紙の本
地方戦士
2019/04/24 06:12
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
横浜地区に限られた戦国時代に生きた武士たちの姿。全国区ではない郷土史を飾った男たちを紹介している秀逸な作品。
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横浜の室町末期から戦国に活躍した人々のことが細かく分かる。俳優・向井理さんのご実家のお寺も登場。そのころから続く由緒正しきお寺なのだとびっくりしました。
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戦国時代において、現在の横浜市域にいた土豪たちの動きを詳しく記した本。「●●郷の■■氏は、扇谷上杉陣営から北条陣営に鞍替えし、玉縄北条氏の重臣として取り立てられ、▲▲郷と◆◆湊に知行を得た。小田原合戦においては××城に籠城して降伏し、江戸時代は◎◎郷の名主を勤めた」というような話が延々と書かれているだけなんだけど、こういうのが好きな人にとっては溜まらなく面白い。著者は、北条氏が発行した各種文書を参照するだけでなく、旧名主の家を1件1件訪ねて回り、その家に残されていた古文書をくまなく調べており、史実を明らかにしたいという郷土史家の執念を感じた。このような古文書類は、是非とも電子化して公開してもらいたいものである。私が定年退職後に愛知県でこれをやれるかと言われると、ちょっと無理かなと思うが…。在地領主が在住した横浜市域の城跡の情報も載っているので、いくつか訪ねてみたい。
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著者が、あの北条クラスタ垂涎の「後北条氏家臣団人名辞典」の下山治久先生ではないかと。横浜市域の笠原氏、松田氏、他多くの家臣について詳しいお手頃価格の一冊だ。
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横浜の戦国時代は、太田道灌が小机城を攻めた文明十年から始まるとも言われている。まもなく伊勢宗瑞は山内・扇谷両上杉氏の抗争に乗じて、相模、武蔵に侵攻し、現在の横浜市域は氏綱の代にはその勢力下に入り、後北条氏とその一族が支配することとなった。
本書は、小机城と鶴見川流域、神奈川湊や金沢などの沿岸地域、さらには玉縄城周辺の村々などを治め、房総の里見氏、甲斐の武田氏、豊臣秀吉などと戦った各地域の領主や武士たちの具体像を、長年、後北条氏文書の研究と編纂に携わってきた著者が浮き彫りにする。(2012年刊)
・はじめに
・第一章 小机城と小机北条氏
・第二章 神奈川湊と蒔田城
・第三章 湾岸地域の武士たち
・第四章 玉縄城の支配と海上防衛
・あとがき
・主要参考文献
・人名索引
どうにもこうにも読み難い。北条一門など似たような名前が多く混乱する。土地勘が無く、馴染みもないマイナーな武士たちの事績を読むのはある種の苦行である。
とはいえ、読み進めるうちに、発見も出てくる。宗瑞の伊豆侵攻は、足利茶々丸への復讐を意図した将軍義澄の許可があったp17という見方も面白い。、人物索引があるので、人名事典的な使い方もできるのではないだろうか。
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後北条氏時代(太田道灌活躍以後)の横浜域武士の変遷を追った本。
鎌倉・室町時代から続く地侍が淘汰(もしくは北条家に吸収)され、北条家臣団に統治されていく横濱。
古い地名(字名も)に残る武士の名前。笹下、六角など。
平子と吉良。
宝積寺前で塩田(当時はそこまで海が流入)
吉良氏が蒔田から木材を海上輸送で鎌倉まで運び、鶴岡八幡宮の造営に使う。(当時蒔田ー本牧は木材の優良地だtたらしい)
鎌倉の寺との関係。(ふと、七杉山神社と結びつけたくなったり)
地元の武将について言及(飯島・笠間)。飯島の字名(殿谷)の殿が誰かわかったのは収穫。
中世の歴史を追うなら、郷単位で捉える必要があるか。