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川上未映子さんの本を読むのは何年ぶりか・・・短編集というよりは詩集に近い。だから内容を理解しようとするのではなく、ただフィーリングで感じ取ったものを吟味する、みたいな?敢えて言うならきれいな言葉遊びのような文章だった気がする。
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わたしはいつもこうだから、だからこうして大事なときに大事なことを言えないままで見ていることしかできなくて、そのことを悲しいことだと思いはするのに、どうにかしなきゃと思うのに、それは決して嘘じゃないのに、なぜ何もかもを、なかったことにしてしまうのだろう。
(P.83)
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短編集の戦争花嫁と冬の扉が好きだと思った。戦争花嫁の少女は言葉が相手を傷つける要因であると、言葉を閉じる。好きな文章をあげると長文になるので割愛する。冬の扉は散文詩だが、これは愛の物語だと思う。奔放で自由であり闊歩する。そんな言葉を愛する人に届ける物語。戦争花嫁を読めただけでも満足だった。意味が意味と通じない言葉遊びの羅列。言葉を愉しむ、言葉を吟味する。短編集としての区切りはあるが、終わりも初まりもない。ただ音として匂いとして空間としてストーリーが展開される。意味が意味と通じない言葉遊びの羅列。そこに川上未映子のエッセンスがある。
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恐ろしい短編集。
物語そのものは恐ろしくない。
しかし、内面を外から覗くと恐ろしく感じてしまう。
これらの物語は思春期心性、或いは病理に近い無意識レベルの幻想のようだ。
しかし、その幻想の一端に驚くほどに的を射抜くような言葉がある。
P.135『「みんな不安を纏っているけど、誰もが痛みに満足してる」』
未分化な自他。
P.10『自分からついてでた言葉が人のなかに入っていってそこにありつづけるなんてたまらない。しかも永遠になんて』
曖昧な安全感。
P.32『〜この家からでて、この入れ子を放棄することだ、と暗闇が花の影のような模様をつくる天井をじっとみつめながらコスモスは思った。』
果たして治療とは歯科医院だったのか、それとも・・
時間の見当識が失われている様。
過去、現在、近未来の自己同一性が「黄色く」拡散してしまっている様子である。
この短編集をこういう読み方ばかりしていると健康に悪そうだ。
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戦争花嫁、治療家の名はコスモス、バナナフィッシュにうってつけだった日、いざ最低の方へ、星星峡、冬の扉、誰もがすべてを解決できると思っていた日、わたしの赤ちゃん、水瓶
2008年〜2012年までに発表された8編と題名にもなっている書き下ろし9つの作品
「蝉と鳩」が出てくる話と「すべての〇〇」で出てくるすべてのことばのチョイスに圧倒された。
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2012年刊。収録作は2008年から2012年。
1年前に購入していたハードカバーの散文詩集だが同著者の『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』(2008)と同様にこれも文庫化されてしまい、深い悲しみに包まれ月日が経った。
驚きと新しさに覚醒した言葉が次々と立ち現れ、文脈の意味ストリームに埋没せずに未見のイメージが生成されてゆく様は、まさに「現代詩」であり、その原理は現代音楽と同じである。
ご本人が喋るのを聴いたことはないが川上未映子さんはたぶんかなりの多弁で、言葉で溢れかえっている人なのではないか。しかもその言葉は鋭い感性に満ちていてそのきらめきは圧倒的な量となってなだれ込むのである。
『先端で・・・』の際よりも作品として成熟が見られ、作者特有の物語性・フィクション性への志向があって他の現代詩作者たちの作物との違いが窺われる。高見順賞を受賞したのだからたいしたものだ。
言葉たちの際立ちが楽しく、川上さんの小説作品よりも当然ながらそうした才気が走っている。最近は彼女は詩を書いていないのだろうか。
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「戦争花嫁」と読んでみたかった表題作の「水瓶」を読んだ。
水瓶がほかの人のように消えない、からの怒涛の「すべての〜」数ページがなかなか悍ましかった。難解だけどどこか引っかかりを覚える印象が残る。