紙の本
私たちも犯罪者に仕立て上げられるかもしれないし、裁判員として裁く側にまわるかもしれないから読んでおいた方がいい
2018/10/02 09:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くりくり - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の刑事裁判は起訴されれば99.9%有罪になる。今村弁護士はこの中には無実の人がかなり含まれていると推測する。
今村弁護士はこうしたえん罪のかなりの数の無罪を勝ち取ったその道のプロフェッショナルだ。
これまでの判例、裁判過程での誤起訴、誤判について検証したのが本書。浮かび上がってくるのは、日本の刑事裁判の構造的なあり方の問題点だ。無実の人を取り調べる際に作られる供述書は犯人と決めつける警察官のストーリーをなぞって作られている。裁判では作られた供述調書が重視される。検察官が証拠を独占し、被告人に有利な証拠を開示しない。裁判官が、ちゃっちゃと裁判を進めたいが為に十分な審理がされない。裁判官に「有罪慣れ」があり、「疑わしき葉被告人の利益に」原則がなくなっている。裁判官は出世のために無罪判決を出したがらない傾向があるなどなど、まさに闇の部分を実際の取り調べや裁判を例にして詳らかにしていく。ちょっとしたクライムノベルよりも面白い。面白いと言っては語弊があるだろう・・・。逮捕・起訴されたら、「やっていなくても」もうおしまいということが怖い。
今村弁護士も指摘するように、取り調べの可視化は、いの一番に改革する必要があるだろう。
いま、裁判員制度のなかで、一般の人が判決に関わる機会がある。今村弁護士は、この裁判員制度にも問題点があるが、可能性もあると指摘する。
もしかしたら、私たちも犯罪者に仕立て上げられるかもしれないし、裁判員として裁く側にまわるかもしれない。可能性はないわけではないのだ。そして、毎日のようにニュースで犯罪が報道されるが、その犯人を観る私たちの見方も変わってくるのが本書。
投稿元:
レビューを見る
逮捕されたら終わりだな。記憶が塗り替えられる可能性は高いし、証拠などは検察側に握られてるし。裁判所も閉鎖的だし。
投稿元:
レビューを見る
冤罪、ある日突然、警察、検察官僚国家権力によりなにげない日常生活をメチャクチャにされてしまう。
こんな理不尽なことがなぜ起きてしまうのか。
弁護士登録をしてから20年間、冤罪事件を担当してきた筆者の力作である。
日本の刑事裁判の構造的なあり方、そして、結局、検察、検察と同業者としての裁判官の人事制度、同じ穴の狢が起こしてしまう「冤罪」。
裁判員制度は、裁判官に負担をかけられないというようなことでは、ますます、冤罪を拡大再生産させてしまうこととなってしまう。
以上のような歪みを是正すべく、最後に提言が述べられている。
より多くに市民に読んでもらいたい力作だ。
投稿元:
レビューを見る
裁判員裁判が始まって3年だが,個人的には裁判員裁判ができて良かったと思っている(変えるべき部分はあるけれど)。本書は,これまでの刑事裁判でどのように冤罪が作られてきたか,様々な事例を挙げながら説明している。
捜査機関の不正も問題であるが,それを見抜けない裁判官,有罪推定でしか事実認定できない裁判官の存在の方が大きい問題のように思える。
投稿元:
レビューを見る
読んでいて楽しい本ではない。我が国の司法制度の元で、冤罪事件の当事者にならないためにできることは、ただ祈るだけかもしれない。弁護士である筆者が経験し、また、見聞きし調べた事件の実例を挙げて、どのように冤罪事件が作り上げられ、無辜の市民が犯人に仕立てあげられ、罪を自白し証人が偽証するのかを分析している。
正にいま行われているPC成りすまし事件においても、容疑者が求める取り調べの可視化は妨げられ、冤罪の被害者に自白を強要した警察官、検察官たちは罪に問われること無く自由に罪を重ねている。更に、裁判員裁判においても、公判前整理手続きというなのもとに、恣意的な証拠隠滅や誘導が行われている危険性があると指摘する。
自分が冤罪事件の当事者にならないためにできることは、ただ祈るだけかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
間違いなくこの一冊が俺の理転に大きく一役買っている。当たり前のようにあるもの、警察や裁判。それを疑うことは普通はない。しかしながら、絶対的なものほど疑わなくてはいけない。自分たちの生活に絶対的にある警察や裁判を疑う一つの機会になってくれる本。
投稿元:
レビューを見る
日本の刑事裁判では99%以上が有罪。弁護士として活躍する筆者が、冤罪が生まれる原因を論じます。
[配架場所]2F展示 [請求記号]080/K-4 [資料番号]2012108200
投稿元:
レビューを見る
冤罪の起こる原因、構図がわかる。裁判員制度は冤罪防止の一助となっているようだが、問題点が残ることを指摘。
普段あまり関心を持っていないことだが、テレビで「冤罪弁護士」を見て興味を持って購入。紙幅が多いわけではないが内容の濃い一冊だ。
投稿元:
レビューを見る
C. ゴーンを巡るドタバタを自分なりに考えるにも、とても示唆に富む一冊だった。冤罪が起きる背景を紐解くと、裁判官や検察官のとても人間らしい(サラリーマン的な)弱さがあることが分かるし、裁判員制度にかけられた期待も分かる。
読書のきっかけはNHKのドキュメンタリーで取り上げられていて、今村弁護士の正義感とプロフェッショナリズムに感銘を受けたこと。言葉少なな人柄だけど、この本では現在の司法制度に対する批判がビシビシ出てきてメッセージが強烈。
投稿元:
レビューを見る
2018.5.18読了。NHKの番組「冤罪弁護士」を視聴し、今村弁護士に興味を持ち本書を手に取った。
結論から言うと良書。特に裁判員に選ばれた人には、絶対読んでもらいたい、と言うか自動的に配るべき類の本。もちろん無実の罪で捕まった人にも。
前半は「なぜ冤罪が生まれるか」を、虚偽自白・目撃証言・偽証・物証と科学鑑定・情況証拠という様相に分類し、それぞれを実例をもって、明晰にコンパクトに紹介しているので大変分かりやすい。
と同時に、日本の警察・検察・裁判官の実情・実態を思い知らされ、読者が暗澹たる気持ちに突き落とされるのは不可避である(とりわけケース2の、神奈川県警捜査一課による被疑者の社会的抹殺という蛮行はあまりにも酷い。これが2007年の事例だというのだから、警察には絶望しかない)。捜査側が犯罪者になってどうする!?
また、後半の「裁判員制度が冤罪を減らせるか」に関する考察も、射程・深度とも充分に思われ、非常に説得力がある。そして、最後にまとめられた提案・提言は、今すぐ実現すべきで、これのどれ一つを取っても異を唱えることが可能だなどとは信じられない。だが、司法に自己改革など望むべくもないならば、外圧でもなんでも利用して少しでも改良を試みるしかない。有罪率99.9%なんて本当におかしい。独裁国家か、この国は!
投稿元:
レビューを見る
この人を追ったNHKの番組は、見ていて胸が詰まるほどに、この人のまっすぐな生き方を映し出していた。ものすごい衝撃を受けた。忘れないし、もしその時がきたら応援するし、自分も同じ志を持っていたい。
投稿元:
レビューを見る
今村核『冤罪と裁判』(講談社現代新書、2012年)は多くの冤罪事件に取り組んできた弁護士の書籍である。日本の刑事裁判は世の中の水準からみると色々と遅れたところがあり、有罪とされた元被告人のなかに無実の人々がかなり含まれているのではないかと主張する。
冤罪は許されない人権侵害である。「身に覚えのない罪に問われるということは、自分自身の人格と異なる『犯罪者』という烙印を押され、一生あるいは亡くなった後も背負っていくということです」(村木厚子「『市民の会』の活動で再審ルールの実現を」救援新聞2019年6月5日)
ところが、日本には明日は我が身と言えるほど冤罪の要素が溢れている。布川事件冤罪被害者の桜井昌司さんは「捜査官が嘘を言って来て、一般常識に反する検察官による証拠の独占が行われている司法が冤罪を生む」と語る(「茨城・布川国賠訴訟 警察・検察に賠償命令」救援新聞2019年6月15日)。
冤罪は警察の人権を無視した取り調べによって生まれる。「腰痛の被疑者にきつい姿勢を強要」「病気の薬を飲ませない」などである。鹿児島県警の志布志事件では親族のメッセージに見立てた三枚の紙を無理やり踏ませて自白を強要する踏み字が行われた。
投稿元:
レビューを見る
現在の日本の刑事裁判の実態がよく理解できた。自分の知らないところで無実の人が罪に問われている。そういった冤罪を生み出す日本の法律を、早急に見直す必要があるのではないかと多くの冤罪事件事例を通して感じた。
裁判員制度は比較的新しい裁判方式であり、自分が近い将来関わるかもしれない。裁判員は、本書で挙げられた裁判員制度の問題点や改善点を事前に知識として身につけておかないと、被告人を冤罪へと導いてしまう恐れがあると実感した。裁判員制度以外の日本の法律の問題点についてもさらに深堀して学習してみたいと感じた。
投稿元:
レビューを見る
「疑わしきは被告人の利益に」なっているのか、本当に。
冤罪が大変な問題であることはわかっているのと同時に、しかし、被告人=有罪という間違った印象はなかなか頭から拭い去れない。裁判官が正義を守るためにいると思っていても、それが職業である以上、昇進や職場の人間関係、権力闘争からは逃れられないものなのだと諦める気持ちもある。裁判に参加するならば間違いのないように議論を尽くしたいとは思うが、拘束される時間を鬱陶しいとも感じるし、罰を与える自分に酔ってしまわないかという恐れも感じる。
それでも、やはり正義は守られてほしい。確かな証拠を元に、検挙するための追求ではなく、事実を明らかにするために、警察も検察も裁判官も全力を尽くしてほしい。悪を見逃すことは、正義を求める人にとって、もっとも嫌なことだろうし、許せないことだと思う。でも、罪のない人を有罪にしてしまうことを、それ以上に恐れ、自分に禁じてほしい。
印象はあてにならない。他のところでも聞いたことがあるが、証言はあてにならない。人の記憶は曖昧なもの。いつどんな場所で証言を求められようとも、謙虚でいたい。罰を与えられる立場にいるかぎり、忘れないようにしたい。
投稿元:
レビューを見る
真面目に警察官に話せば信じてくれると思っているのは、ただの世間知らずの人間。警察官は最初から相手を犯人としてしかみていない。宇都宮市での支店長によるクレジットカード詐欺事件で宇都宮東警察署に説明したとき、こちらが逆に犯人扱いされているような面接を受けた。あのときは、支店長が既に同様の詐欺罪で一度捕まっていた事が判り、こちら側の疑惑は取り払われたので良かったが、これが支店長の再犯で無く、初犯だとしたらこちらが勾留されかねなかった。もう14年前の2007年の事件