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一年越しで読みたかった本、ようやく読了。介護現場にとってのジレンマをさまざまな形で表してくれている。
知られている「回想法」は「言葉の裏にある気持ちを察する」という、いわば「狙い」がある手法だが、著者のいう「介護民俗学」は言葉そのものを聞き逃さずに書きとめることに徹する。いわば相手の生活文化を理解するという、謙虚な姿勢に終始する。そこには、してもらう一方の利用者(少々誤解があるかも知れないが)がしてあげる側になる。高齢者の生活をひと時でも豊かにしてあげる手法なのだと思う。
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本書の何が「驚き」であるかといえば、著者が元来看護の専門家ではなく、小たりとはいえ高等教育機関に職を得たのちこの道に転進したという経歴である。我々研究者は専門バカだから研究職に就く以外の選択肢を想像すらできない。世間にはこれを蔑(なみ)する向きもあるがこれは実は謬見である。なぜなら研究者の養成には多大の税金が費やされているわけであって、研究者が専門職に就かないことは国家的に見て大きな損失であるからだ。数年前に某地国で学位を取った者が研究職を断念して漁師になった例があったらしく、これをリベラルぶった脳足りん新聞が「博士が漁師に」と大いに称賛して記事を書いたことがあったが、まったくバカとしか言いようがない。この漁師は糾弾されて然るべきだ。漁労従事者が博士号を取得したのなら快挙といえるかも知れないが博士が漁師になってしまったらこの男の教育に使われた血税はドブに捨てられたに等しい。この学位持ち漁師の専門は水産学とは何の関係もない分野だったから尚更である。我々が何故研究してるかといえばむろん好きだからという理由が第一だがそれは単なる趣味とは違う。専門的知識を現在に活かしかつまた未来に伝えるためであって、だからこそそこに社会的価値が生まれるのである。
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民俗学者から介護専門職に転身した著者による介護民俗学の提唱。
介護の現場で被介護者の話を、半構造化インタビューできき、分厚く記述する。民俗学としても面白い話が収集できるし、被介護者としても、日常、介護者/被介護者という非対称的な上下関係に位置づけられているのが、一時的にせよ、「弟子入りモデル」のような形で、教えられる者/教える者と立場が逆転してよいのかもしれない。
被介護者の話を聞く「驚き」が介護民俗学の原点だが、日々の仕事が忙しいとそんな話を聞いていられなくなり、軽くあしらうようになってしまう、というのが、ああ、そうなんだろうなぁ、と残念な気持ちにさせられた。
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民俗学の見地から、かつての介護事情を書かれた本かと思っていました
そうしたら、介護の現場から見えた民俗の本でした
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民族研究者であり介護職員でもある筆者、介護現場で出会う老人たちは民俗学にとってフィールドワークのような刺激に満ちた存在であること。民俗学を役立てられること。
介護の現場は、学者のノウハウが活かせる場だとわかった。今は、職業としての地位認識のギャップが大きいけれど。
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祖父母に育てられた自分にとって、また、デイケア施設に勤務した経験がある者として、この本が世にもたらされたことを(しかも、民俗学者であり、女性である著者というその個性と感性に)感謝したい。
人の老いや死から生を見つめることに関心があり、これまで幾つかの本を手にしてきたが、著者の指摘する通り、「回想法」には実は私も違和感を感じていた(そんなこと・・・)と思っていた。生理的な感覚として。
そのことをうまく表現できずにそのままにしていたが、この本の中で、著者六車さんによって指摘されたことで、自分としては随分とすっきりとしたと感じている。
上野千鶴子さんやまた著者ご自身についてのリアルな人生への向き合い姿勢が紹介されている点も、女性として非常に強く共感を覚える。
多くの方に読んで欲しくて、☆を五つつけました。
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とても興味深い本でした。
著者が民俗学者であり、フィールドワークで培った技術を介護の場に援用したというのは確かですが、より根本には、著者が施設利用者との交通を諦めず、尊敬をもって誠実かつ精密に彼らの言葉をすくい上げた、という功績があるでしょう。
そこから得られる知見は民俗学に留まらず、様々な学問、芸術、文化に波及しえるように思います。何を生業にするにも、こうした姿勢ないし視座を持ちたいものです。
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民俗学者がいろいろとわけあって介護業界の人となり、介護施設で働きながら、利用者の方から昔の話の聞き取りをしたことやその内容について書かれた本です。
「もう生きていても仕方がないから、早くお迎えがきてほしいという方」「同じ話を何回もする方」など、私も仕事柄よく出会うケースの方たちの話は同業者として、とても興味深かったです。
読み進めていくうちに、以前読んだ大井玄さんの「『痴呆老人』は何を見ているか」にあった「それぞれの世界を記憶に基づき創りあげ、そこに意味と調和を見出している場合も多い」というところと共通していることがたくさんあって、納得いくことが多かったです。
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介護と民俗学という学際的なテーマが気になり購入。とはいっても、読み始めるまで3年近く寝かせてしまった。なんとなく介護職3年目の私には難解な気がしたからだった。
社会福祉士の通信を始め、介護職としての自覚が高まった今だからこそ、発見・共感できることがたくさんあった。213ページとか。
利用者が育ててくれているということ、忘れずにいたい。
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http://tamatebako100.seesaa.net/article/403306068.html
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もっと難しい本だと思っていたけど、読んでみたらなかなか面白い❗️
六車さんの経歴も面白いし、なるべくしてなったって感じ
おじいさんやおばあさんの話をもっと聞きたくなった。痴呆症老人のおかしな行動も、ちゃんと話を聞けば意味があったんだぁ!理解しようとすることが大切だなぁと思った。
自分の親もいつそうなるかわからないけど、読んでおいて良かった。
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介護民俗学という聞きなれないジャンルを、とてもわかりやすく教えてくれる本。
介護が必要な高齢者、とくに痴呆症を患っている方に対する考え方が新鮮で、なるほどなぁ、と思う記述が多い。
また、「聞き書き」という手法やその根底にある考え方は、どんな仕事にも応用できるように思う。そして「驚く」という行為に対する考え方も、私にはピッタリきた。
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看護学生の頃に感じたこと、六車さんが感じたことと似ていて懐かしい。高齢者の方を「看護・介護の対象者」ではなく「人生の先輩」だけでなく「民俗学の宝庫」と捉えられたらこんなに面白い。
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暗いイメージのある介護と食えない学問である民俗学。それが組み合わさることでこんなにも面白い世界がみえてくるとおどろきだ。学問っていうのは、ふとしたところに面白さをかんじられるようになるてんでかちがあるのだと感じる。
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良書です。介護従事者が読んでも、民俗学研究者が読んでも、私のような一般人が読んでも、驚きと示唆に富んでいます。
かつて民俗学のサークルを作り、フィールドワークの真似事をしていた私は、昭和30年代以降に日本の民俗は破壊し尽くされ、日本の過疎地の片隅に残滓しか残っていないと思っていた。
ところが、実に身近な「特別養護老人ホーム」の中に、豊かな民俗が残っており、しかもちゃんと介護の仕事をしながら引き出すことが出来る、むしろ有益である、という事実に先ず圧倒された。いわゆる「ボケ老人」の中に、何千年も培って来た日本人の知恵が残っている。
気鋭の民俗学者だった六車さんが35歳を過ぎて、どうして介護施設で働くようになったのかは結局書かれていない。どうやら女性としての「転機」があったことが示唆されているだけ。しかし、それだけにこの本は単なる福祉の技術論や民俗学研究書を超えて、人生への書になっていると思う。絶対、ドラマ化、或いは映画化するべきだ。
2014年12月20日読了