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同名の、農業高校を舞台としたコミックとは違います。
明治初期、作者が、高等尋常小学校に通っていた頃の、遊びや、友達や、兄との関係、また淡い恋心などが、ほんわかとした筆致で描かれている。病弱だった筆者を誰よりも愛しんで育ててくれた叔母、その叔母との再会の場面は感動的だった。
読んでいて不思議だったのは、9歳から12歳頃までのことをなぜここまで如実に記すことができたのか、ということ。私は、終盤の、叔母さんとの再会のときの話に答えがあってと思うのだが、今は亡き中先生にこれを確かめることはできない。解説の橋本先生は気づいておられるのだろうか。もしお聞きできるならお聞きしたい。
さて、この本を読んで、何故か、実家に預けてある夏目漱石全集を読み返したくなった。そういえば、漱石が、この本をぜっさんした、という逸話があったような記憶がある(文体もなんとなく似ている)。
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・中勘助 「銀の匙」(小学館文庫)には「橋本武 案内」とある。普通ならば橋本武註とでもあるべきところであらうが、本書ではそれが案内である。なぜか。「今回この『銀の匙』に添えられた私の解説の進め方は、編集者のご意向によって、私の教室での授業の語り口を彷彿たるものがあって、読者の方々がまるで 『銀の匙』の子どもとなり、教室で授業を受けておられるような感じを味わっていただける」(「はじめに」6~7頁)といふ理由からであらう。
・その解説は脚注の位置にある。各章毎に付されてゐるが、その基本は語釈にあると言へよう。最初の「一」では「耳慣れない言葉が いくつかあります。」(11頁)として、子安貝、風鎮、印籠、根付の語釈を記す。特別なことは書いてない。基本的に辞書的意味である。現在の私たちにとつて、この小説世界がかなり古風で分かりにくいところがあるのは当然として、これを初めて授業で採りあげた終戦後の生徒にとつても既に古風な世界であつたに違ひない。解説で難解語ばかりが採り上げられてゐるわけではない。ごく基本的 と思はれる語も出てくる。生徒が中学生であるといふことによるのであらう。いかに超有名難関高校に直接続く中学校の生徒であらうとも、中学生は中学生なのである。基本的な語でもきちんと押さへて示してやることが必要なのであらう。ただし、さういふ語釈ばかりではなく、そこから発展的に出てくる内容も時には示される。「二」では漢方についての蘊蓄が語られ、最後は大阪の少彦名神社、 通称神農さんのおまつりについてまで触れてゐる。「四」では主人公につけられた章魚坊主といふあだ名をめぐつて、「見た目や性格からつく渾名には、ほかにどんなものがあるでしょうか。」と尋ねるところから、薩摩守や坂東太郎等にまで触れる。「五」ではアラ ビアンナイトからその物語案内をし、「六」では丑紅といふ語から、十干十二支の詳細から二十四節気にまで話は及ぶ。しかし、ここまで広がるのはむしろ例外、その大半は語釈、語注の範囲に収まる。従つて内容に関はる説明、つまり主人公の精神状態や置かれた状 況とかの解釈はほとんどない。本書に書かれてゐないからといつて授業で採りあげられなかつたとは言へないが、正直なところ、これ はいささか意外であつた。ゆつくり、じつくり小説を読むのならば解釈と鑑賞もあるに違ひない、それがいかなるものであつたか…… 私はこれを楽しみにしてゐたのである。かういふ作品をどう料理するのだらうと期待したのだが、それは裏切られた。解釈、鑑賞など といふ野暮なことはしないといふ考へもあらう。あくまで語釈、言葉をきちんと押さへ、そこから知識を発展させていく……この人は それを目指したのであらうか。だから、ごく稀に発展的な内容を示す。他は、生徒に与へた「銀の匙研究ノート」で生徒自らがそれを 行へといふことであらうか。そのために解釈鑑賞は無用であるといふのならば、これは潔い考へである。ところが最後に「前篇・五十 三でのお蕙ちゃんとの別れと描写を比べてみましょう。」(246頁)とある。ここは前篇の最後である。後篇の最後も友人の姉との 別れである。かうした作者の意を汲み取れといふことであらう。他は見逃しても良い。しかし���れだけは外せないといふは橋本先生の 強い思ひがあるのであらう。ただ、他の語釈ばかりの解説からすると違和感がある、いづれにせよこれは私の読んだ感想である。実際の授業がいかに行はれたかは知る由もない。あるいは「あとがき」で触れる「奇跡の教室」を読めといふことであらうか。それでもこ れだけ詳しい語釈はさうない。その意味では有り難い書であつた。
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平成25年、初めて読んだ小説です。始めは少しつらかったけど、文体がきれいなので、慣れたら、最後まて読めました。
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風景や物事の描写が精密できれいという印象をもちました。
この本を読んでいると、ゆったりと時が流れているような気になります。丁寧な描写だからか、読み終わるとぎゅうっと凝縮されたものを味わったような気分になりました。
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中勘助の自伝的小説。
自然豊かだった昔の描写。蝉の鳴く声から野草の描写まで事細かに、また多彩な言葉で書かれているこの作品。そこに橋本武の豊かな注釈がつく。
個人的に最近このように自然の描写のうまい現代の作家さんと出会っていない気がする。
天声人語の辰野和男然り、最近はこういう書き方をする作家が好きだ。
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灘中学の橋本武先生が、中学3年間の国語の授業の教材に使用した小説。
3年間かけて勉強する教材とはどういうものか、という興味で読むことにした。
前編を明治44年、後編が大正2年に発表されたということで、時代背景もあり、今では使えない言葉がたくさんでてくる。
それでも、時代を超えて、この子ども時代のなんともいえない、思い通りにならなくて、泣きたくなる気持ちや、なんでもない一言の挨拶も言い出せない勇気がでない、そんなことを思い出す。
主人公の少年は、前編では引っ込み思案で、学校もきらいで、勉強も苦手。困ったときは可愛がってくれている伯母さんになんでも助けてもらうという子どもだった。
後編になると、離れて暮す伯母さんとの久しぶりの再開の場面であらためて身体だけではない、成長を感じることができる。
伯母さんとの別れも淡々としていて、男の子の成長が少し寂しく、また喜ばしい。
いつもだと、わからない言葉があっても適当に解釈して、読み飛ばしていくのですが、橋本先生のご案内が丁寧にあったので、時間をかけてゆっくり読みました。
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前半と後半、圧倒的に前半がいい。子供の素直な感情と身の回りの小さな世界の美しい描写にため息が出ます。良くこれだけのことを覚えていられるものだと、そのことにも驚嘆です。
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作者が体験した子ども時代のことを書いた自伝的小説です。
昔ながらの日本の下町の様子が描かれます。
別にその時代を体験したわけでもないのに、
そういう情景を思い浮かべると、とても懐かしい気持ちになるのが不思議です。
淡い色合いの静かな情景。
主人公のことをかわいがってくれているおばさんがどうした、とか、隣に越してきた女の子とこういう遊びをした、とか、学校でこんなことをしでかした、とか、書かれている内容は、その時代の一般的な日常。
それが淡々と続き、やがて主人公は子どもから青年へと育っていきます。
この本の特徴は解説がしっかりついていること。
巻末に解説がまとめて収録されているのではなくて、本文の下に少しずつ書かれています。
しかも、文豪作品の解説として収められているような、専門的で文学論的な解説とはちょっと違います。
というのも、これは国語の先生が実際に行っていた授業を再現しよう、という意図で作られている本なので、言葉の意味だけでなく、読み進めるためのヒントになるようなことも書いているので、とてもわかりやすい解説です。
文豪作品とか古典とか読み進めるためには、こういう解説の方がうれしいと思います。
もっと分かりやすい解説が増えてくれるといいのに、と思いました。
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少年時代のお話。
主人公の感受性がとても繊細でうっとりとするような語り口。
幼少の頃に怖かったものや面白かったものの描写に惹き付けられた。私も対象は違くても、そんなふうに感じていたな、というところが多々あった。
美しい小説だった。
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石井桃子の著書で紹介されていたので読む。なんとも言えみずみずしく時に静謐。石井先生の「ノンちゃん雲に乗る」にも通じる空気感が懐かしい。石井先生が紹介したのもうなずける気がした。大人というより、まったくの子ども視点を持つスゴイ文章力に感動する。体が弱く乳母日傘(叔母さんだけど)で育った過保護なボン。日ごろ家族は主人公を褒めそやし、自分が劣等生だという事実を知るとショックで大泣きするのだが、そこからめきめき賢くなるという展開が面白すぎる。また後篇になると主人公のシニカルさ、痛いほど鋭い観察眼に唸る。
自然の匂い、人肌、懐かしい風景を思い起こさせる、昔の子どもは必読だ。
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岩波、角川と迷いこちらを図書館で。
ところが、解説が各ページの下に書かれていて、各行が通常の文庫の2/3の長さに。
学生だとわかりにくい描写もあるだろうから、親切だと思います。解説も現代に即している上、詳しく書かれていますし。
30代のわたしにとっては、読むのを中断される気がして、申し訳ないけれど、2頁でやめました。
岩波で読んでから、わからない言葉が出たら再読しようと思います。
もう少し時代が流れたら、一番読みやすい文庫版にはなるでしょう。
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夏目漱石が文体の美しさを絶賛し、灘の名物教師のエチ先生がずっと国語の題材に使っていた物語。古臭く、物語の起伏もないため、挫折。読み続ければ面白かった?
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中勘助(1885~1965年)は、東京・神田生まれ、第一高等学校、東京帝国大学国文科卒の小説家・詩人・随筆家。代表作は『銀の匙』。
『銀の匙』の前篇部分は、1910年に執筆されたが、学生時代の恩師であった夏目漱石の推薦もあって、1913年4~6月に東京朝日新聞に連載(全57回)され、後篇部分は、1913年に執筆、1915年4~6月に同じく東京朝日新聞に連載(全47回)された。また、前篇、後篇をまとめて、1921年に単行本、1935年に岩波文庫版が出版され、同文庫版は、発行部数110万部を超えるベスト&ロングセラーとなっている。
灘中学校の国語教師・橋本武(1912~2013年)氏が、戦後50年に亘り、教科書の代わりに本作品を使って授業を行ったことは有名で(そのことが有名になったのは、2000年代になってからである)、本・小学館文庫版は橋本氏が解説を付けている。
本作品の内容は、自らの幼年時代(前篇)、少年時代(後篇)を振り返った自伝的な色合いの強い小説で、生まれつき体が弱かった著者は、ほとんど家族以外と交わることがなく、病弱だった母の代わりに伯母によって育てられたが、それ故に人一倍内省的で繊細な感情が、優しく美しい日本語で綴られている。
私は、学生時代に男性合唱曲「中勘助の詩から」(作曲・多田武彦)を歌ったことがあり、また、上記の橋本氏の伝説の授業のことも記憶にあって、今般新古書店で偶々目にして読んでみた。
描かれている時代は、明治の中頃であるが、子どもの根本にある感情は時代によって大きく変わるものではない。そうした意味で、昭和30年代生まれの私は、正直、時代の違いを感じるところ半分、ノスタルジックなところ半分といった読後感であったが、今後も長く読み継がれていくだろうか。。。
(2024年1月了)
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「古い茶箪笥の抽匣から小さな銀の匙を見つけたことから、幼年期の叔母の愛情に包まれた日々を、透き通る無垢な視線で回想してく主人公。明治43年に前篇が執筆され、夏目漱石の絶賛、推挙により、大正2年から東京朝日新聞で連載された中勘助の自伝的作品。戦後の灘中学でこの作品1冊を3年間かけて読みこむ授業を実践、同校を名門校へ導いた、中本人とも深く交流した橋本武による当時の授業を再現する「解説」を全編に併載。理解を深め、横道にそれる橋本流知的ヒントをちりばめた平成版『銀の匙』誕生。」
「日本語の美しさをまっとうした作品。『銀の匙』は前編と後編からなる長編小説ですが、それぞれ53章と22章を収めて短編連作集の趣がなくもありません。どこから読んでも大丈夫。短篇小説といっしょに扱う事が許されてもよいでしょう。私は時折自分の書く文章がーどうもこのごろよくないなーと感じたときには本棚から『銀の匙』を取り出して何ページか精読します。その心は、すばらしいものに触れれば自分も少しはよくなる、でしょう。」
(『短篇小説を読もう』阿刀田高 岩波ジュニア新書の紹介より)