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表題作の「これはペンです」も併録の「良い夜を持っている」も、共通するのは記述し得ないものを記述しようとする試みであるということだと思う。
異なるのは「良い夜を持っている」では記述し得ないものを記述しようとしたものを記述しようと試みている点だろう。
相変わらず訳が分からないけれど面白かった。文庫化されたら買って読み直すつもり。
図書館にて。
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ベストSF2011第1位。題材は興味深いのだが、僕には少々難解で、読み疲れてしまった。SF的世界観、理系的思考、そして何より「考えながら読む」のが苦にならない人ならもっと楽しめると思う。逆に自分は、最近は速く読もうとするあまり、文章を咀嚼する能力が落ちているのかもしれないと反省。
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叔父は文字だ。文字通り。
「言葉」を手がかりに繋がろうとする、叔父と姪、父と息子。
書くこと、読むことの根源的なありようを鮮やかに照らし出す、
魅惑的で、あたたかく、しかしどこまでも醒めた2つの物語。
文章の自動生成装置を発明し、突飛な素材で自在に文章を生み出す叔父と、その姪の物語「これはペンです」(芥川賞候補作)。
存在しない街を克明に幻視し、現実・夢・記憶の世界を行き来する父と、その息子を描く「良い夜を持っている」。
どちらの作品もまだまだ私の理解力が乏しくて、心地よく読めはしたのだが…変な家族の物語という印象で終わった。
文庫化時にはもっとちゃんと読んでみる。
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表題作よりも、むしろ「長い夜を持っている」がよかった。この種類の記憶にまつわる話としては、たしかボルヘスにも短編があったように思うが、何か幻想的な雰囲気ある著者の文体とよくあった素材ではないか。表題作のほうは、自由意思がテーマ?中国語の部屋等、その方面に関心のある方には、色んな深読みができそうだが、評者には少し荷が重い。
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哲学書みたい。時間があって賢い頭があれば もっとじっくり読み込めるかも…。時間も頭もないワタシは読み飛ばしてしまった。シンプルな題名とは裏腹に難解な1冊。
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※表題作のみ読了。
随所に置かれている挿話は、ひとつひとつを見てみれば難解なものではなくて、予備知識もいらなかった。もしも挿話の内容を掴めなくても、作品に悪い影響を及ぼさないだけの強度があった。
ただ、文中に必要以上の固さを持った単語が出てくることが多いので、ことばをすっと呑み込めずに喉に引っかかりを感じることがあるかもしれない。
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冒険と企みに満ちた確信犯的な文学と感じた。読んでいる最中の翻弄のされ方も、読後の印象も、高橋源一郎さんの本を読んだ印象と似ているように感じる。きっと極めて高度な思考的な文学なのであろうと思われる。「文字」「言葉」への思索がそこにはあり、それに対しての愛情までもが伝わってくるような気がする。が、実のところ、そんな気がするだけであって、とどのつまりはわけがわからない。というのが正直な感想である。
「叔父」と「姪」の物語が「これはペンです」。
その「叔父」は次の「良い夜を持っている」では「父」と「姪」と「わたし」の物語の中で「わたし」として登場する。
この2作を読んで、初めて「叔父」と「姪」と「父」と「母」と「姉」と「わたし」の物語が成立し、そこにある種の感動が生まれてくるのだ。これだけわけのわからない内容にも関わらず、最後に感動らしきものが残る、ということ自体がすごいこと。のような気がする。いや、実はよくわかってないのだが。。。
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作者が東大院の文学部と知って正直つまらなそうと思ったけど、読み始めるととまらない。
自動論文生成やタイプボールなど説明が理系くさいところが好き。
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道化師の蝶が素敵だったので読んでみた円城さん2作目
ごめん、わからん
わかろうと努力もしなかった…
速読しました
2つめの、良い夜を待っているは辛うじて読めましたが、
理解できそうと手ごたえを感じたところでするりと逃げられの繰り返し
もういい…
でもあと3冊ある…
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理系な文章による文学、というところが面白い。論理の積み上げや科学、無機的な視点でこんなに人間を描けるのが新しくて面白い。
ロボットのような天才叔父と手紙でのみやり取りする姪の話と、超記憶力に翻弄される人生を送った父をもつ息子の話。
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思考実験のような小説。
一度でも見たものをすべて脳内に組み立てた地図に配置して記憶してしまう父親の話、「良い夜を待っている」の方が好き。
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円城塔の文章ってちょっと読んだだけで円城塔だとわかる、と言われています。いま言ったことを次の文ではひっくり返してみたり、堅苦しいようなとぼけたような、こねくり回したような、確かに癖がある。
私はリズムを重視したような、狂言回しのような、「独特の文章」があんまり得意ではないです。舞城王太朗とか、中原昌也とか、町田康とか、ダメ。めちゃめちゃ読みにくい。古川日出夫とかはもう最悪で、3ページ読んだら頭痛がするって感じ。オエー。
だけどなぜか、円城塔の文章は読みやすいです。肌が合うというこのなのかな?変わった文章につきものの「やだ味」みたいのを感じないです。寝る前にちょっと読むのとかにすごいいいです。
表題作のほうではなくて、一緒に収録されている「良い夜を持っている」がお勧めです。実はハートウォーミングなんだな。
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円塔さんの本は初めて読んだけれど、
…難しい。
なんとなく分かるような分からないような。
雰囲気は好き。
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正直よくわからなかった。
でもなんだかその分からない感じを含めて好きな感じではある。
ちょっとけむに巻かれているような、
吉田さんの難しいバージョンの時と似ている感覚。
一ページ読み進めるのに、すっごく時間がかかって、
前に行ったり、後ろに行ったり、どこまで読んでたのか分からなくなったり。
でもそーゆーのもキライじゃなくて、
ちょっと行き先のわからない散歩をしているような。
少々疲れはしますが、
ちょっとくせになる疲れ、かな。
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『存在の大いなる連鎖なるものがそこにあろうがなかろうが、あらゆるものは繋がっており同時に分断されているのであって、こんな滅茶苦茶なことを言いはじめるのは、わたしが問題を整理しきれておらず、重要な事柄に未だに気づいていないからであるのは言うまでもない』-『これはペンです』
言葉というものが例えばレゴのブロック(もちろんそれはダイヤブロックでもいいのだが)のようなものだとイメージしてみると、「中国人の部屋」の思考実験や、シェークスピアをいつかは叩き出してしまうかも知れない猿の思考実験を直ちに思い浮かべてしまうように(そしてそのような人工知能をめぐる議論で先人が提唱した数々のモチーフは「これはペンです」の中に溢れているのだが)、ランダムさが生み出しかねない意味のありそうな文章というものを、うっかり自分も試行してみたい気分になる。
そんなことを小説の筋とは全く関係なく(というよりも作家はそんな風に読者がナイーヴに物語を辿ることを期待しているというよりは、むしろこの文章が読者の脳の中で連鎖反応のような発火を誘導してくれることを願っているような気もするが)漠然と考えていると、アラン・ソーカルの論文ねつ造事件(ソーカル事件、とググってみてください)への言及が放り込まれている。すると先ほどの文章がどこかで聞いたような気がしていたが、それは作家の忍び込ませたエクサープトなんじゃないか、という疑う気持ちがむくむくとわき上がり警戒警報のアラームが頭の中で鳴り響き始める。そんな風に身体が緊張して非常事態(つまり騙されていた((何に?))と突然気付くような事態に陥ること)に備えていると、あっさりと引用の元が明かされる。なんとスリリングな読書だろう。
しかし過去の文章を分解して新しく組み立て直す、ということ以上のことを果たして自分たちはしているのだろうか、という疑問は依然として残る。例えば
「私はお前の兄たちと、苜宿(うまごやし)の白い花の密生した原っぱで、ベエスボオルの練習をしていた。お前は、その小さな弟と一しょに、遠くの方で、私たちの練習を見ていた。その白い花を摘んでは、それで花環はなわをつくりながら。飛球があがる。」
という文章が「良い夜を持っている」の中で何のことわりもなしに挿入される。ああ、この文章は男声合唱に馴染みのある自分にたちまち草野心平の詩を思い起こさせる
少女たちはうまごやしの花を摘んでは
巧みな手さばきで花環をつくる
それをなはにして縄跳びをする
花環が圓を描くとそのなかに富士がはひる
その度に富士は近づき とほくに座る
(作品第肆、より)
そんな風に一方で記憶を辿りながら文章を追っていると、それは堀辰雄の「麦藁帽子」から採られた文章であるとの説明がある。へえ、どちらがどちらへ影響を与えたのだろうか、などとまたまた小説の筋とは全く関係のないことへ意識は漂っていく。そしてこの2つの文章の呼応が、根本的にはどこかしら、もっと身も蓋もない「カット&ペースト」という言葉が意味するものと繋がっているような気がし始めてしまう。しかしそれ以上でも以下でもない。全くの新しい文章を起��すことなどできる筈がない。もしそれを突き詰めてゆくとしたならばAPL言語のキーボードで文章をなそうとした主人公の父親のようになるしかない。
途方にくれる。しかし、それでも言葉はつるつると頭の中から身体から出て来てしまう。どこでどのように呼応しているのかもわからずに。どこかの記憶の部屋にしまわれていた言葉は吐き出される。
神、空に しろしめす、すべて世は 事もなし。
神はサイコロを振らない、とアインシュタインは言ったというが、神ならぬ我々の脳はサイコロを振り続けているだけなのかも知れない。それでも世の中は何事もなかったように動いていく。あの人の言ったその一言の意味を正しく理解していると信じて。