投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
「3000年の時を経てなお、古代エジプト人は私たちのお隣さんなのだ」
800万点にのぼる大英帝国の秘宝を有する大英博物館。その調査チームによってバックヤードに眠る数々の収蔵品を精査することにより明かにされた古代エジプト人の庶民の暮らし。それは、ピラミッドや黄金のファラオのマスクの陰で腰巻一つで働く奴隷の姿くらいしか想像しなかった従来の古代エジプト観をみごとに覆すものだった。
2008年から始められているという砂に埋まっていた3300年前の街アマラ西の発掘。庶民の暮らした住居の跡からは、当時の人々の生活や社会問題までが見えてくる。
埋もれたゴミの前に住んでいたらしい住人。家のゴミを玄関前に投げ捨てていった結果、ゴミが1.5メートルも積みあがってしまい、困った挙句玄関の高さをゴミの高さに合わせて作り変えた痕跡があるという。その発想がなんとも生々しい。当時にも今のゴミ屋敷に相当する困ったさんはいたらしい。
二世帯住宅なんかもある。大きい家の中心にあとから間仕切り壁を設けて改築したらしいのだが、「息子に嫁もくることだし思い切って改築するか…」なんてお父さんのつぶやきが聞こえてきそう。
第3章に語られるある一人の男の人生も興味深い。彼の名は「ケンヘルケプシェフ」さんである。この男、一般人ながら勉学に励んだ結果、当時憧れの職業・書記になり46年を勤め上げた、今で言えば真面目な公務員さんである。趣味は様々なジャンルのパピルス収集。これらが残っていたことにより彼の人生や心のうちまでがここに明かになる。
少年の頃父親から書記になるための勉学を奨める教育を受けていたこと、思春期を迎え彼が綴ったラブレターに見えるあふれんばかりの純な恋心、さらには成人し目標の書記になり王墓の建設という国家事業に携わることになったものの、口うるさい上司や「仲間のミイラを作る」だの「家のドアを直す」だの、挙句「二日酔い」など信じられない理由で休む部下達に多分なストレスを感じていたらしいことなど、彼の人生もまた現代人と無縁のものではない。
ケンヘルケプシェフさんはもちろんのこと、ゴミ屋敷の住人から仲間のミイラをつくるため仕事を休んじゃう職人まで、俄かに彼らにそこはかとない共感を覚える。普段の生活から日常の瑣末な出来事に至るまで今を生きるわたしたちと似たような、3000年の時を経てなお、彼らは私たち現代人のお隣さんなのだ。
大英博物館の調査・研究チームは、学術的にも華々しいファラオの物語ではなく、ここにむしろ知られざる庶民の生活を具に再現。しかも古代エジプト世界が「絢爛豪華な王と貧しい奴隷たち」のようなステレオタイプのイメージではなく、彼らならではの信頼に基づいた王と庶民の良好な関係によって築きあげられたものであることを明らかにした。その仕事に深く敬意を表したい。さらに言うなら彼ら知的バックヤードそのものもまた大英博物館の貴重な宝なのだ。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
(2012.07.27読了)(2012.07.25借入)
テレビ番組「NHKスペシャル 知られざる大英博物館」シリーズの第1回「古代エジプト」を活字化したものです。
大英博物館には多くの収蔵品があるにもかかわらず、調査されずに眠っているものが多数あり、順次修復および調査を行うとともに、新しい調査発掘も行われているとのことです。
この本は、古代エジプトの庶民に焦点を当て、そのミイラや文書からわかってきたことについて記されています。
いままでの古代エジプトの庶民のイメージでは、ファラオの圧政のもとに奴隷のような労働を強いられ、何ら楽しいこともなく、死んでゆく、というものでした。
この本によるとまったくそのようなことはなく、出勤簿によると色んな理由で仕事を休む人々、二日酔いだったり、家族の病気だったり、というものが見えてきます。
【目次】
大英博物館へようこそ
文化遺産の収蔵庫 大英博物館ガイド
はじめに
1章 謎のミイラに隠された庶民の想い
2章 解き明かされた庶民の暮らし
3章 ある男の人生に見る古代エジプト人の心の内
4章 ファラオと庶民が築き上げた古代エジプトの繁栄
古代エジプト文明の概観―歴史と文化 近藤二郎
おわりに
●大英博物館(20頁)
世界最大規模の大英博物館。創立は1753年。イギリスの発展とともにコレクションを増やしていき、現在の収蔵品は800万点にも及んでいる。しかし、展示室で公開されるのは、その膨大な収蔵品のわずか1%にすぎない。残りの99%は、人知れず収蔵庫に眠っているのである。
●旅(52頁)
海外を旅すると、この人たちはどうしてこんな顔をするんだろう、とか、なぜこんなに激しく感情をぶつけ合っているんだろう、と感じる場面に出くわして刺激を受ける。ふだん日本で見慣れた表情の、何倍もの感情の種類や起伏が、世の中に存在すると思い知らされる。(堺雅人)
●床のかさ上げ(71頁)
この家に住んでいた人々は、生活で出たごみを玄関ドアから通りに向かって投げ捨てていたようです。するとごみは通りにどんどんたまっていき、通りを埋めてしまうほどになりました。そのため、住人は玄関を通りの高さに合わせて造り変えなければならなくなり、最終的に家の玄関は1.5メートルも高くなってしまいました。とうとう住人は不便に耐えきれなくなり、家を通りと同じ高さまで埋め、その上に新しい家を立てざるをえない状況になったのです
●庶民の食生活(86頁)
今回の調査からアマラ西の人々の食生活を分析すると、彼らは全くのベジタリアンでも肉食でもない、とてもバランスの良い食生活だったと言えるでしょう。古代エジプトの庶民たちは絶えず苦しみ、とても不健康で、いつも飢えていたという考えを持つ人が多いと思いますが、それは間違っています。古代エジプトの人々は、他の文明と比べても豊かな暮らしを送っていたはずです。
●教訓文学(111頁)
ケンヘルケプシェフが残したパピルスの中に「アニの教訓」と呼ばれる教訓文学がある。いまからおよそ3500年前、アニという人物によって書かれたもので、全部で53篇の格言が綴られている。
●書記になるべき(115頁)
おまえは心を書物に向け書記になるべきだ
手斧を振るう樵は力を振り絞って働かねばならず
陶工は壺を焼くために豚よりも深く地面に穴を掘る
洗濯屋は河原で汚物の混じった汚れ物を洗い
漁師はワニの住む川で働いている
ごらん書記に勝る職業はない
もしおまえが書記になれたのなら
わたしが教えたどお職業に就くよりも
おまえの人生にとって素晴らしいことなのだ
●休暇の理由(129頁)
アメンエムワイという名の職人は仲間のミイラをつくるという理由で仕事を休み、その翌日にはビール造り、その8日後には自宅のドアを直すとして仕事を休んでいる。さらに、コンスという職人は自分の誕生日という理由で2日連続で休んだ。極めつきはイエルニウテフという職人で、二日酔いで休んだと記録されている。
●記録の保存(164頁)
エジプトの民は、
世界中のどの民よりも過去の記録を丹念に保存し、
どの国の人々よりもそのことを後世に伝えている
(歴史家、ヘロドトス)
●公平な社会(172頁)
古代エジプトは、他の文明に比べ、より公平で、ときには抗議も可能な平等な社会でした。緊張関係もありましたが、ファラオと庶民の間には確かな対話が存在したのです
●エジプト人の死生観(178頁)
「死んでも確実に再生できる」という古代エジプト人特有の死生観は、太陽の日々の運行やナイル川流域の植物の芽ぶきなどによって形成されていったと考えられる。
☆関連図書(既読)
「エジプト神 イシスとオシリスの伝説について」プルタルコス、柳沼重剛訳、岩波文庫、1996.02.16
「エジプトの神話」矢島文夫、ちくま文庫、1997.08.25(筑摩書房、1983)
「神・墓・学者」C.W.ツェーラム、村田数之亮訳、中央公論社、1962.07.25
「王家の谷」オット・ノイバート、酒井傳六訳、法政大学出版局、1971.05.20
「ファラオの階段」川村喜一、朝日新聞社、1979.12.10
「ものの始まり50話」近藤二郎、岩波ジュニア新書、1992.05.20
「エジプト史を掘る」吉村作治、小学館ライブラリー、1992.06.20(NHKブックス、1976)
「貴族の墓のミイラたち」吉村作治、平凡社ライブラリー、1998.12.15(NHKブックス、1988)
「古代エジプトを発掘する」高宮いづみ、岩波新書、1999.04.20
「失われた古代文字99の謎」矢島文夫、産報、1976.11.10
「発掘と解読」江上波夫、毎日新聞社、1977.11.15
「古代エジプト探検史」ジャン・ベルクテール、福田素子訳、創元社、1990.11.01
「ヒエログリフ」スティーヴン・スネイフ、五十嵐洋子訳、主婦と生活社、1998.07.13
「解読 古代文字」矢島文夫、ちくま学芸文庫、1999.08.10(朝日選書、1980)
「古代エジプトの秘教魔術」吉村作治、大陸書房、1988.08.06
「ファラオと死者の書」吉村作治、小学館ライブラリー、1994.06.20(「古代エジプトの秘教魔術」大陸書房、1988)
「エジプトの死者の書」石上玄一郎、第三文明社、1989.09.30
「ミイラは語る」石田一良、毎日新聞社、1978.01.15
「ミイラの謎」フランソワーズ・デュナン、ロジェ・リシタンベール、創元社、1994.11.20
「ツタンカーメン王の秘密」ハワード・カーター、塩谷太郎訳、講談社青い鳥文庫、2001.02.26
(2012年7月28日・記)
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
大英博物館について、「We stole from the world」 と、ロンドンの代理人が言っていたのが印象的でした。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
562
46m
一方で予想外だったのは、彼らが魚をほとんど食べていなかったことです。アマラ西は島にあり、ナイル川にとても近いので、もっと魚介類を食べていたと思っていたのですが、数値に魚介類はほとんど含まれていませんでした。これも大変興味深い結果です。今回の調査からアマラ西の人々の食生活を分析すると、彼らは全くのベジタリアンでも肉食でもない、とてもバランスのよい食生活だったといえるでしょう。古代エジプトの庶民たちは絶えず苦しみ、とても不健康で、いつも飢えていたという考えを持つ人が多いと思いますが、それは間違っています。古代エジプトの人々は、ほかの文明と比べても豊かな暮らしを送っていたはずです。古代エジプトの人々は、ほかの文明と比べても豊かな暮らしを送っていたはずです
この時はぼくはまだ若くて旅の力がなかった。だから普通の観光旅行の範囲をあまり逸脱せず、現地に駐在していた友人に案内されてナイルの岸辺を散歩したり、ピラミッド見物に行ったり、夜は鳩料理を食べたりして過ごした。博物館にも行ったけれどそう熱心に見てまわりはしなかった。あの時期ぼくはどこに行ってもいずれここへは本格的に来るぞと思い、いわば偵察のつもりでざっと見ていた。また来る機会は必ずあると思ったし、ずっと旅を続ける人生だということもわかっていた。
「そんな差なんてありません。古代も現代もほとんど変わらなかったと思いますよ」なぜ、私がそのように答えるかと言えば、日本とは違う社会の人間構成に起因している。私たちが住む日本は、教育レベルが非常に高い部分に平均が存在しているのに対して、古代エジプトやあるいは現代のエジプトでも数多くの底辺を支えている人びとと非常に高度な専門職である少数エリートたちとで、社会は「ピラミッド型」になっていて、上下の間には、非常に大きな差異が存在している。底辺には、多くの農民層が存在しており、上部には、エリート専門層が存在しているのだ。大多数の農民層と一部のエリート層という分布が、古代から存在したのである。現在の日本のように国民全体が、まるで平らな算盤の玉のように平均的に分布しているのとは異なっている。
「ピラミッドも積んである石を近づいてよく見て下さい。二つとして同じ大きさの石がないでしょう。これは、ピラミッドの内部の積石を切り出した作業員の技術水準が著しく低いいびつからです。歪な石を寄せ集めたにもかかわらず、これほど見事な幾何学的造形を作り上げることができているのは、現場監督の驚くべきレベルの高さにあります。もし、現代日本人がを建造するのであれば、一メートル立方のサイコロ状の石を大量に切し儀に積んでいくと思います。しかし、古代エジプト人たちには、内部の大量の積石をある一定の規格に揃えて、切り出すという平均的技術レベルがなかったのです。彼らは、おそらく専門の石切職人ではなく、労働奉仕に動員された農民たちだったからであると思います。一方、この表面を被っていた良質の石灰岩の外装石を見てください。古代エジプトの専門の石切職人のレベルがいかに高いものであったかおわかりいただけると思います」