紙の本
福島を忘れてはいけない為に
2012/01/26 14:17
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Qちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
3.11以後の福島で著者が何を考え、行動したのかを復興構想委員になって違った視点で震災を語った1冊である。福島県民の代表としての論考というよりもそういう考え方もあるかもしれないというスタンスで読むことをお勧めする。
さて、読後感として鳴り物入りで始まったあの震災復興委員会とは何であったのか。玄侑宗久という人が何故あの一員のい選ばれたのか、成果が見えない現在にあっては、いかさかピントがずれて感じてしまうのである。
紙の本
震災,復興構想会議,そして…
2011/12/21 23:15
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
震災以来,著者は震災について,福島について発言し,復興構想会議委員もつとめてきた. その著者が地震以来の経験や構想会議での主張やその結果などを書いたのがこの本だ. 著者は福島第一原発の 50 km 圏内に住んでいるというが,地震そのものの影響は比較的すくなく,津波の影響もない地域だ. 震災を東京圏でむかえた私とも,それほどかけはなれた経験をしたわけではないようだ. そういう著者のかんがえや感じかたに,読者は共感できるかもしれない.
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著者は芥川賞作家であり、復興構想会議委員も務め、原発から50キロ圏の福島県三春町に住む住職です。震災関連の本は多いですが、本書は自身の故郷である福島に住み続ける者としての視点や復興構想会議委員から見た政府側の対応の杜撰さなどが明瞭に書かれています。被災地を取材としてではなく、自身が被災者として見る震災からは、現地の言葉がダイレクトに伝わってきますね。
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福島在住の僧侶で作家であり、東日本大震災復興構想会議の委員である著者による、福島原発事故のドキュメンタリー。
余りにも沢山の問題が山積みで、一言で感想を述べることは出来ない。
今後、日本がどんな方向に進むにせよ、もはや無関心・他人任せではいられないところまで来てしまっているし、本当は事故以前からそうだったのだ。
個人的には、福島市観光農園協会の会長が語った、「長年築いてきた信用が、事故の一瞬でなくなった。我々は東電からの補償ではなく、果物を売って自前で生きていきたい」という言葉に胸を引き裂かれる思いがした。
勿論、福島の人皆がこう思っているわけではなく、100人の人に聞けば100通りの意見が出るだろう。
ただ、ごく当たり前に営んでいた日常が、根底から覆された現実に対し、返す言葉も見付からない。
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いま福島に生きるということは、
さまざまな困難に立ち向かいながらも
いままでどおりの暮らしを続けるということ
いや、続けたいと思うことだろうと考えた
目に見えない放射能や
なかなかすすまない復興施策や
絆がすこしずつ切れてしまうのではないかということ
さまざまな状況にありながらも
福島に生きることのたいへんさや
心意気をかんじた
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多くの悲劇を生んでしまった原発問題。私も福島県出身で、親の仕事の関係で幼稚園まで、そして中学から高校卒業までを福島で過ごした。実家があるわけではないのだけれど、多感な時期を過ごしたため自分にとっては間違いなくふるさと。自分も湾岸で被災したためではあるが、福島には何も出来ていないことが気持ちを重くしている。
作者の玄侑宗久さんは高校の先輩。3年先輩なので同じ時期に通ったわけではないが、気になる作家だ。
「アブラクサスの祭り」という映画を見た。玄侑さんのお寺を舞台にした映画。
本書を読みながらその映画の風景を思い出していた。
福島に生きるという事はフロンティアスピリッツを獲得して行く事に違いない。
生きて行く意味は「大いなる命の流れに身を任せながら無常を楽しむ事だ」
梅原猛先生の「この災害は天災であり、人災であるが、『文明災』だと思う」という言葉。
復興はもちろん重要だけど、新しい何かを生み出して地球のモデルになることが意味付けられていると思う。
そんなお手伝いを何かやりたい、と考えるきっかけとなる。
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ちゃんと勉強したいと思った。
無知すぎて恥ずかしくなった。
この本が全てじゃないけど、この本を土台に原発問題について色々知っていきたいと思った。
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福島県にある臨済宗のお寺の住職が書いた本。買ってから知ったけど、どうやら政府の復興構想会議の委員も務めておられた(おられる?)ようです。
坊さんなのでもうちょっと悟った感のあることをこれ見よがしに書いてるのかなーと邪推しながら読んでみたら、結構な具合に政府と東電に恨みごとと不満をぶつけていて(そう主張するだけの正統性は、当然あるとは思うけど)、逆に親近感が湧きました。あ、そーゆー捉え方をしちゃってもいいんだねやっぱり、って感じで。むしろ殺処分される牛と、内部被爆している可能性のある被災者とを同じレベルで並べて話をしているあたりに、仏教の僧侶としてのプライドというか、正確なものの見方をしてるんだな、と感じました。
放射線について教育の現場でもっとしっかり触れて正確なことを学ぶべきという論には賛成。臭い物に蓋のやり方は、あと20年もすれば死ぬ今の政治屋ならやってもいいかもしれないけど、これからの世界を担う子ども達に、そういう歪んだエゴを押しつけることはない。知るべきは知らないと。
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東日本大震災後の福島に住み続けるとはどういうことか。放射能にどう向き合うべきか。これは芥川賞作家であり、また福島県で現役の住職である筆者の説くこれからの東北、日本に対する提言と祈りの書であります。
これは、芥川賞作家であり、また福島県で現役の住職である筆者があの3・11の大震災のさい、また原発事故で故郷が危機にさらされる中で、何を感じ、何を祈ったのか。それを綴った記録でございます。現在も筆者は原発から西45キロに位置する福島県三春町の寺に住んでいるのだそうです。
その筆者がこれからの東北やこれからの日本に対する思いがこの一冊の中にこめられていて、ページをめくる手が読んでいて時々止まったことを覚えております。今、これを書いているときも筆者の声を聴きながら書いているので、その思いもひとしおでございます。
全体を通して貫かれているものはこの惨禍に見舞われていても自分は『福島に生きる』という決然たるものがありました。中央の政治エリートと、現地での復興に対する考えの『差異』や今後の東北に対する構想に関する箇所も宗教家・文学者である筆者だからこそのもので、ここに書かれていることは被災地からの視点から綴られた貴重な提言であると思います。