう学校へ行けないと落ち込む寝子を歌手にしてあげるため、トランク永井の元を訪れるのだった。
【第二集 地獄の散歩道】
ニセ鬼太郎は、ねずみ男と組んで本物の鬼太郎と入れ替わろうと画策。
二人は『地獄からの旅行者』としてテレビ出演するものの、学者たちは『地獄の砂』を見せないと、死後の世界を認めないと言う。
かくしてニセ鬼太郎は、『地獄の砂』を手に入れるため、地獄へ行くことに。
【第三集 水神様が町へやってきた】
鬼太郎の養父は、月給も上がらないのに家賃を倍に増やされてしまい、家計は非常に苦しい。
そこで働くことにした鬼太郎は、借金の特別取立係りとなった。
利子含めて一千万円にもなる取り立ての相手は、『物の怪』と『水神』という妖怪なのである。
【第四集 顔の中の敵】
ねずみ男は、隣の部屋に越してきた、口にチャックの付いている『ガマ令嬢』に恋をした。
又隣の部屋に住む洋装の怪紳士もまた、ガマ令嬢を好きになった。
鬼太郎は、あることを条件に、それぞれ二人にガマ令嬢との仲を取り持つと約束をするのだった。
* * *
この漫画に登場する『墓場鬼太郎』は、『ゲゲゲの鬼太郎』のように格好良くない。
むしろ、寝ぼけた感じの非常に面白い性格をしている。
何度もスリの片棒を担がされるほど単純で、
しかし、その酷さに仕返しをする人間っぽさもあり、
家計が苦しいから働きに出るけなげさもありながら、
ある思惑で、ねずみ男と怪紳士それぞれにガマ令嬢との仲を取り持つ約束をするという、したたかさを見せる。
その一方、寝子のために歌手への道をつけたり、妙な男二人に好かれたガマ令嬢に助言をするなど、女性にはめっぽう優しい。
そして、怪紳士のステーキを誤って食べてしまったお詫びに、怪紳士のラブレターをガマ令嬢へ渡すという律儀者でもある。
なんというか、その場その場の雰囲気に流されている感じである。
なのに、そんな鬼太郎が羨ましく、親近感すら湧いてくる。
あれこれ悩みすぎず、その場の感覚で行動している様子が心地いいのかもしれない。
と、以前読んだ『隠れた脳―好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』を思い出した。
この本では、無意識のバイアスである隠れた脳が、我々の意識と行動に与えるさまざまな影響と問題を指摘。
生きるための本能と密接なこの無意識のバイアスは、それ自体を制御するのは難しい。
しかし、その働きを理解すれば理性で行動をコントロールできる。
だから、本能による一部の誤った行動を制御して、より良い行動をしていこう。
という内容だった。
この本の内容からいうと、その場の感覚で行動している鬼太郎には、行動をコントロールする理性が見あたらない。
言ってみれば「本能のおもむくまま」なのである。
そんな鬼太郎に親近感を感じるのは、彼の本能のおもむくままの行動に、自分の行動を制限している理性よりも、自分の本能が共鳴しているからなのだろう。
ところで、釈迦の子・『らごら』は、すべての人間に仏性が具わっていることを示すため、自分の胸を開いて仏の顔を見せたという。
仏性とは仏になれる可能性のこと。
仏とは悟りを開いた者。
悟りを開くには、仏になれる可能性に気づき、それを磨かねばならない。
仏性を磨くには修行や善行を積む、座禅を組む、など色々ある。
例えば、理性で行動をコントロールし、人としてより良い行動を心がけていくことも、悟りへの道の一つと言えるだろう。
とすると、理性で行動をコントロールした究極の姿が仏だと考えられる。
反対に、本能のおもむくままの姿は鬼太郎と言える。
その本能はすべての人間に具わっていることは間違いない。
すなわち、我々の胸を開くと鬼太郎の顔も……。
などと、糸がつながるまま書き連ねてみたものの、ねぼけた雰囲気を持ち、その場の感覚で行動する墓場鬼太郎は、水木しげる自身なのかもしれない。
水木しげる著『ねぼけ人生』を読むと、そう思えてくる。
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