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本書は2009年8月末に単行本として出版されているもので、本年6月に文庫化されたものだから既読本である。再読すると往々にして当初の感動イメージが損なわれることがあるのだが、本書はかつて読んだときの感動がそのまま再現された稀有な例で兎に角読んで絶対に損はさせないと太鼓判を押せる作品だ。
本書の舞台は島原の乱の記憶もまだ色褪せない頃の九州は筑後川流域。滔々と流れる大河の傍に住むにも関わらず、土地の高低によりその水を利用できず永年、水不足・旱魃に悩まされてきた村々。そこでは人力による水汲みだけを仕事として一生を終える百姓も居る。その窮状を何とかしようと流域の庄屋5名が、私財を投げ打ってまでも堰渠を構築し水不足の苦難を克服しようと久留米藩奉行に嘆願書を出すに至る。しかしながら100を超える流域の庄屋の中には反対の声も挙がる。藩奉行に「命を賭する」との血判状まで出した事業は藩に認められるのか、宿年の夢である堰渠工事は無事に完成するのか、事故が起きると庄屋の命はどうなるのか、ページをめくるのももどかしく先へ先へと読み進めたくなる長編物語だ。
物語の筋も面白いのだが、水に寄せる農民の想いや庄屋としての責任感、それらを応援する奉行・下級藩士・商人ら多くの人々の思いのたけが丁寧に語られており思わず胸が熱くなる名作だ。
そもそも2009年に出たときはついつい積読期間が長く、読み始めたのが年が明けて暫くしてから。読後の感動からすると2009年のベスト10に組み入れるべきだったと反省はすれども既に年が明けてしまい後の祭り。その反省も踏まえ、この文庫版が出たこの機に、声を大にして勧めたいものだ。
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目の前を流れる筑後川。しかし田畑にその水はこない。
日照りに苦しむ百姓たちのために庄屋たちが立ち上がる。
筑後川に大石堰を設けるために。藩への請願から始まり、まわりの村の反対に会い、それでもと進む彼らに頭が下がる。庄屋として村人のために働く……
議員として住民のために働いてますか??議員のみなさん??と思ってしまいました
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江戸時代、九州の筑後川で実際にあったお話し。側に筑後川があるのにその地形から村の稲田には水が届かず村人は生活に苦しんでいる。おまけに大水が出て川が氾濫するとさらに悲惨な状態になってしまう。長年のこのような状況を筑後川に堰を作る事で打開しようと決死の覚悟で立ち上がる五人の庄屋の想いが胸を打つ。軽快な九州弁での会話が全般を包み、筑後川から村人の為に水を汲む(打桶と言うらしい)元助と伊八の大変さや気持ちの美しさが心を打つ。打桶の際の二人の掛け声「オイッサ、エットナ」が聞こえてきそうであり光景が目に浮かぶような感覚になってしまった。堰がどのように出来ていくのか、下巻を急ぎ読みたい。
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江戸時代の筑後川流域の五庄屋が堰を作り、農業用水道をつくった実話を基にした小説
福岡に一時住んでいたとき、日照りで給水制限があったことがありますが、福岡は昔から水に恵まれない土地だったのを、この本に登場する人たちの尽力ですこしづつ改善されてきたことがよく理解できます。
川から水を汲み上げる役割の人がいて一日中行なっている姿がその汲み上げ方法を具体的に詳細に描かれている。すこし丁寧すぎるくらい。
それだけ作者の思い入れがみえる気がする。
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百姓たちの頑張り、庄屋たちの熱い思いが詰まっている作品です。
末端の人間の頑張りも、必ず見てくれている人がいる。現代でもそうありたいものです。
百姓・庄屋たちの描写もしっかりと読ませてくれますが、圧巻は庄屋たちがお奉行へ嘆願する場面です。
嘆願書の文面には涙を禁じえません。
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(上)
目の前を悠然と流れる筑後川。
だが台地に住む百姓にその恵みは届かず、人力で愚直に汲み続けるしかない。
助左衛門は歳月をかけて地形を足で確かめながら、この大河を堰止め、稲田の渇水に苦しむ村に水を分配する大工事を構想した。
その案に、類似した事情を抱える四ヵ村の庄屋たちも同心する。
彼ら五庄屋の悲願は、久留米藩と周囲の村々に容れられるのか―。
新田次郎文学賞受賞作。
(下)
ついに工事が始まった。
大石を沈めては堰を作り、水路を切りひらいてゆく。
百姓たちは汗水を拭う暇もなく働いた。
「水が来たぞ」。
苦難の果てに叫び声は上がった。
子々孫々にまで筑後川の恵みがもたらされた瞬間だ。
そして、この大事業は、領民の幸せをひたすらに願った老武士の、命を懸けたある行為なくしては、決して成されなかった。
故郷の大地に捧げられた、熱涙溢れる歴史長篇。
江戸時代、筑後川の近辺にありながら水利工事の不徹底のため水不足にあえぐ村が舞台になっています。
一部の庄屋の財産、生命を賭して郡役所、近隣の村、百姓など関係者を説得し、一大堰渠造成、灌漑事業を成し遂げる物語。
前半は、江南原の百姓たちの貧しい暮らしぶりが描かれ、主人公と4人の庄屋たちの真摯な姿に胸を揺さぶられます。
上巻の一番の見せ場は、主人公と庄屋たちが、藩のお偉方を前に堰の工事を願い出る口上のくだり。
下巻で堰の工事が始まってからは、難局を上手く乗り切っていくかが見せ場になっています。
そして終盤、涙なくしては読めない箇所もありこの主人公たちには心から頭の下がる思いがしました。
筑後川に堰を作って水を引くことを決意した主人公と4人の庄屋、地方藩の郡代である下級武士、工事に携わった百姓、それら大勢の人々の苦闘と栄光を描いた傑作です。
今の時代だからこそ、昔の方の苦労や一丸となる大切さを再認識するのに良い小説になっていると思います。
人のために生きる、生活を捧げるという行為が胸を熱くさせらました。
何が人間にとって大切なことなのか...
まだ読んでみえない方は是非一度読んでみて下さいね☆
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渇水に苦しむ村々。筑後川の堤作りに立ち上がった庄屋たちの悲願は叶うのか。
農民たちの暮らしや庄屋たちの想いが淡々と、生き生きと綴られます。
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福岡県うきは市に残る大石堰にまつわる歴史小説。
土木工事は歴史小説の代表的テーマだと思うが作品数は少ないようだ。工事の難儀さ、作り手と為政者との軋轢が共通した内容になる。
長良川治水工事を扱った「孤愁の岸」という傑作があるが、これは島津藩の苦渋が描かれていた。
「水神」は農民の視点で描かている。為政者発案の工事でなく、農民発案の工事だからだ。
物語は農民の窮状から始まる。
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舞台は島原の乱後の筑後川流域の農村。上巻は5人の庄屋が立ち上がって久留米藩に堰を作りたいと嘆願書を出すまでの話。川から水を毎日朝から晩まで水を運ぶ仕事をしている若い小作農の眼を通じて話が進んでいる。歴史小説なのに戦国大名や幕末志士が登場する訳でもない。でも心温まる感動的な話。登場人物が筑後弁でしゃべってくれるので、すぐに話に入っていけた。没頭しすぎで最寄り駅に到着したのにも気づかず…。
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江戸初期久留米藩が舞台。治水工事がテーマ。しかも農民が起案の前代未聞の治水工事。前半は百姓の水に関する苦労を実際の日々の生活に重ね合わせて淡々と記述。後半は藩への命がけの嘆願が通りいよいよ工事へ。楽しみだ!
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皆さんの周りを流れる川を調べてみると,先人が苦労し築き上げた農業用の水路だったということが少なくありません。この本は「眼前を滔々と流れる大河の水で乾いた農地を潤すため,庄屋,百姓らが思いを一つにして,取水施設,用水路を築き上げる」という話で,農業における灌漑(かんがい)の大切さを感じさせてくれます。
*推薦者 (農教)H.M.
*所蔵情報
http://opac.lib.utsunomiya-u.ac.jp/webopac/catdbl.do?pkey=BB00360598&initFlg=_RESULT_SET_NOTBIB
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前半は百姓の悲惨な生活…松皮粉、藁餅など農民文学かと思いきや、後半は涙涙の展開。下巻はもっとウルウルするのかな。
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こういったストーリーに定番の悪役が出てこないのに感じ入った。表現力がすばらしい。
「元助は深く息を吸い込む。朝方の空気と夕方の空気は匂いも味も微妙に違った。早朝の空気は、草いきれと土の匂いが入り混じったすがすがしさがあるが、夕方の空気はどこかかまどの匂いがした。」幼い頃に田舎で味わった体感そのものではないか。2014.8.2
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やっと大石水道の溝掘りが始まるのか・・・
郷土の歴史として子どもの頃から知ってはいましたが、小説として読むと、当時生きた人々の強い思いに心打たれます。
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筑後川を目の前にしながら高台にあるため、水不足で農作物が育たない。
朝から晩まで川から水を汲み上げ水路に流す作業は打桶といわれ、元助と伊八の二人で行われていたが、桶で汲み上げられる水の量はたかが知れている
この貧しい農民達を救いたいと、五人の庄屋が私財をなげうって堰を作る作業を奉行所に申し立てる
下巻につづく…