投稿元:
レビューを見る
重度のタツラー(内田樹の読者)であるわたしは、
ここに書いてあることの大半を一度別のところで読んでいる。
それでもやっぱり面白い。
ひとつ、
この本が読書論であるところの所以は、
読書によってリンクする様々な思考を展開してみせているところだろう。
本書では、
読書を「scan」と「read」の二つに分けている。
わたしはその先に「link」があると思う。
つまり読書は、
「今ある自分の知識・思考」と、
「本に書いてあること」を繋ぎ合わせる(「link」させる)ことだと考えている。
著者は、
スワヒリ語40単語を覚えるプログラムの話を引いて、
「脳の機能は「出力」を基準にして、
そのパフォーマンスが変化するのである。
平たく言えば、
「いくら詰め込んでも無意味」であり、
「使ったもの勝ち」ということである」
と書いていることから、
知識を使うことの重要性を説いており、
本書ではまさに「自分の知識を使って本を読み解く」
という前述したことを体現しているのである。
わたしが毎日シコシコと日記をしたためるのも、
こうした修練の一貫であると言える。
投稿元:
レビューを見る
056
•遡及的に推理する
•「あなたに言葉を伝えたい」という親たちの抑制することのできない激しい欲望
•受信者が「あ、これオレ宛のじゃないわ」と思えば、メッセージは虚しく空中に消え去るしかない
投稿元:
レビューを見る
内田樹さんによる読書エッセイ。本の対象として『購入者』・『読者』があり、筆者の視点、書店の視点から述べられている箇所が印象的だった。
会社として実利を取る書店からしたら、立ち読みされるより購入してもらう方が、たとえ読まれなくても喜ばしいことだろう。しかしながら、筆者からしたら(一部の例外はあろうとも)「買いました」という言葉より、善かれ悪しかれその本の内容について述べられた方が書き手冥利につきるはずである。
自分にとってかけがえのない一冊に出会えたなら、たとえその読者が一度無料で読んだにせよ、本を手に取り購入し、いつでも見返せるよう自分の本棚に置きたくなる。その入り口をわざわざ狭め、読者の数が、本を読む習慣が減ったなどと論じる昨今の実情はまさに愚の骨頂ではあるまいか。
私自身も学生時代は図書館や古本屋にお世話になり、書店に行っても残念ながら購入する機会は少なかったのだが、社会人になり購入する機会が圧倒的に増えた。だからこそ、筆者も書店も『読者』を増やすにはという観点から物事を捉え、そのための取り組みを今後も進めていってもらいたいものである。
投稿元:
レビューを見る
いつもながらの内田節。コンピ本なので読んだことがあるところ多数。それでも、一冊の本になっているとよみやすい。
内田さんの本を読んでいるといろんなことが氷解してくるからおもしろいよね。
投稿元:
レビューを見る
ウチダ的知性を形作る「読書」と、「表現」についてのエッセンスを凝縮した一冊。
“本はなぜ必要か?”“「文学」はなぜこんなに売れないのか?”“タフで柔軟な知性は、どのような読書経験から生まれるのか? ”
それらの答えがぎゅっとつまったエッセイ集。著者史上、最厚の416ページでの登場。
投稿元:
レビューを見る
アメリカの西漸病てお話おもしろーい。
GO GO WESTはてんとう虫が高いところへ向かうような本能のよーなものか?な?
投稿元:
レビューを見る
内田さんには、いつも頭と常識をかきまわしてもらうのを期待しているのだが、今回は励ましてもらった。
(1)情報強者とは、自分に必要な情報があるときに、「教えて」といえば、「うん、いいよ」という人のところにホットラインがつながるようにネットワークが構築されている人のことである。(p366)
復興のことで、本当の現場の情報をするためにネットワークづくりをしていた自分にぴったり。
(2)人間がいきてゆくために本当に必要な力についての情報は、他人と比較したときの優劣ではなく、「昨日の自分」と比べたときの力の変化についての情報なのです。(p285)
もともと強い劣等感にさいなまれている自分としては、自分自身の力を少しでも伸ばすことに価値を見いだしたい。
(3)共同体はそのメンバーのうちで、もっとも弱く、非力な人たちであっても、フルメンバーとして、自尊感情をもって、それぞれの立場で責務を果たすことができるように制度設計されなければならないと思っているからです。それは親族や地縁集団のような小規模な共同体でも、国民国家や国際社会のような巨大な共同体でもかわりません。(p244)
今回の本は、ちょっと心が弱っているので、励みになりました。
参考文献。ローレンス・トーブ『3つの原理』(ダイヤモンド社)、平川克美『株式会社という病』(文春文庫)『移行的混乱』(筑摩書房)、難波江和英ほか『現代思想のパーフォーマンス』(光文社新書)
投稿元:
レビューを見る
内田センセの本は、やっぱり面白い。
ブログに書かれていることや、Twitterのつぶやきに、それはどうだろう?と思うことはあるけれど、内田センセの書かれることは、気持ちの深いところで、腑に落ちる。
この本は、読書好きだけでなく、何か日々考えることのある人はぜひ読んでください。
あ、考えてない人も読んでください。きっとなにか、考えるようになります。
それほどまでに、この本は、僕にとってはエキサイティングでした。
投稿元:
レビューを見る
頭の中をこねくり回してスッキリしてくれる本です。
読後、なんか自分が頭良くなった気がするような。
リーダブルということについて説明されていましたが、まさに内田先生の本はリーダブルだな、と納得しました。
投稿元:
レビューを見る
ビジネス書とは、全く違う視点からの読書論。
ビジネス書ではいかに効率よく本を読むかといったような、喉の渇きを癒すための読書のように感じる。
しかし、いくら本を読んでもこの渇きは癒されない。水を飲んだ瞬間は癒されるが永遠に渇きは波のように押し寄せる。
ビジネス書も読んだ瞬間は、モチベーションが上がるが、またさらなるスキルアップやバージョンアップが必要になる。
この読書の渇きにとつきあうには、渇きとはなんなのか?渇きはどこからくるのか?と問いをたてて考えながら渇きを癒すのではなく、渇きと程よくつきあって共存していくのが良いと思わせてくれた一冊。
投稿元:
レビューを見る
ブログで読み、「いつもの」口調な本だけれども、それでも読む価値の高い本。何度読んでもいいのですね、射程の長い本は。
投稿元:
レビューを見る
朝日ジャーナルの歴史的使命
夏目漱石「三四郎」新潮文庫
西洋に対する劣等感と日露戦争後の戦勝気分とがないまぜになった片付かない心持ちで、三四郎は、列車で向かい合わせた「髭のある男」にこう話しかける。
「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」
すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」と云った。
おそらくは幕末か明治初年の生まれである広田先生は、三四郎たち「若い明治人」に向かって、「君たちがいずれ国を亡ぼすことになるだろう」と告げたのである。
私たちの父の世代はこの「明治人」たちと「戦後派」の中間にいる。
彼らは思春期・青春期の全期を戦争の予兆と現実のうちで過ごした、戦争の「当事者」たちである。(中略)
けれども彼らはこの植民地侵略と戦争の起案者でも、指導者でも、主たる受益者でもなかった。そのような立場は「明治人」たちが独占していたからである。
そして、戦争が終わり、兵士たちが疲れ切って復員してきたときに、すでに政治でも経済でもメディアでも、めぼしいポストは勝利した戦争以外に戦争経験をもたないこの「明治人」たちによって占められていた。
そして、彼らは「八紘一宇」の代わりに、賑やかに「民主主義」の旗を振っていたのである。
「朝日ジャーナル」は戦争の加害者であり被害者であったこの「父たちの世代」の人々、敗れた戦争、大義のない戦争が唯一の戦争体験であるような世代がようやく手に入れたメディアだった。
投稿元:
レビューを見る
これまで疑問に思っていたことが、次々と氷解するのが内田センセの著作を読む醍醐味。413ページの大部である本書も、書名となっている「読書法」にとどまらず、様々なことを教えてくれます。たとえば、次のような記述が目を引きました。「歴史が教える限り、『一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り変えよう』とした政治運動はほとんど例外なく粛清と強制収容所によってそれを実現しようとしたからです」(P242)。第6章「表現とリテラシー」はメディアに関わる者は必読だと思いました。
投稿元:
レビューを見る
広い意味での読書。 どんな場面でも読書の必要性がわかった。 ただ、どうしても読書の幅が狭まるのを広い観点から本を模索していきたい。
投稿元:
レビューを見る
比較的長い期間にわたって書かれた文章を集めた基本的にはブログコンピ本。まえがき、あとがきも収載されており、そこまでやるか?感というか、出版社の何とかして稼げないか?感が表に出ている印象が強いか、見方を変えれば、読書論や書くこと論について集めた編集者の情熱を称えるべきなのかもしれない。タイトルと内容がマッチしていないと感じる内容も多々あるが、内田節は相変わらずで、納得できる指摘を読むとうんうんそうだとニンマリしてしまう。