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著者のことはよく知らなかったけれど、なんとなくイライラしていた時に手にした本。「怒り」というものについて今までとは違った見方を与えてくれた。この本をきっかけに仏教についてもっと学んでみようと思った。
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怒りは自分の身体をむしばむ。体内を有害物質がかけめぐり、身体を痛めつける。それが他人にも伝染する。よくないよね。
著者によると、欲望も怒りをエネルギーとしているらしい。気になったとこ、以下に記録。
・何も考えずにただやるのが、一番疲れない。
早く終わらせたいな、とか終わったらどうしようかなという欲望があるとその雑念により疲れる。無心がいいよ。
・どんな些細なことであっても、相手の間違い(自分から見た間違いね)を訂正してあげることで二人の関係が抜本的にかわることはない。
・悩んでもそれは脳内で起きていること。事実ではない。
ブッダの言葉を引用しているので、ありがちな自己啓発本とは違う感じ。
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ちょっと私には難しくて、読むのに苦労しました。
水無昭善さんとは、正反対に読みづらい本でした。
また、時間がある時に読み直したいと思います。
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仏教系の中学高校出てるので、仏教の本は割と抵抗なく読めます。
アルボムッレ・スマナサーラ氏の怒らないことの焼き直し感はありますが、そもそもブッダの教えがルーツにあるので、正しく理解されていれば誰が書いても同じ内容になるはず。
読みやすいんですよね、仏教の本なのにキン消しの話とか出てくるし、日常になぞらえてくれてます。
いやー、怒る前の初期段階で自分の心の動きを検知してエネルギーを逸らすってマジで難しいですよ。一生のテーマかも。
スマナサーラ氏の本を読んでから心の在り方について考えることが増えましたが、心と体を一致させるって概念はこの本から学べたので今年のテーマにしたいと思います。
なお、仏道心の学問であって宗教ではないので身につけておいても損はないかと。
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悲しみ、寂しさ、愁いなどの美に繋がりそうな感情も怒りと根っこは一緒だという。そのエネルギーが外に向かう場合は怒りに、内に向かう場合は不安に悩まされることになる。それを事前に止めるのは、客観視すること。自分の負の感情をカギカッコに入れて傍観者になること
やってみるか!
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仏道の考え方で「怒り」を解説しています。
以下、備忘録的に。
・仏道では、人間は何かを感じた瞬間に「自分の感じていることは正しい、間違っていない」と思い込む修正を持っていると考えます。
・批判の正体は自分の意見の押し付け
・「正しいことが好き、正しくなくては我慢できない」というのは、ある種の病気と申してよいでしょう。
・ムカつきの原因は「不当に扱われた」と感じること
・怒ってしまったときは、抑圧でも発散でもない、第三の道を選びましょう。それは、怒りの感情を客観視して穏やかに受け入れるという道。自らの心を「あーあ、怒っているんだねえ、君」といった具合に見つめて、心が怒りに占領されている有り様を客観視する方法です。
・人間という生き物は、入ってくる情報を生のままで美味しく食することが苦手なようで、しばしば、余計な添加物を大量に加えて、わざわざ美味しくないものに作り替えてしまいます。
・十善戒のリスト
<思考について>
1.欲望を抑える(不貪欲:ふとんよく)
2.怒りを抑える(不瞋恚:ふしんに)
3.迷いを抑え真理を洞察する(正見:しょうけん)
<発言について>
4.嘘をつかない(不妄語:ふもうご)
5.批判をしない(不悪口:ふあつく)
6.悪い噂話をしない(不両舌:ふりょうぜつ)
7.無駄話をしない(不綺語:ふきご)
<行動について>
8.生き物を殺さない(不殺生:ふせっしょう)
9.盗まない(不偸盗:ふちゅうとう)
10.浮気をしない(不邪淫:ふじゃいん)
・人が批判をするときには、「自分は正しいことを言っているのだから、相手は従うべきだ」と、相手や周りを変えようとする欲求がはたらいています。しかしながら、たいていの人は欲望で動いているのであって「正しさ」で動いているわけではありません。「正しさ」を主張しても、相手の欲望を否定し、不快にさせてしまうだけです。
・慈悲の心は、もちろん相手のためになりますが、慈悲のハンマーで自らの煩悩も叩き潰すことができるので、まず何よりも自分のためのものと申せます。
・四護衛禅(しごえいぜん):慈悲喜捨
慈:幸せたらんことを、安穏たらんことを。
悲:苦悩なからんことを。
喜:喜びがあらわれんことを。
捨:執着から自由たらんことを。
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「悟り」をひらく。
大雑把過ぎるが、私はそう解釈した。
ただ、多くの疑問も残る。
煩悩。欲とはいけないものなのか?
欲は悪? それともすべての欲が悪いとはいえないのか?
ビジネス社会では「インセンティブ」という言葉をよく耳にする。
仕事に対するやる気を喚起するために使ったりする。
こんなのもよく聞かないか。
自分へのご褒美。
これも大変なことをやり遂げたなら、自分の好きな物を買おう、というようなこと。
好きなものを手に入れるために、目の前にあるちょっと気の進まない「やらねばならぬこと」を頑張って片付けてしまおう、ということだ。
著者はこれらのことにも苦言を呈する。
目の前にぶる下げられた人参に気を奪われるのではなく、やらねばならぬ仕事に集中することが大切だ、ということをやさしく説いている。
お話は非常によくわかるが、どのレベルまでそう考えるべきなのか。著者は、自分の部屋の掃除くらいでもそうだといっているようでもあるし、結局すべての「やらなければいけないこと」に対する心の持ちようなのか。
仏門の前で、頭を抱えている自分がみえた。
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内容が難しいが、何となく心に響いた。
読めば読むほど理解できるのだろうか。
もう一度読んでみよう。
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なかなかできない。ふだんはそうしようと思っているんですが。いつもそう心がけようとしているんですが。未熟者です
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小池さんの著書の特徴は、日常におこる具体的な問題を通して「仏道」というものを方法論として提示していること。本書はその特徴をよく表していると思う。上品な語り口で、様々な譬え話を駆使しつつ仏道を解りやすく説いている。「怒り」というものの特徴は、自分そしてその生きかたをコントロール不能状態に陥らせてしまうということ。これは不自由以外のなにものでもない。不自由が蔓延した世の中は生きにくい。したがって怒りを制御することは極めて有益な「世直し」となる。そのための方法論の需要は高く、読みやすい小池さんの著書はとても貴重だと思うのだ。理、法、思想というものは、すがってはいけない。依存してはいけない。しかし困っているときにはちょっと拝借させてほしい。「仏教」ではなく、あくまでも「仏道」。
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欲望を抑える、怒りを抑える、迷いを抑え真理を洞察する、嘘をつかない、批判をしない、悪い噂話をしない、生き物を殺さない、盗まない
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20140816
たまにテレビでコメンテーターとして出演している若き僧侶の本。
2章まで我慢しながら読むも、何ひとつなるほどと思える事が無く、同じような言葉の繰り返しに、これ以上は時間の無駄と判断し、残念ながら途中で断念。
一般社会と、仏道とのギャップからくる説得力の無さは埋められないように感じた。
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劇的に自分が変わることを期待して読み始めた。明らかに期待しすぎだったw
たぶん仏教をある程度でも理解していないとはいってこないんだろうな、と、イマイチ理解できないまま、論理的に説明できてないんじゃないかなぁ、とずっと違和感を持ちながら読んだ。
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自分はどうしてこんなに怒りんぼうなんだろうと、かねがね思っていましたが、なんだかスッキリ、、目からうろこの1冊。怒りの感情が自分を苦しめるのだと気づく
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怒らないための実践的な考え方が描かれている。全ては欲から発する。事実ではなくて頭の中の解釈で怒りに繋がるなど、頷けるものが多い。怒りに支配されないようにまた読み返したい。