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著者は「あとがき」で、本書のタイトルについて次のように述べています。「本書は、「現代神道論」と題しているが、古代からの「神道」の伝統を現代の問題や課題と切り結ばせながら考えようとした」。ただし、神道にかんする研究や著述だけでなく、幅広い分野にわたって活動をおこなっている著者の行動の振幅を反映しているのかもしれませんが、神道の思想やその現代的可能性について集中的な考察がなされているわけではなく、かなり自由なエッセイをまとめた本のような印象もあります。
「東山修験道―「あさっての神仏学」」と題された章は、「あさってを向いて生きる百日開放行者」を名乗って比叡山への参拝を日課とすることを決意した著者の、ブログ記事のような内容になっています。還暦を越えた著者が、つつじヶ丘でひとりバック転をきめる光景は、想像してみるとなんともシュールです。
「祈り・東日本大震災の被災地を巡る旅」と題された章は、タイトルが示すように被災地をめぐりつつ、自然の脅威にあらためて目を見開かれるとともに、被災者に対してなにができるのかと自問する著者のすがたが記されています。また著者は、「大祓詞」のなかで大自然を循環する水の力動にもとづく詞句を引用しつつ、「だが、被災地を歩いているわたしには、……水の流れがもたらす清めの思想を、素朴に素直に高らかに声に発することができなくなった自分に気づいて愕然とした」と語り、その衝撃を「存在論的行方不明」という武骨なことばによって表現しています。ただ、日本の伝統的な自然観のうちに、われわれの自己が還帰するべき故郷を見いだそうとしていた著者が、「存在論的」な不安に襲われたということには、正当な理由があったのではないかと考えます。
ただし著者はやがて、そこから「なりふりかまっていられるか!」という開きなおりの心境が生まれ、あらたな活動を再開したことを語っています。あるいはこうした「行動の人」であるところに著者の本領があるのかもしれませんが、「自然」についての「存在論的」な観点からの問いなおしへと進んでいく可能性もあったのではないかという思いに駆られてしまいます。