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素晴らしい本。何度も泣いた。読めて良かった。
ひとりひとりが貴重な一冊の書物であり、それをいかにして保存するか。著者や民俗学、社会学を学んだ若者たちがしっかりとその声を聞き取りながら仕事のできる介護現場を目指すべきで、それを日本語がロクにできなくてもできるとか勘違いしてる老害の声の大きさは何なんだろう。
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民俗学の学問態度が介護の場でも活かされ、施設の入所のおじいちゃんおばあちゃんたちは民俗学の調査者の宝庫だった。著者の学問や介護現場への愛を感じるダイナミックな名著。すべての福祉関係者や葬祭関係者は読まれたれい!
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介護についてや老いてから死ぬまでの生活への不安を私はけっこう持っているので、その中の面白い部分の情報を知りたくて読んでみました。
・・・それで、やっぱり大変そうだなと思いました。
自分がいつか介護と関わった時に、そこにそこで民俗学をやっている人がもしいたら面白そうだなと思いました。
介護現場の職場環境良くなって欲しいですね。
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戦場で生死をさまよった経験、キャリアウーマンとして活躍された経験、家族のために働いた経験など、事実は小説よりもドラマチックな語りが次々と。
やはりお年寄りは立てるべきですね。現役世代にはどのような活躍をされていたのか分かりません。
そして、自分が将来、認知症状が出て介護される立場になった時、どのようなことを語るのでしょうか。そのことを思うと、怖くなってきます。今のままでは絶対にいけない、と危機感を持ちました。
ちょっと思ったのですが、介護施設を舞台にしたミステリーなんて、できないものでしょうか。
例えば、シャーロック・ホームズとモリアーティ教授が同じ介護施設に入って仲良くやっているような。
それはともかく、介護民俗学とはいっても、明るい展望ばかりではありません。
第4章では、「回想法」との路線の違いについて記されています。
そして第5章では、あまりの忙しさに聞き書きもできなくなり、執筆もできなくなった体験について書かれています。
介護職の知人から、「ゆっくり話を聴いている暇などない」と批判されたことについても書かれています。
六車さんは、民俗学を学んだ学生が介護職に入ることをおすすめされているようです。
しかし、現在見聞する介護現場を考えると、やはり介護の現場でゆっくりと話を聴くのは大変なのではないでしょうか。
それよりも、六車さんも書かれていますが、
「介護現場が社会へと開かれていく」
方向を広めていく方が無理ないと思います。
例えば、民俗学を学ぶ学生さんがフィールドワークの一環として、地域の介護施設で聞き書きをしたり、卒業論文を書いたりするような。
介護は介護職員が行い、介護民俗学は外部の研究者が行うというような役割分担ができれば、介護職員の忙しさの軽減になるのではないかと思うのですが。
(これは現場を知らない他人による評論家的意見です。間違っていましたら申し訳ありません。)
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20160223/p1
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民俗学の研究手法であるフィールドワークを介護の場で行った結果と、その過程について。支離滅裂だと思われていた認知症患者の話す内容が整合していたことや、患者同士の話から失われた生活様式があらわになったこと、不自然と考えられていた認知症患者の行動が過去の生活様式では自然な行動であったことが明らかになったことが具体例として挙げられている。これらの具体例は、認知症患者の介護に悩む家族が、患者の行動を理解する糸口になると思った。
間違っていたのは介護者の方であった、という著者の気づきが多くあり、おそらくこれが「驚き」の一部である。後半には施設で介護をする立場にある人が余裕を作り難いことと、その状況下で「驚き」や好奇心をもって患者と関わることの難しさが体験として書かれている。介護について不案内な人も、最終章で介護者の苦心を窺うことができるのではないか、と思った。
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・驚きを感じる自分に素直になってみる
・介護の質は、技量よりも職員と利用者の関係性に依存する
・介護はケアする側とされる側の相互行為。しかし非対称的(ケアする側はケアしない選択肢を持ちうるが、される側はされない選択肢を持ちにくい。ゆえに暴力性を含んでいる)
・ケアワークへの社会的評価は低く、介護現場を社会へと開く必要がある
・介護準備:介護予防、という言葉は要介護状態を否定的の捉えている。しかし、誰しもがなる状態であり、その予防をするのではなく、準備をする、と捉える方が中立的。
・相手を知る事が相手を尊敬することにつながる。そのために高齢者自身が、介護準備として、自分の人生を文章にまとめておく。
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「介護民俗学へようこそ 「すまいるほーむ」の物語」に続いて読みました。やはり民俗学を研究してきた手段や知性を背景に、施設の利用者のインタビューから、利用者の生活からその地域の生活に迫り深堀りしていく様はとても共感が持てます。
「思い出の記」もとてもいい取り組みです。家族もそれを読んで、気が付かなかった家族の人生に触れることができ、家族の絆を改めて深めることができる。
介護現場の忙しさのなかでも筆者には日々新鮮な思いで聞き書きを続けて欲しいし、介護スタッフにもそのような姿勢で仕事ができる環境があればいいなぁと思います。
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上田千鶴子や鷲田清一などが絶賛していたので買ってみた。まだ少ししか読んでいないが、私が時々雑談するようなことが実は、知らない世界につながっているのがなんとなくつながっているような気がする。http://wan.or.jp/ueno/?p=1506
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介護施設で入居者の話を聞くことが民俗学的な意義を持つ。
ケアをする側とケアをされる側という立場から、話を聞く側ということで、立場が変わるという側面を持つ。
しかし、介護をされる側としては、介護をされないという選択肢がないため、少し間違えると話をすることを強制されることにもなりうる。
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カテゴリ:図書館企画展示
2020年度第1回図書館企画展示
「大学生に読んでほしい本」 第1弾!
本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。
髙嶋景子准教授(教育学科)からのおすすめ図書を展示しています。
展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
民俗学者である著者が、大学を辞め高齢者施設で介護職員として働き始めた日々の実践を通して、ケアするものとケアされるものの対等性を支えているのが「驚き」の力であることに気づいていく過程が丁寧に描かれています。介護だけでなく、教育や保育を始めとする人と人が織りなす様々な営みにおいて多くの示唆を与えてくれる一冊です。
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何かしらの学問的テーマをもつことは生きる糧や力になると思う。著者が介護に携わることになった経緯をもっと知りたい。
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「話を聞いてもらえる環境」があることで救われる人はたくさんいると思う。「聞き書き」は歴史を面白く伝える手段でもあるけれど、逆の向きで考えると、自分が生きてきた背景を熱心に聞いてもらえることで、話し手も救われるんだよな、と思う。これは介護や医療現場だけではなく、社会の中にこの文化が溶け込んだら、もっと色々な人が幸せになれるだろうな、と思った。それを「介護民俗学」と命名した六車さん、素晴らしいと思う。
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圧巻。
大学教員をやめて介護職員になった著者がフィールドワークの手法を駆使して利用者から聞いた話をまとめている。
感嘆するのは、その営みが「老人からのネタの採集」ではなくて対話相手のケアとして機能していることだ。
「大学の研究は世の中の役に立たない」「研究は自らは安全圏から、困難にあるひとをただ見つめることだ」など、どこか学問の世界と生活の間には隔絶を感じる人が少なくないとおもう。
本書はその垣根の飛び越え方のひとつを明確に示してくれている。
老人たちの話をきいて、それをまとめ、彼らの家族もはじめてきく内容に驚く。それまで手のかかるケアの対象だった老人に尊厳が取り戻される。なんと素敵な営みだろうか。
文化人類学を学んだら、いったいなんの役に立つのか?その答えにもなっている。
そして、大学教員を辞め、自らの生きざまも含めてその道を示してくれた著者に尊敬と、憧れと、感謝を伝えたい。
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面白かった。人生の最後、人の世話になって生きている時に、こんなふうに熱心に話を聞いて何かに役立ててもらえたら気が楽になるだろうな。
移動しながら蚕のオスメス種類を鑑別する仕事の女性たち(鑑別嬢)がいたなんて初めて知った。村々で歓迎された様子が語られている。おかいこさまは大事だからね…。
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介護と民俗学って、なるほど相性がいい。どんな人もその生涯はやはり本になるような紆余曲折があり、その人生の厚みを、民俗学の聞き書きのスキルを使って残していくって凄くいい。リハビリ介助の上手い下手だけでなく、聞き手と語り手という関係性で育む場を持てるかどうかというのも、高齢者の人生にはよほど大きな影響があり、介護者のプレゼンスにもなっていくと思う。が、現実問題として、ケアワーク自体が劣位の立場になってるのがほんと悩ましい。介護だけでなく保育でもそうだし、それはしいては、女性を戦後日本がどう扱ってきたかというのにも繋がってるんだろうなぁ。
介護民俗学を当たり前のこととして普及できるかどうかも、ケアワークの地位向上にかかっている。これが書かれたのは今から10年以上前だが、その時と比べて悲しいかな現場は改善しているとは思えないが、著者が最後に書いた(物理的&精神的)介護準備はアラフォーの私にとっても今から取り組むべき概念と思える。終わりを意識することは、よりよい生を生きることに繋がる。そんなことを考えさせられた本でした。