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一方的な部分もないことはないが,掲示板への依存過剰が常態化するなど社会との接点が狭小であったことや,入力と出力が短絡的かつワンパターンであることが数々のトラブルを引き起こすポイントであったことなど自らを客観的に捉えて分析されていると思う。
子どもの個性や受け止め方,普段から親の価値観以外のものに触れることができる環境にあるかどうかにもよるのだろうが,成長過程における親の躾の手法や接し方が極端な形で行動形成に反映されたケースだと思う。
■(自らの気ちを静めるため,)改心させることを目的として,言葉で説明せずに“痛み”を与える
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不可解な本でした。秋葉原事件の殺人犯が著者ということですが、出版にあたっての、出版社・編者からのメッセージはなく、本人の前書きでスタートです。
なんとも幼稚な記述が続きます。私はこんなふうに失敗してきました、駄目だったのです、の連続です。母親が厳しかったから、反動でこんなんなっちゃった、という言い訳も頻発。マスコミの報道のここがオカシイ、などの(しかも、本質にかかわらなさそうな)指摘を一生懸命している。なんだこの本?
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本人の言葉で綴られた、本人の言い分。
不快に思う人もいるだろうが、これが彼の本心なのだろうと思う。
普通の人と無差別殺傷犯の境界線は、自分が思っている以上に身近にある。
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秋葉原無差別殺傷事件、加害者による手記。
語られていることと、語られていないこと。
「わかるはず」という思い込み。
それは決して他人ごとではなく、案外身近なところにもあるかもしれない、という怖さを感じました。
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二〇〇八年の秋葉原事件の犯人、加藤智大の手記。相当に貴重な本であることは間違いないでしょう。
読んだ感想ですが、ひさしぶりにここまで粛然とさせられる本に出会った。
共感できるところももちろんあったし、たとえ共感できなくても、このひとの言葉をだれかが守ることをしないと、社会のなかで同じような抑圧はいつまでも生まれてくる。だから自分はこの本を、ずっと心のなかにとどめておきたいと思う。
身内と他人との距離感の絶望的な差、の話が印象的です。
社会的な孤立、成りすましへの攻撃の話などは、本人も何度も語られていて、めちゃくちゃ客観的に見ることができているんやなあと思いました。
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早く死刑執行すべき。論旨が支離滅裂で、これでは犠牲者も浮かばれない。『相手の考え方を改めさせるために痛みを与えて分からせる』という表現がしきりに出てくるが、一体お前は何様のつもりなんだと言いたい。
奇しくもグアム島でこの秋葉原事件と同様の無差別殺傷事件が起きた、平成25年2月13日に読了。
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秋葉原無差別殺傷事件の犯人による自分の行動についての解説。彼自身の生き方の拙さと、社会環境によって引き起こされた悲劇。人との関係をうまく作れないタイプの人物を想像していたが、単純にそういうわけではなく、距離の取り方と自分自身の主体性を維持することが苦手だったんだろうという印象。ありもしない自分を奪った成りすまし達への復讐だったわけだけど、その「成りすまし」はこの事件を知った時どんな事を思ったんだろう。インターネットの掲示板はネガティブな気持ちを増幅させるのに有効すぎるんだ。もしそんなツールがなければこんな帰結はなかっただろう。
未来が見えない時代であることは間違いないし、社会とのつながりのない状態ではそれは恐怖と言っても良いくらいの感覚になることも想像できる。できることは、「何か」を自ら始めること。ネガティブな気持ちを自己増幅させないように気をつけること。
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秋葉原無差別殺傷事件の犯人の手記。
なぜ事件を犯したのかを自己分析している。そして自分のどこが悪くてあのような事件を犯してしまったのかを記している。大要は以下の通り。
①孤独が怖い
-だから人一倍友人のために(これって友人のため?)頑張る。他者との関係を求める。ネットでもいいから他者とつながりたい。
孤立すれば、自殺はもう目の前です。私は肉体的な死は特に感じるものはありませんが、社会的な死は恐怖でした。 p.25
②白黒しかない
-グレーゾーンというのが存在せず、悪いのは10:0で自分か相手だと考えてしまう。だからネットでのトラブルもすべて相手が悪いと考えてしまう。
③目的と手段の不一致
仕事を何度かボイコットしているが、それは相手の考え方を改めてほしいという目的(この目的も変だが)があり、その方法としてボイコットという手段をとっている。
事件も同様にネットで誹謗中傷した人たちに対して考えを改めてほしいという目的のために人を殺すという手段を選んだ。事件については記憶が飛んでいるが、轢いた時の感想を以下のように記している。
ふたり並んでいる人が現れ、そのうち手前の人と目が合いました。その目は「なんで?」と訴えてくるようで、殺したはずの私が帰ってきました。しかし、「やっぱり嫌だ」と思った時にはもう、ぶつかっていました。 p.103
一文が長いのが気になるが、赤裸々に自己分析しているのは面白い。ただ「なぜ孤独が怖いのか」を哲学してほしい。
(まっちー)
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馬鹿だなって事件起こした後で言われるなんて孤独な人間の象徴。穴だらけの思い込みが正しいなんて信じられるほど寂しいものはないな…
ただただつまらない奴。
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掲示板が命綱だったそうな。事件の解明とかなんとか言って、結局まだ、掲示板で自分の成りすましになった人への恨み節を切々と書いてるだけだった。
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稚拙な文章。幼稚な言い訳。まるで中学生の作文ような浅はかさは前評判通り。確かに遺族の事は考えていない。あの惨劇に身を置いた自分としても、無視されている感覚が残る。
けど、本音ではあると思う。人間というそもそも欠陥だらけの存在を表し、彼が私たちと何も変わらないという事が改めて感じられた。
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秋葉原無差別殺傷事件、加害者の手記。反省しているフリ。自分が悪いと言いながら実は全部、誰かのせい。すべてわかっているようなフリ。「…してしまった」「してしまった」
まるで他人事。幼稚な文章、幼稚ないいわけ。吐き気がする。
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秋葉原無差別殺人事件で死刑判決を受けた加藤智大の手記。
本の雑誌10月号の書評を見て読んでみた。
自分を傷付けた掲示板の成りすましたちを心理的に攻撃するために事件を起こした、という。
似たような事件を未然に防ぐために事件について書き残す、という。
何を言っているのか、全然わからない。いや、書いてあることは分かるのだけど、理解ができない。いやいや、理解できるけど分からない、のだな、やっぱり。
何のためにやったのか、なぜやったのか、ということを延々と書き綴ってはいるのだけど、その「理由」のおかしさを本人が理解する日は来ないんじゃないか、と思ってしまう。
あと3冊出しているのだけど、それを読むかどうか悩み中。
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行動力がある割には、認識している世界が狭い。
自分の本当の気持ちを表に出さない割には、対人依存。
そして、安定した帰るべき場所がない。
様々な要素が最悪な形ではまってしまった。
家庭環境・母親に問題あり。それでも母親を弁護しようとする姿勢は、恐怖なのか、愛なのか、世間に対する言い訳と取られることに対する弁護なのか…。
加藤智大はもちろん加害者なのだけど、広義では被害者でもあるなぁと思う(どんな事件でもそうだけど)。
人殺しをする為に生まれてくる人はいないんだよなぁと。
自然発生的に「おかしな」人間は生まれない。加害者目線で語られる内容は非常に意味深いと思う(たとえされが美化されているものだとしても)。
一番ぞっとしたのは、掲示板に犯罪予告をした段階で既に犯罪だから、もう後戻りは出来ないから実行するしかないと思った、と書いてあったこと。
世間が犯罪予告に対して大騒ぎしすぎた結果が、現在の懲罰のありかただとしたら本末転倒な事実が起きているとしかいえない。
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事件から10年を機に読んでみたが、やはり、掲示板の「なりすまし」に打撃を与えるため、秋葉原で無差別殺傷という結論が了解不可能。狙った場所は、自分と同じような内気で社会から疎外された青年が多くいる場所だろうに。
本人も自己分析しているように、不満があっても直接相手に言わず、行動によって気付いてもらおうとする性格があったのも原因という。
その性格の形成には母親の影響が大きいとする。母親は自分が絶対的に正しいと考え、その基準から外れるのは許されなかった。失敗は許されず、食べるのが遅いと、食物を広告のチラシに置いて、先に洗い物をし、それでも遅いと口に食べ物を押し込んだとか。その間「早く食べなさい」と言わなかった。翌日着ようと思った服を母親は床に投げ落とし、自分で着るものを選んではいけないと理解したとか。
事件前年に青森の実家に帰ったところ、母親が離婚するとのことで、家を追い出され、自殺を考えるようになる。「家族をやり直そうとしていた私は全否定され、ひとりで空回りしている虚しさを感じました」。結局、中央線で自殺しようとするが、人身事故で思いとどまり、コインパーキングの車にいるところを、駐車場の管理人にさとされる。
友人関係は普通にあったようだが、押しかけて行って、一緒にいた時間を比較するくだりがあり、相当「重い」奴と思われていたのではなかろうか。結局その友人らに相談することもなく、自分勝手な理屈で犯行に突き進んで行く。
不幸な家庭環境には同情するが、動機面では全く共感できない。