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還暦を過ぎても元気だった夫が体の不調を訴え、動脈瘤の診断を受ける。
助かるためには手術しかないと診断され、妻は夫のために食事療法を行い、湯治にも付き添う。
そしてふたりは手術の日を迎える。
あらすじとしては感動的な夫婦の絆の物語に思えるが、実際妻は夫を疎ましく思う気持ちを、夫を動脈瘤で死なせないために献身的に尽くすという相反する行動で昇華させる。
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60代、共働き夫婦。
夫に「いつ破裂するかわからない爆弾」大動脈瘤が見つかる。
検査予約、入院、民間療法、手術予約、そして手術。
夫の感情の変化も、妻の心の中での「悪態、」「子を思うように夫を思う気持ち」「死なばもろとも」と思う気持ち・・・手術後の、鬱に近い状態。
「これってノンフィクションなの?」と思える細やかさで描いてます。
病院や湯治、食療法につきあいながら、主人公の妻は夢の中で「遊女」になった夢を見るようになるんですが、「うまいなあ」と思いました。
死に近い肉親といると、自分も深くて暗い沼にズブズブと片足突っ込んでしまい、どうしようもなくなっちゃうことがありますが、その感じがよく出てました。
この前に読んだのが「キャベツ炒めに捧ぐ」。
思いがけず、60代が主人公の本が続きました。
もう少し先のことですが、ああ私にもくるんだなあ・・・。
と、少し、しみじみしました。
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破裂寸前の胸部大静脈瘤が発見された64歳の男の2歳年下の妻を主人公にした夫婦の物語。
一刻も早い手術を勧める医者。仕事を理由に、実は恐怖から引き延ばしを図る夫。それを献身的態度で支える妻。
私自身心臓を患った経験もあり、年齢も近いことから妙に親近感を感じてしまいます(私は引き延ばしは図りませんでしたが)。
深刻な状況の中、献身的でありながらどこか醒めた目で夫を見、理性的に対処しながらも夢の中では妙に官能的になる。その2極が絶妙にバランスしていて、その狭間に奇妙なユーモアが漂う。
読んでいて思わずニヤリとしてしまう。巧いなあ。
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村田喜代子さんは 屋根屋を読んだ時から 私に合う というか 表現が 描写が(私にとって)この上なくリアルで すんと物語に自分を図らずも置いてしまう魔力がある。
この本では 私の体は 破裂物になってしまったようだ。
男尊女卑とも思える夫の心臓病の看病に振り回される冷静な妻。
夫を献身的に支えながら一方で官能的な夢に溺れる深層心理の描写は見事。
ただただ 読んでいる間中 私の心臓はいまにも爆発しそうで 歩くのさえ慎重になってしまった。体が自分のものでないようにふわふわ浮いている。
ラストは そうなってしまうんだなと 自分の人生の先々の可能性を見る。
村田さんの才能に惚れ惚れと。再確認できる一冊