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●『残留日本兵
——アジアに生きた一万人の戦後』
林 英一/著(本体価格860円)
「恥ずかしながら帰って参りました」——。残留日本兵といえばすぐに思い浮かぶのが、横井庄一や小野田寛郎、そして、“水島上等兵”。彼らの苦難の歳月は、自伝をはじめ多くの書籍や映像で描かれてきた。だがいずれも悲劇の英雄として語られ、時々で話題を集めたにすぎない。本書は、アジア各地で綴られた全記録を辿り直すことで、「大日本帝国崩壊後」の残留日本兵たちの真の姿を明らかにする、初の試みである。
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「恥ずかしながら帰って参りました」――。残留日本兵といえばすぐに思い浮かぶのが、横井庄一や小野田寛郎、そして、“水島上等兵”。彼らの苦難の歳月は、自伝をはじめ多くの書籍や映像で描かれてきた。だがいずれも悲劇の英雄として語られ、時々で話題を集めたにすぎない。本書は、アジア各地で綴られた全記録を辿り直すことで、「大日本帝国崩壊後」の残留日本兵たちの真の姿を明らかにする、初の試みである。
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様々な事例が列挙されているのみのため、資料としては価値があると思われますが、読み物としては工夫が欲しかったです。
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毎年終戦記念日のある8月になると太平洋戦争の事を考えさせられる。
なるべく当時の関係する本を読んでいるがこの本も面白かった。横井さんや小野田さんだけじゃないんだよなあ。
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残留日本兵自体への評価ではなく、あくまで本自体への評価をすればあまり面白いものではない。
厳しく言えば「事実」的記載が羅列されているだけで、学者の仕事としてはその基本的前提を著作としてしたためただけと言えなくもない。
ただこの分野の研究が未だ進んでいないがための結果かもしれないが、そうだとするとそれはそれで少々悲しい。
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●:引用、その他:感想
「はじめに」で書かれた著者の執筆意図が→※1
●残留日本兵―。そう聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。(略)その代表例は、『ビルマの竪琴』の主人公である水島上等兵のほか、横井庄一、小野田寛郎が挙げられる。しかし、彼らは実は例外的な存在である。残留日本兵の多くは、日本軍の引き揚げ完了後も外国や外地に一定期間残留した後に日本に帰還するか、そのまま現地に定着していった。(略)本書の目的は、こうしたアジア各地で発生した残留日本兵の全体像を、資史料に基づいて実証的に叙述した上で、類型化することにある。そのことによって、彼らが残留した理由、残留後の再移動の諸相、アジア各地への定着の要因を明らかにしたい。
※1:著書の脈絡からは読み取れなかった「終章」の結論(「はじめに」でも書かれていたが、著作の展開から、そこに結び付けるのはやや唐突の感が強い) →※2
●終章として、戦後日本社会のなかで、なぜ横井庄一、小野田寛郎のような例外的な存在が脚光を浴びたのかを検討し、そこに孕まれている私たちの歴史認識を問うた上で、「いかに死ぬるのか」ではなく、「いかに生きるのか」を追求した残留日本兵という名の青年たちの人生を評価する。
●本書はアジアという地域枠組みのなかで残留日本兵の歴史を総体的に捉えようという試みであった。そこから見えてきたのは、「残留」という現象が、単なる引き揚げの対象概念としてだけではなく、多用な戦い、生存の社会関係の束でもあったということである。
●アジアの人びとにとって、横井や小野田は、ジャングルに潜伏し続けたミステリアスで危険な存在でしかなかった。むしろアジアの人びととの対話という視点で考えるならば、身近に接触のあった100人と、その背後にいた一万人規模の残留日本兵の存在こそ、戦後の日本人とアジアの人々の歴史認識の合せ鏡とすべきである。彼らは、第二次世界大戦後、アメリカのヘゲモニーのもとでつくられた「日本とアジア」という地域秩序のなかで生きてきた私たちに、「アジアのなかの日本」という世界観のなかで、個人として自律的に生きる可能性を提示してくれている。(略)その文化の領域においても残留日本兵は注目に値する。彼らを自文化、あるいは異文化という一つの文化のなかで表象し、消費するのではなく、自文化でも異文化でもない境界領域を生きたという側面にもっと光をあてるべきである。(略)「生きて虜囚の辱めを受けず」が人口に膾炙し、鬼気迫る国民的想像力のために多くの同胞が「いかに生きるのか」に意義を見いだして大量に死んでいった時代に、神仏や国家にすがることなく、ひたすら「いかに生きるのか」を追求した
※2:そして言い訳のような「あとがき」。 →※3
●東日本大震災の日、私はジャカルタにいた。震災後にインドネシアの市井の人々が日本のために募金する姿を見て、私は日本とインドネシアの50年後に思いを馳せた。東南アジアから日本にケアワーカーが来る時代である。(略)こうした時代の変化を反映した上で、いま一度、残留日本兵の世界を捉えなおし、私たちの目を「内」から「外」に転じたいというのが、本書を執筆した動機である。アジアとの共生というのは簡単だが、それを実際に体験した人はけっして多くはない。いかにかつてのアジアが地域としてあり、国民国家建設の過程で、人々が分断されていったのかを知るための視座を提供するものとして、残留日本兵の体験は貴重である。
●本書はその一例であり、先達の研究や記録を整理しながら、資料的な制約のなかで、アジア各地で発生した残留日本兵のとりあえずの見取り図を示したカタログに過ぎない。草稿の段階では残留日本兵100人の綿密な個人史をすべて取上げる予定であったが、紙面の都合で大幅に割愛せざるを得なかった。その意味で本書は「序説」であり、今後本格的な研究が展開され、より精緻な残留日本兵の全体像が明らかにされるための「捨石」でしかないのだが、私がイメージではなく史実に基づく議論を行い、アジアに定着していった残留日本兵を、戦後の日本人とアジアの人々の歴史認識の合せ鏡として、アジアのなかで生きるということの意味を問い直す一助となるならば、望外の幸せである。
※3:結果的に先行研究の抜粋、羅列になってしまっていないか。著者は今までの残留日本兵の先行研究は、「インドシナ残留日本兵」といった国民国家の視点でしか語られてこなかったとし、副題の通り「アジアの残留日本兵」として類型化を試みたが、先行研究を何冊か併読した方が見えてくるものがあると思う。目を通したことの無い先行研究を知ることができたのは確かだが、焦点が見えてこなかった。と思っていたのだが、本文を書き写しているうちに、ちゃんと一本の筋が通っていることに気が付いた。自分の読み方が間違って(甘く、浅かった)ようだ。
【読後の連想】終戦後の捕虜収容所での序列(階級)、リーダーシップ。→「日本人の死生観を読む」。
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横井、小野田に表象されるイメージの実像を丹念に辿り、残留日本兵「像」を一新する快著。敗戦後、「外地」に留まった日本兵はおよそ一万人!単一の認識に還元不可能な千差万別の人生が存在する。丁寧な取材に基づくルポルタージュ。
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残留日本兵というとまず思い出す,グアムの横井さんやルバング島の小野田さん。しかし彼らは一万人いた残留日本兵の中ではきわめて特殊な例で,決して残留日本兵を代表するものではない。
本書は,アジア各地で,現地人とつながり,現地に溶け込んでいった,一般の残留日本兵の歴史をまとめたもの。一万人のうち個人史の判明している百人の記録をもとに,階級や地域による類型化を試みている。残留の動機には様々なものがあり,残留後の行動・運命も様々だ。
例えば将校クラスでは,敗戦処理に奔走するうち,現地側に能力を買われ,それが本人のアジア解放という信念にもマッチして残留ということになった者が多い。憲兵では,戦犯として処罰されることを恐れての逃亡・残留が顕著。
下士官・兵では,現地妻の存在や流言蜚語に踊らされとか,上官や現地側の求めで半強制的にとか,置き去りにされたとか,実にさまざまな理由で残留している。そして各地で独立戦争に参加したり,平和が来ると商社の尖兵として活躍したり,現地政府の都合で日本に強制送還されたりと時代に翻弄される。
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第二次世界大戦以降、様々な理由から日本に帰国せず
現地に残留した日本兵の実像を、
数多くの人物を紹介する形で説明する一冊。
サンプル数が多く、またそれらがよくまとめられており、
当時の社会や国際環境についても触れられていてわかりやすい。
特にインドネシアや中国で残留日本兵が果たした役割について
興味深く感じた。
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残留日本兵といえばすぐに思い浮かぶのが、横井庄一や小野田寛郎。
しかしその他にもたくさんいた。100人以上もの人の手記を集め、分析。
これは貴重な資料だ。
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小熊英二と何が関係あるか知らないが、ともかく、残留日本兵の動向についての冷静な整理、、、にみせながら、「歴史の美化」というものの警戒を怠ってはいない。つまり、イデオロギーから離れ、「死のうとした」のではなく「生きようとした」人々の生の歴史を描こうというのである。しかし、それもまた、薄められた「他者から」というイデオロギーに過ぎない。、、、、、最後の最後に天皇陛下の御下賜金を受け取ったというのは、皮肉か、それとも著者の節操の無さか、、、、中公新書の研究者の書く跋文にこの手の御礼の文面が多いのは気になる。偉そうなことを言う前に、自前の金で学問しろ!とは、言い過ぎか?
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本書で取り上げられた方々の“戦後”は様々である。且つ、膨大な人数の一部である。
日本に帰らなかったのには、一人一人の人生があり、理由がある。
「『生きるため」に「残留」』を選んだ人生を想う。