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2009年~2010年に西尾市で開催された「西尾市岩瀬文庫特別連続講座」の講演録のうち、三河と西尾に縁のある5編を収めたもの。
第1章「丸山御所の時代 吉良氏と実相寺」では、鎌倉時代から室町時代にかけての吉良荘の動向を解説している。知られている通り、吉良氏は足利氏の一門筆頭だったにもかかわらず、戦国時代ではまったく存在感がないのが(私には)疑問だったのである。応仁の乱の際、東西吉良氏(東条吉良氏と西条吉良氏)で小競り合いがあったことが史料に残されているが、これは隣町のヤクザの抗争レベル。松平氏(後の徳川氏)は、吉良氏と矢作川の水利権で常に揉めていたものの、互いに縁戚関係にあったので本格的な戦は行っていない。また、今川氏は元々は吉良氏の分家(足利一門のナンバー3)であり、三河侵攻の際も吉良氏を優遇している。その証拠に、吉良氏の菩提寺である実相寺の第8代住職として、かの太原雪斎(!)が就任している。桶狭間合戦の直後、織田信長の吉良領侵攻により実相寺は焼かれてしまったが、すぐに織田・松平の同盟が成立して吉良領は安堵。どうも吉良氏の動向を伝える史料は少ないらしく、この程度のことしか分かっていないけれど、後に高家になるくらいなので、当時から徳川家康の朝廷対策を担っていたのかな。
第2章「古代三河の国府・条里・交通路」では、主に三河国府の所在地論争をまとめている(要するに、まだ結論が出ていない)。名鉄の「国府(こう)駅」付近だということは、さすがに間違いないけれど。また、古代東海道の宿場町である「鳥捕」「山綱」「渡津」のそれぞれの位置関係を推測している点も面白かった。そんな名前の宿場町、私は1つも聞いたことが無かった…。東海道の道筋も、時代ごとにだいぶ変わっているみたいだね。
以降は読んでいないので、タイトルのみ列挙:
第3章「藤原仲麻呂の乱と西三河」
第4章「参河の海の贄木簡のかたること」
第5章「『万葉集』から持統上皇三河行幸を読み解く」
【川崎市立中原図書館 215.5 貸出可】