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テレビドラマのロケ地になることもしょっちゅうのこじゃれた新興住宅街の地に忘れられかけた江戸年間以来の信仰、風習がかすかに残っていて、その糸を手繰っていくと、御嶽、三峰といった武蔵国の信仰、風土にたどり着くというノンフィクション。
柳田國男や宮本常一、岡本太郎の沖縄紀行記にも似た読後感をこんなに都心に近い街の話で味わおうとは!!
戦後の高度成長のなかで失ったもの、最近のエコブームの薄っぺらさに思いを致さずにはいられない。
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西日本にはオオカミ伝承は数少ないと思う。
本書は、関東のお話、、、。
能登にもオオカミにまつわる伝承は無いのでは、、、。
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武蔵野国、オオカミ信仰を歩く、
山ノ神とオオカミと山犬、焼き畑の民、
「オオカミの護符」 害獣除け、盗難除け,火難除け、
モンゴルの「神なるオオカミ」を思い浮かべながら読んだ
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秩父の御岳信仰のオオカミの御札からはじまった探索の話なんだが、現在進行形の素朴な信仰のかたちがとてもいとおしかった。農業者、ではなくお百姓の時代の文化が今も生きているんだな。うちでも講に入っていて、今回ちょうど当番になった。、預かった資料を読んでみなくては。
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日本の
原風景を
辿っているような
気にさせてもらう
すぐそばに
ある 日常にあるもの
にこそ
「日本の原風景」
が宿っている
私の
「オオカミの護符」
は
何だろう?
と
思わせられる
一冊
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川崎市宮前区土橋。昭和50年頃まで茅葺屋根の家が点在するだけだった農村は、いまや7000世帯に届こうかという住宅街に生まれ変わった。土橋に生まれ育った筆者は失われゆく《自分の足元》を見つめ直すため、街の姿を記録しはじめる。そして人々の紐帯として大きな役割を果たした「御嶽講」の存在を知り「オイヌさまのお札」を手掛かりに御岳山へ向かう。
故郷の「百姓の生活」を記録することからはじまった筆者の旅は、関東甲信一帯の山々にたどり着く。本書では土地の記憶を受け継ぎ、自然と向かい合って生活してきた人々への取材を通して、都市の生活とは異なる「山」の暮らしと信仰を紹介する。けれども、それは「伝統を大切に保存しよう」という主張ではなく、新しい生活と旧い暮らしの折り合いをどうつけていくかと問題意識から出発している。
今、「地域の絆」を考える上でささやかな手掛かりを示してくれる良書。
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関東に住んだことはないし,里山に住んだこともないので,イマイチピンと来ない点はあるが,学問的な信憑性はともかく,オオカミと昔の人の暮らしとの結びつきが,著者の足で徐々に明らかにされている様は,読んでいておもしろかった.里山というか山の中だからこそ,近代以前の痕跡が今も残っているのだろう.あと20年,いや10年で失われる可能性が高い文化(生活文化)の話.久々に読んだノンフィクション.
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神奈川県川崎市の土橋に生まれ育った著者が、物心ついたころから生家の扉に貼ってあった「オイヌさまの護符」の出所を探る話。
最初は休日を利用した趣味のようなものだったらしいけど、調査の範囲が広がり規模が大きくなるにつれ協力者も増え、最終的に映画まで作ったというからすごい。
著者は家業の農業を継がなかったこと、それに伴う年中行事などを知ろうとしなかったことを取材しながら後悔しているが、多分日本中に農業を継がずサラリーマンになった人はたくさんいて、それに伴いいまこの時にも伝統行事は少しずつ失われていっているんだろうなあと思うと物悲しい。
ムラ社会はよくも悪くも新規参入者をたやすくは受け入れないから、継承すべき世代が違う仕事に就いたので、そこで伝統が途絶えてしまうという現象が各地で起きているんだろうなあ。
「オイヌさま」の正体はニホンオオカミのことであることが判明するが、百姓の守り神となった経緯などが興味深い。
多摩とか秩父の山にも100年ちょっとまえにはニホンオオカミが普通にいたんだろうなあ。
同名タイトルの映画も是非見てみたい。
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筆者の生まれ育った川崎市宮前区土橋は、東名の川崎インターや、鷺沼・宮前平といった私にとっても馴染み深い地域。現在は新興住宅街で、文教地区としてのイメージが強いが、筆者はそこの昔からある農家の出身であり、かつてはそれがコンプレックスでもあったのだという。
この地域の農家では昔から「おイヌさま」と呼ばれる護符を貼っており、年に一度、奥多摩の武蔵御嶽神社にその護符をもらいにいくのが地域の一大イベントでもあった。
そこからかつてのオオカミ信仰をたんねんにたどっていくのが本作品。今はほとんど失われてしまった風習が興味深い。
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話しに入っていけなかった…
2012.5.13
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御岳山に登山に行った際に、**講という碑があるのがずっと気になっていたが、この本を読んで謎がとけた。
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土地に根ざしたオオカミ信仰について知りたくて。ほぼ今現在の信仰の様子を描いているんだけど、本当に素朴な民間信仰の形を伝えてくれているので、太古の昔からの信仰のあり方まで見えてくるような感じがしました。江戸時代の普通の人々の信仰は、きっとこんな形だったんだろうと思えるような。それが現代の、自分が生まれ育った土地の足下まで続いているという不思議な感覚を、現実のものとして感じることが出来ました。
オオカミに興味を持ったのは全然別のきっかけだったのですが、小さい頃生活の背景として見上げてきた山の風景を思い出すことになるとは思っていませんでした。生まれ育った土地への感情を考えていく上でもいろいろと材料を与えてもらった気がします。
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元々は自宅の蔵に貼られていた奇妙な護符への興味から、お百姓さんだった祖父母の生きてきた姿を記録に留めようとして回し始めたカメラから、芋づる式に取材対象が拡がり、民俗学の深いところまで取材を掘り下げていった関東一円の山岳信仰とオオカミ信仰の記録。
冒頭にある「地元の子供たちへの手紙」が先ずは素晴らしく感動的。
丹念な取材はNHKの良質のドキュメンタリーのようだ。
取材を進める様子から丁寧に語られるのでさながらドキュメンタリーのメイキングの様な造り。
「お犬さま」と呼ばれる「オオカミ」に「大神」という字を当てたいと思うのは穿ちすぎだろうか?
なんとかして出来上った映画「オオカミの護符」も見てみたいものだ。
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幼少時代、多摩川を見下ろす立地のマンションに住んでいた。
11階の窓からは河川が見渡せて、晴れた日は水面が太陽の光をきらきら反射して綺麗だった。
が、一転、強い雨が降ると川はごうごうと水嵩を増し、人一人すっぼり収まる簡易トイレやベンチをたやすく押し流していった。その様子に、幼い私は随分おののいたものだった。
この川は昔、暴れ川と呼ばれ人々を悩ませるほど、増水、氾濫の多い河川だった。
現在対岸に位置する川崎市では、都内にある土地と同じ地名をもつ場所がいくつか存在する。その土地土地はかつて同じ地域として陸続きであったが、川の氾濫によって分断された生き別れだという。
当時、土橋のお百姓さんは、筍を生活の糧にしている人が多かった。
彼等は、美味しい筍を育てる肥料(人糞)を調達する為だけに、人の多く集まる江戸まで舟を出し、その『暴れ川』を渡った。
その仕事が、江戸の清潔を守り、結果的に、都市に繁栄をもたらす役割も果たしたのだそうだ。
多摩川沿いに住んでいた当時、私はその土地に何の愛着もなかった。この本を手にとったのも、懐かしい地名が目に留まっただけのことだった。が、何頁か流し読み、それが最後、するすると無心に糸を巻くように、読み耽ってしまった。
物語は、狼の姿を描いた一枚の護符から始まる。
いつの頃からか家にあった、耐えずあった、オオカミの護符。
その由来を追う内に、当時の人々が、お百姓さんが、どんな風に土地を愛で、何を敬い尊び、どんな風に暮らしていたのかーーが、少しずつ、輪郭を結んでいく。
機を織る内に少しずつ、生地の柄が浮かび上がってくるように。
国境を超えた労働を経た後、地元を省みる映像記録を始めたという著者は、その地で生まれた人ならではの温かい眼差しで、山岳信仰に生きた当時の人々の様子を、真摯に伝える。
現代に生きる私は、当時の血肉を削る、ある時は過酷とも思える生活に圧倒されつつも、土を踏み雨を浴び、太陽と草の香りが湧き出でるその時代に、どこか憧れを感じずにはいられない。
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川崎・多摩・秩父といった身近な地域に今なお細々と残るオオカミ信仰と山岳信仰。田園都市線沿いの新興住宅地にも残っていただなんて全然知らなかった。