紙の本
赤青黒白
2017/04/30 22:38
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投稿者:雲絶間姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
庄司薫は私が高校生の時、「赤ずきんちゃん気をつけて」から始まる赤青黒白の4冊はバイブルでした。この作家の本はずっとずっと読んで行きたい、と思っていたのですが、いつからか彼は書けなくなったのでしょうか。
最愛の妻のピアニスト中村紘子さんを失われ心身ともに疲弊されてるでしょうが、きっとまた我々の心に響く1冊を上肢されることを40年前のファンとして祈っております。
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「さよなら怪傑黒頭巾」の話の中で、薫君はお兄さんのお友達である山中さんの結婚披露宴に出席する。山中さんは東大医学部の出身で、学生時代には活動家としてならしたけれども、結局は、学会で有力な教授のお嬢さん(だっけ?)と結婚することになる、という設定で、それが非常に微妙なことであるために、披露宴自体が何だかおかしな雰囲気になる。あるいは、物語の最後の方に出てくる、新進の政治学者の中村さんは、1969年という大事な時期(1970年安保闘争を控えた大事な時期、ということだと理解したが)に海外留学することになり、皆の期待を裏切ってしまうことを気にして、薫君の家でしたたかに酔っ払ってしまうことになる。
これらは、本の中で非常に大事な位置づけのエピソードなのだけれども、こういったエピソードは、当時の時代背景や雰囲気を知らなければ、その意味が分からないだろう、と思う。
言いたいのは、「赤」「白」は、薫君の個人的な体験の物語として読めるけれども、「黒」「青」については、そういった読み方が出来ず、当時の時代背景や雰囲気が分からないと、理解することすら難しいのではないだろうか、ということだ。
もう少し身も蓋もないことを言えば、たとえ、当時のそういった運動や活動といったものに対して知識として分かったとしても、今の時代から考えて、意味を見出せるだろうか、ということも疑問として湧いてくる。
山中さんや中村さんが一生懸命に頑張って目指していたことは、そもそも本当に意味があったことなのだろうか、という疑問だ。
もし、それが今から考えると、あまり意味のないことであったと考えるのであれば、山中さんや中村さんの苦悩や挫折の重みが理解出来ず、それが理解出来ないのであれば、物語自体が理解出来ない、というか、成立しない。少なくとも、4部作が発行された当時に読まれたような読まれ方では、これらの物語が読まれることは難しい、というか、無理だろうと思う。何のために頑張っていたのか、が理解されなければ、その挫折がどういう意味を持つのかを理解するのは難しいだろうから。
こういったことが、庄司薫の4部作をあらためて読んでみた時の、全体的な感想だ。
若い頃に夢中になって読んだという記憶があり、それに対しての懐かしさから今回も一気に読んだけれども、残念ながら (特に黒と青は)、発行された当時に僕が今の年齢であれば、読んでいないかもしれない。少なくとも、楽しめはしなかったような気がする。
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新潮文庫として○○年ぶりに再々読。当時「赤」「白」「黒」は結構読み込んでいたけれど「青」は印象薄かった思い出が。
今のこの年齢で読んでみたら「イマドキ若者は理解できないだろうな」というのが正直な感想です。
若者の挫折感なり、青臭い希望・夢・想いっていうのは普遍的なものだと思いますので、ぜひ若い人に手に取っていただきたい!
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大ヒット!庄司薫君いい!
ユートピアの崩壊する様がすばらしい!
崩壊したところから始まるところがすばらしい!
ちゃんと受けとめている若者がすばらしい!
夢が現実になってしまうことの絶望
叶わない夢のほうがいいな
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ものすごく久しぶりに庄司薫を読んでみた。こういう復刻逃さず棚に並べていたガケ書房にまんまと乗せられて(笑)。
こういう時代、閉塞感を感じるときに読むととても面白かった。
いつの時代も変わらず若者は若者で居て、自分を含めたオッサンもかつては若者であったことを忘れないでいよう。
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今までのシリーズとは雰囲気が一変。会話形式に重きがおかれ、その会話内容が作者の最もいいたいことになってる。今までは薫くんの内面の気持ちや考えなどが地の文で語られていてそれが最も重要なことだったので、そもそもの方向転換が凄い。新たな試みをしようとしたのかもしれないけれども、なんだか肩すかし感はあるかもしれない。私は今までのほうが好きだったなあ、率直で分かりやすくて正直で。この形式では物語にずぶずぶと入り込むことはできなかった。元々そこまで小説的な機能を必要としていない主題なんだから、純文学っぽくかっこつけずに、今までみたいにそのままやってみてもよかったのにって思う。この新しい試みが庄司薫の様々な文学的限界だったのかな、ともおもうし、文学的限界を迎えたからこそこのシリーズはここで終わるのかな、ともおもうし、庄司薫は多分書きたいことがほんとうにひとつしかなくてそれを書き上げたのだからもう書く必要はなかったのではないか、ともおもう。この本にはどうしようもない物悲しさ、小説を書くことに必要とされる絶対的な才能の壁とか人間の本質とかそういう様々な限界が感じられてなんだかもうシリーズ最終巻だというのにわたしのなかで後味もそんなに良くなく終わってしまってかなしい。
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シリーズ完結。一作目「赤頭巾ちゃん〜」のような スピード感はないが、若者の精一杯の真剣さ、時代の変化に対する若者の心理描写のうまさ は 感じた
青髭とは、時代そのもの だったり 時代の変化 や 競争社会 を含めた時代 を指すのだと思う。挫折や迷走を繰り返しても 方向(風見鶏)を見失うことなく、人生を享受しよう というメッセージを感じた
しかし、登場人物に 共感や尊敬はしない
人生=悪さや怠けても 笑って待っていて 虹のような橋をかけて連れ出してくれるもの
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薫くんシリーズ第4弾。主題は「黒」に近い。夢や志に敗れた若者はどうなっていくのか?前作は兄の友人という、比較的身近な人生の先輩達の挫折、そしてその後の身の振り方に想いを巡らせるというものだった。今回は、芸術家の卵とかヒッピーとか週刊誌の記者とか、普段の薫くんとは接点のなかったタイプの人間たちとの出会いが描かれる。前作の兄の友人たちのように、夢破れても、なんとか軌道修正して、それまで反発していた社会に適合していける人はそれでいいかもしれない。でも、行き場をなくして命を絶ってしまう者もいる。何かがおかしい、でも、誰のせいなのか?
めまぐるしい1日の終わりに、深夜の新宿御苑で薫くんは答えを見つけることができたのだろうか。
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薫くんは、同級生の高橋君の自殺未遂の連絡を受ける。彼は、高橋君の親友として、暗示されたものは、「青髭」。それを見つけること。
翌、1969年7月20日 アポロ11号が月に降り立つその日、「青髭」を探し、誰かを助けようとする彷徨を始める。
若者のエネルギーを吸収するかの新宿。そこに集まる若者。今回は、今までの友人、兄弟達とは異質のアウトロー的な人々との関わり。薫くんが、異空間に迷い込むような感じ。
彼らを 二重三重に重なる群像として分類し表現している。○理想の十字架を掲げるもの ○十字架回収委員会 ○十字架回収委員会研究会 この世代に読んでいたら、傾倒したかも。
故坪内祐三さんが「1Q84」との類似を書評してたみたいです。
私は、それよりピンボールとか羊をめぐる冒険が近い気がする。しかも、こちらの方が、何かしらの結論が得られるように思う。