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p15 共通点1について、いいな〜と思う
p17 ものを創造する人間は基本的に〜 いいな〜と思う
グールドさん、とか、ソリストに初めて注目するようになった。
(毎朝聴くクラシック番組の中で)
確かに、違うもんだな…
p76まで。
これたぶん…本に出てくる曲を聴きながら
時間をかけて読んだ方がかみしめられそう。
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やっと読めたー!
最近出た音源集を聴きながら読んだらきっともっと楽しめる一冊。
マエストロ小澤のお話はどれも興味深く、面白い。
逆に、難しくてなに言ってるのかところどころわからないな、と思った箇所はどれも春樹の発言でした。小説にも折にふれて書いてるけど、音楽に対する造詣が深いんだね。素人にはわからない。
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忙しい時期だったが、思わず一気に読んでしまった・・・。村上春樹が小澤征爾に、指揮や音楽についてインタビューするという内容だが、村上春樹のクラッシクへの造詣や深い聴き方に、小澤征爾とともに脱帽。
楽譜を読み込むという姿勢、練習に対する考え方など、基本的な人間としての姿勢や経営に通じる部分もあって参考になった。特に、オーケストラを指揮してメンバーをまとめる部分は、色々な指揮者との比較話もあって興味深く感じた。
それにしても、至福の一冊。クラシックと村上春樹の世界にたっぷり浸れた。
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「なんつーか、あれだな。クラシックっての?面白そうじゃん。俺さ、ちょっと聴いてみるよ、うん。あとさ、オザワって人?じーさんだけどかっけーな」とかって思える一冊かと。
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小澤征爾節にハマります。指揮者の役割が明確でなかったのですが、作曲家が書いたスコアがあって、演奏家がいて、その間にたってスコアどおりに音楽を再現する人でした。しかし、スコアどおりにといっても、作曲した時代背景や当時の演奏会場の音響のことなど様々な要因までスコアの解釈にふくめると指揮者ごとに再現した音楽が異なることもあるのだなあと思いました。
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村上春樹さんの音楽への造詣が深くてびっくりする。小沢征爾さんの音楽についての話、とても興味深い。村上春樹じゃなければひきだせなかったのでは。読んでてしあわせな時間でした。
マーラーを聴いてみたくなりました。
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こんなに勉強しながら読んだ本は初めてです。結果、リズムを持った美しい物語として読むことができました。(単なる対談でなく)
リズムを体感しながら読み終えるまでに勉強が必要だったのは、Glen Gouldを少しかじっただけの私にはわからない語彙が沢山あったからです。それら文章を少しずつ理解しつつ、物語として読み進む過程も楽しい体験となりました。
本を読み終えると、マーラーはじめ多くの録音を聴きたくなるでしょうが、のみならずサイトウキネンに行きたいし、マエストロのオペラを聴きたい。小澤先生があと何年タクトを振ることができるか。その様な哀愁に包まれたからです。
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小澤征爾もライブの人なんだな.内田光子に共感しているのはなんとなく納得.昔見た内田光子のインタビューを思い出す.記録媒体に対する距離感が面白い.異文化出の競争で一線に居続けたことの凄みが垣間見える.最後の後進教育の話,マスタークラスだからある程度のエリート対象だけど,それでもそのアプローチが興味深かった.
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売り出し前日に、小澤氏本人と某所にてすれ違い、何かは運命的なものを感じました。クラシックはど素人なのですが、村上さんとの会話で引き込まれてしまいました。
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・羽生さんの本とかと一緒で、やっぱ達人の言うことは違う。
・カラヤンとかバーンスタインだとかの歴史上のマエストロとこんなにお近づきだったのかぁ。やっぱすごい人だったのだなぁ。
・それでもって、マーラーとかブラームスとか聴いてみたくなった。
・村上春樹もクラシック詳しいね。村上龍がかつて対談で坂本龍一や中上ケンジと音楽について対話してたなぁ。あれはファッションみたいに話してただけか。
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クラシック音楽好きには、たまらない一冊。
岩城宏之の「フィルハーモニーの風景」、小澤征爾の「ボクの音楽武者修行」、佐渡裕の「僕はいかにして指揮者になったのか」などの指揮者本とは趣は異なるが、同じくらい濃くて面白い。
それにしても、村上春樹のクラシック音楽への造詣の深さには、素直に脱帽。
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もうほんとに面白い。読んでいて音楽が流れる、幸せな一冊。
インタビューの合間のインターリュードのうちの、
「文章と音楽との関係」なんかも、リズムが大事、っていうあたり、
ほんと1ページ1ページわくわくしながら、読み終わるのがもったいないような、先を読みたいような。
あらためて、小澤征爾という指揮者がいかにすごいのか、どんなに
ミューズから愛されているのかがよくわかります。
また、聞かねばならない音楽が増えました。。。
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前書きに村上さんが「有名人同士」の話ではないとわざわざ書いているのも納得。あとがきの小澤さんの言葉がそれを裏打ちする。
この二人の対談、出会うべきして出会った二人ならではのもの。
インタビュアーが村上さんでなければならない必然性を感じる。
村上さんの圧倒的なデータ量とその質の高さによって、インタビュイーの小澤さんから引き出される音楽の話は、当然のことながら含蓄が多い。村上さんの誘導で思い出の引き出しを次々と開けていく小澤さんも楽しそうだ。
これは、本当に「本」になってよかった。続きの話も期待してしまう。
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楽屋話がおもしろかった。でも、村上さんの音楽関連の文章を読むと
いつも、ぜったいこんなふうには自分は深く音楽を聴けるようにならないだろうなと思う。
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考えてみれば、この二人の対談というのはアリだろう。村上も自分で書いているが、二人には確かに共通する部分があるからだ。何点かの共通点は、実際に村上の文章で読んでもらうことにして、一つ思い出したのは、どちらも日本で権威があるとされている人たちにこっぴどくいためつけられていながら、ちょうどそれとは反対に海外ではたいそうな評価と好意を得ている点だ。
今の人は知りもしないだろうが、小澤は忘れていない。ちゃんとN響からボイコットを受けたことを口にしている。村上にしても日本文学の権威筋からはかなりバッシングを受けている。はっきりと書いているわけではないが、村上はそうした二人の共通する部分をかなり意識しつつ、このインタビューを持ちかけたにちがいない。
小澤がここまで心を開いて音楽について語ることができたのは、村上に対する信頼があってのことである。たしかにかつてジャズ喫茶のマスターであった村上は自分で言うほど音楽の素人ではない。クラシックにしても、そのレコードコレクションがどれほどのものかは、小澤が驚くほどだ。
ではあるにせよ、演奏家でなく単なる聴き手にすぎない作家相手にずいぶん突っ込んだ話をしているし、最後にはセミナーの会場に同席を許してさえいる。音楽と文学という異なる分野で仕事をしていても、互いを理解し合える相手を得たという悦びがインタビューから伝わってくる。音楽について話される内容は勿論のことだが、何よりそういう生き生きした前向きな感動があるのだ。
音楽については、大好きなマーラーについて「巨人」第三楽章の曲をかけながらの対談が素晴らしかった。小澤の「とりーら・ヤ・った・たん、とやらなくちゃいけない」というようなくだけた語り口調がそのままマーラーの曲になって頭の中に響いてくる。音楽について書かれた本を何度も読んだが、こんな経験ははじめてだ。
対談の中で村上が文章を書く方法を音楽から学んだと語っている部分に感銘を受けた。「文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まない」「でも多くの文芸批評家は、僕の見るところ、そういう部分にあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます」。このあたり、かなり手厳しい日本の文芸批評に対する反論になっている。村上はきっと音楽を聴くように自分の作品を読んでくれる批評家を待っているんだ。そう思った。
でも、日本にも村上の良さを分かる批評家はいる。例えば、清水徹が、こう語っている。「普通に書いているようでいて、突然予想外な発展をしていくし、それから文体に魅力というものがある」(『書物への愛』)。これなど、村上の「しっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロヴィゼーションを始めるんです。自由に即興をしていくわけです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いていきます」という発言の言い換えのように読める。
村上は小澤の音楽についての話を書き残しておきたいという思いがあったのだろうが、期せずして作家としての自分の仕事について誰かに心おきなく話しておきたいという気持ちも無意識の裡にあったのではないだろうか。それが、小澤という願ってもない相手と向き合ううちに自ずから顕れ出たのが、このインタビューであったような気がする。まさに、運命の出会いというべきである。