投稿元:
レビューを見る
明治維新から大政翼賛会までの怒涛の450ページ!近代は現代の先駆けであり、現代は近代の再構築であることという、歴史の連続と非連続がめくるめく。ちょっとEテレの「さかのぼり日本史」の1年目を見た時の「そうだったのか!」という納得感を思い出しました。きっと歴史という時計の針が進むのはそれ以前に針を進ませようとする人々の模索の積み重ねであることがテーマだからでしょう。とにかく個人という点が相乗作用しあって歴史という線になっていく。教科書的には「富国強兵」と四文字熟語でくくられてしまうスローガンも大久保の「富国」vs西郷の「強兵」というように対立し紆余曲折を経て生まれてきたもの、という事例のように数々の論点が様々な個人の主張によって勝ち負けが決まり、ターニングポイントを曲がってきたことがライブ感を持って迫ります。ただ、勝ち負けといってもそれは一瞬のことで今日の勝者は明日の敗者となり、近代史の登場人物はすべて結局、勝てなかった人々であり、彼らの構想を超えて進んでいくのが歴史なのだ、という印象を持ちました。しかし、いや、だからこそ、議論すべきテーマをちゃんと設定出来るかどうか、ちゃんと決定出来るかどうかで、未来の在り方が変わるということを本書は訴えていて、それこそが2013年の今日的なテーマなのだと思います。
投稿元:
レビューを見る
間違いなく良書だと思います.浅学な私にとってはお腹一杯の一冊なので,また改めて読み返したいと思います.
投稿元:
レビューを見る
近代日本(幕末~太平洋戦争直前まで)を政治・経済の両面から描いた本。
とくに日中戦争へ突入するまでの、政治・経済・軍部のながれがダイナミックで引き込まれる。
なぜ日本は海外に戦争をしかけていったのか?
日中戦争~太平洋戦争にいたるまで、民意や議会・政府が反ファシズムだったのに、軍部の独走を止められなかったのは、どういう流れだったのか?
これまでは、歴史は点でのおきまりの知識と解釈でしか知らなかったが、この本で歴史を流れでよむことで、新たな視点で歴史を理解するようになったものが多々あった。
個人的には、参政権をもつ人々の懐具合の変化で、いかに政治がかわるのか、この本でえがかれていて(この本では農民富裕層)、参政権のありがたさと、参政権をもつ我々は実はものすごく国に影響をあたえることができるのだということを感じた。
メモ:歴史を教科書だけでのお決まりの解釈ではなく、流れでとらえて新たな視点を得ることができる。
投稿元:
レビューを見る
凄い本である。何があったのかを教えてくれる歴史書は数多くあるが、おきた歴史的事実の意味を政治風景まで理解しやすくつづった本として、本書は最高の本ではないだろうかと思えた。
本書は1857年(安政4年)から1937年(昭和12年)までの80年間を「改革期」「革命期」「建設期」「運用期」「再編期」「危機期」「崩壊期」の6段階に分けて考察している。
そのどれもが単に事実の羅列に終わることなく、どれもが興味深い指摘と考察を繰り広げている。
「革命期」において「江戸城総攻撃が行われ、旗本から会津藩までのすべての幕府勢力が降伏したとすればどのような事態になったであろう。江戸落城で形の上では官軍の圧勝に終わったとしても、新政府の関東、東北支配は名ばかりになったのではなかろうか」とは、実に冷徹な指摘である。
なるほど「旧幕勢力を温存させた上での王政復古とそれを内戦で壊滅させた上での王政復古の違いは説明を要さない」。「単純なる勝利」より「血を流した勝利」とは、果たして西郷隆盛はそれを意図していたのだろうか。
「明治憲法」を伊藤博文が大変な情熱で導入したことは知ってはいたが、その背景に「中央政府の正当性の根拠があまりにも薄弱だった」ことがあるとは驚きである。
「建設の時代」を読むと、「征韓論分裂」や「西南戦争」を引き起こした明治政府内部が4つの「政治勢力」に分かれて「路線」をめぐる「政治抗争」を行っていたことがよくわかる。
これも現在とは違って、当時は、政治方針を大衆にわかりやすくアピールすることはないから、本書のような解説・考察がなければ当時の政治風景は読めない。
「運用の時代」にしても「議会を開設すれば、当時地租以外には直接国税はなかったのだから有権者の多数は農村地主になる・・・議会を開設したら議会の第一要求は自分たちだけが負担する地祖の軽減になるだろう」「松方デフレと国会開設は両立しないのである」とは慧眼である。なるほど、当時のシステムはこういう問題を抱えていたのか。
また、大隈重信・福沢諭吉の「イギリス型議院内閣制」にたいし、伊藤博文・井上毅の「ドイツ型専制憲法体制」との争いを読むと、「大隈重信の明治14年の政変」の理由も背景も理解できるように思えたが、もしこの時に日本が「イギリス型議院内閣制」を選択していれば、その後の太平洋戦争の破綻の道とは違う道があったのだろうかと慨嘆する思いを持った。
本書は、「歴史的事実」のみではなく、「政治システム」「経済」まで網羅した説得力のある考察を行っている。
「再編の時代」の考察では「人口4000万人のうち、わずか約50万人の農村地主が参政権を独占」とある。なるほど、これでは議会で地祖の増税が通るわけがない。当時の政治の選択にはそれなりの理由があることが、やっと見えてきた思いを持った。
1930年代・昭和初期の「危機の時代」の風景はさらに凄みがある。本書で引用した「宇垣一成」の日記の記載「現在では、政党-軍部-官僚-左傾-右傾・・・如何にも争いが小キザミとなり来たれり」には驚く。
政治はやはり多くの政治勢力の大同団結によって安定するのだろう。「情勢の流動化」とは、「小キザミとなった政治勢力」がコントロール不能にバラバラに動き出すことだということがよくわかる。
ここまで読んで、2012年の民主党政権の崩壊を思い浮かべた。政治の動きは時代をこえて繰り返すのだろうか。現在の安倍政権も支持は「アベノミクス」次第である。これが上手くいかなければ「小キザミとなった政治勢力」の動きにより、一気に情勢は当時のように流動化するのだろうか。
本書は、日本の歴史を新しい視点で見ることができる凄い本であるが、表題は実に陳腐である。これでは本棚にあってもなかなか手に取る気にはなりにくい。もう少し工夫はなかったのだろうかとも思った。
投稿元:
レビューを見る
日本という国が最も激しく揺れ動いた1857(安政4)年から1937(昭和12)年間での80年間を「改革」「革命」建設」「運用」「再編」「危機」という六つの時代に区分し、筆者独特の歴史観に基づき、通観されたものである。
3.11という国難に際し、小物の政治家しかいない現状の日本と、「危機」の時代を比較し、「危機」の時代から「崩壊」へと進んでしまった日本の歴史を憂慮されている。
資料を精緻に読むことにより得られる重要な史実。
今後の日本の未来を作り上げていくうえで、示唆に富む著作であった。
投稿元:
レビューを見る
坂野潤治著の日本近代史。1857年から1937年の80年間を、「改革」「革命」「建設」「運用」「再編」「危機」という6つの時代に区分して、通観する
投稿元:
レビューを見る
変革の時代を知りたいが故に始めた日本近代史についての読書。本書の言う改革や革命の時代は、司馬氏の作品を通じ知識を仕入れていたから、スイスイと読めた。建設や再編の時代は、翔ぶが如くのおかげで、改革や革命の時代には及ばないが割と理解できた。
しかし、それ以降はさっぱり。大正から昭和にかけての知識不足。読んでいて何となくわかったのは、この時期に生まれた政治制度の原型は現代にも強く引き継がれていること。政治に関心が湧きにくいのは、同時期の理解に乏しいことに原因があるかもしれない。これからは、建設の時代以降の知識を補完すべく読書を進めていこう。
投稿元:
レビューを見る
難易度が高すぎたかもしれない。
読んでいて何度も眠気に襲われた。単に寝不足である可能性もある。
こういう時は、無理に読まないのが一番。周辺の知識を補い、身の丈にあった本を読み、しばらく時間を置いてからもう一度読んでみよう。
投稿元:
レビューを見る
タイトルの通り、1857年から1937年の80年間の日本近代史を、「改革の時代」、「革命の時代」、「建設の時代」、「運用の時代」、「再編の時代」、「危機の時代」の6つに区分して概観する本である。とにかく、史料を丁寧に読み解き、一般的に理解されている日本近代史の歴史的な理解をさらに迫っていく。
高校時代、日本史Aを習ったが、高校日本史の一般的な知識があると、教科書的な理解よりももっと深く、強いて言えば当時の政局判断・政策判断のウラの面がより分かって面白い。高校時代に習った日本史の内容がまさにドンピシャリだった。
特に大日本帝国憲法(明治憲法)制定後の帝国議会の政局について、教科書の一面的な理解を超えて、現代よりもいろいろと制限が多かった時代の中でも、民主的な社会を目指して試行錯誤が繰り広げられていたことがよく分かる。読んでいくと、戦前の日本の国家運営の失敗やなぜ大規模な戦争へと暴走していったのかの理由として、一般的に言われている「軍部の暴走」とか「市民的自由の権利を制限した」とかもあるけれども、政治家、軍部、官僚が個々の思惑や外交情勢、経済情勢、社会情勢などの要素ファクターを鑑みて政策判断をしようとしても、憲法や議会や制度上での手続きによってすぐに政策決定ができない仕組みによるものもあることが分かる(所謂「決められない政治」と言うもの)。乱暴に言えば、議会や軍部や官僚らのいずれかが行動しようとしても、相互に統一した決定がなされない以上、すぐに政策として実行できないことが挙げられる。要は戦前の日本は戦後以上に個々の縦割りが強かったことが分かる。
その後、戦争へ突入し敗戦へ至る時期を著者は「崩壊の時代」としているが、ここについて書く前に内容を終えている。
投稿元:
レビューを見る
次の部分が印象的でした。
約1500名の軍人が重武装して総理大臣や天皇側近を射殺したというと、1936(昭和11)年の日本は無法者が支配する無秩序社会だったように響く。しかし、当時の日本は、大日本帝国憲法の下にある立憲国家であり、その第45条は、議会解散後の5ヵ月以内には特別議会を召集しなければならないと定めていた。先の解散が1月21日だったから、二・二六事件が起ころうとも、6月21日までには特別議会が召集されるのである。
また、特高は憲兵の支配した戦前日本にあっては、衆議院での議員の発言は制限され、その議事録にも検閲の手が入ったように誤解している人も少なくないが、衆議院は政府と並ぶ国家機関であり、政府の一部でしかない内務省警保局がその議事録を検閲したり、発言者を逮捕するなどの権限はなかった。言いかえれば、憲法の規定により5月4日に開会された第69特別議会で、議員は二・二六事件とその後の陸軍の対応を堂々と批判できたのである。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
この国が最も激しく揺れ動いた一八五七(安政四)年から一九三七(昭和一二)年までの八〇年間。
近代日本の劇的な歩みを、「改革」「革命」「建設」「運用」「再編」「危機」という六つの時代に区分し、通観する―。
はたして日本の近代とは何だったのか。
わずか数十年の間にめざましい「近代化」を実現しながら、やがて「崩壊」へと突き進まざるをえなかった根本原因はどこにあるのか。
史料を精緻に読み解くことで、図式的な理解を超えて、近代史をダイナミックに捉えなおす。
[ 目次 ]
第1章 改革―1857‐1863
第2章 革命―1863‐1871
第3章 建設―1871‐1880
第4章 運用―1880‐1893
第5章 再編―1894‐1924
第6章 危機―1925‐1937
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
投稿元:
レビューを見る
同じ出来事も歴史家の眼差しによって全く違う位相が現れる。
政友会と改進党の二大政党制、内にリベラル外にタカ派(とその逆)という補完関係は興味深い。
投稿元:
レビューを見る
著名な歴史学者である東大名誉教授が、幕末から先の大戦までの80年間を読み解く。
リーダーの本棚 ユニ・チャーム社長 高原豪久氏
日本の歴史について問題意識を持って学ぶことは私の習慣の一つになりました。また、グローバルに活躍することを目指す若いビジネスパーソンにどのような研さんを積むべきかと尋ねられると必ず「日本の歴史や文化について学びなさい」と答えるようにしています。
投稿元:
レビューを見る
著者は実証史学に基づいてニュートラルに叙述するという評判というのがイメージだったのが、ざっと通読してみると主観的解釈や主義主張も挿入されており、スタンダードとは言えない作りになっている。ある程度歴史を知ってる人間がツッコミを入れながら読むにはいいのかもしれない。長編ではあるので細かい間違いも散見されるし、全くの無学者がただ近現代の通史を学びたいなら、教科書とか受験参考書を読んだほうがいいように思う。
投稿元:
レビューを見る
幕末から日中戦争直前までの政治を中心とした近代史を、改革から危機まで6つの段階に分けて大きな流れを描いている。内容は盛りだくさんで、基礎知識があることを前提にしている感もあり、途中から図説を傍らに見ながらでないと付いていくことができなかった。
「富国=大久保」「強兵=西郷」「公議=木戸」「輿論=板垣」
明治22(1889)年に発布された明治憲法の第11条「統帥権の独立」は、昭和6年の満州事変以降の現地軍の暴走の原因となり、第55条「国務大臣単独責任制」は昭和16年の対英米開戦や終戦に際しての首相以下各大臣の無責任体制の原因となった。