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リーダーの資格とは?
劇作家・平田オリザさんが、新書「わかりあえないことから」の中で、次のように書かれていました。
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東日本大震災以降、リーダーの資格ということが多く問われてきた。
大学でもリーダーシップ教育が、声高に叫ばれている。
通常、そういった場面で言われるリーダーシップとは、人を説得できる、人びとを力強く引っ張っていく能力を指す。
しかし、私は、これからの時代に必要なもう一つのリーダーシップは、弱者のコンテクストを理解する能力だろうと考えている。
社会的弱者は、何らかの理由で、理路整然と気持ちを伝えることができないケースが多い。
いや、理路整然を伝えられる立場にあるなら、その人は、たいていの場合、もはや社会的弱者ではない。社会的弱者と言語的弱者は、ほぼ等しい。
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リーダーとは、
社会的弱者の気持ちを理解できる人。
社会的弱者に寄り添える人。
国政のリーダーを誰にするか?
という大きな問題も控えていますが、
自分自身について考えてみるとき、
小さな物事でも、何かを行う場面で、こういう意識をもちたいな。
と思います。
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演劇に興味のある人や、演劇教育やワークショップに携わる人はもちろん、そういうのには全然縁がなくて・・という人でも充分楽しめる内容。
オリザさんの本を何冊も読んだことのある方にも、エッセンスが凝縮された一冊としておすすめできる。
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最近の若者にはコミュニケーション力がないと、会社勤めのおやじたちは言うが、歌や踊りが気持ちを伝える手段であるとする文化圏にいけば、
そのおやじ達が最低のコミュニケーション力の持ち主となる。
わかりあう、さっしあうことを好ましいこととして教育してきた文化、時代
自己主張をすることを好ましいこととして、教育する文化、時代
育てられた時代に求められたことと、
大人になって求められることが正反対
わかりあえなくて当然という前提に立ったほうが幸せになれるような気がする
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■コミュニケーション
A.いま、企業が求めるコミュニケーション能力は、完全にダブルバインドの状態にある。
B.現在、日本は先進国のの中で、ほとんど唯一、発音・発生を教えていない国となっている。
C.人間は何かの行為をする時に、必ず無駄な動きが入る。
すぐれた俳優は、このマイクロスリップを、演技の中に適切に入れている。
D.演劇に限らず、音楽、美術など、どのジャンルにおいても海外で成功している芸術家の共通点は、粘り強く相手に説明することをいとわないところにある。
E.いじめられた子どもの気持ちは、簡単にはわからない。
しかし、いじめっ子の側にも、他人から何かをされて嫌だった経験はあるだろう。
その2つの気持ちを、「それは似たものなんだよ」と結びつけてあげるのが、本来のロールプレイングの意味合いなのだ。
F.教師は教えすぎている、自分のために。
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教育の本質に触れた思いがする。
わかりあうことだけが全てではない。いろいろな考えがあり、いろいろな文化が世界にはある。
真の国際理解とは、日本の閉鎖的、排他的、同質的な習慣を乗り越えた先にある。
筆者の主張に感銘を受けた。
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24 表現とは、他者を必要とする。しかし、教室には他者はいない。
25 「伝えたい」という気持ちはどこから来るのだろう。私は、それは、「伝わらない」という経験からしか来ないのではないかと思う。
39 私たちは、これまでの社会では子どもたちが無意識に経験できた様々な社会教育の機能や慣習を、公教育のシステムの中に組み込んでいかざるをえない状況になっている。
95 「対話」=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその摺りあわせなど。
98 ある集団が、個々人ではどうしようもできない大きな運命に晒されたときに、その成員一人ひとりに、それまで自身も自覚していなかったような価値観、世界観が表出し、それがぶつかりあうことによってドラマは展開してく。これが近代劇を支える「対話」の原理である。
110 本当に必要な言語運用能力とは、冗長率を低くすることではなく、それを操作する力なのではないか。
127 言葉の観点から言えば、「対話」の言葉の欠除がファシズムを招いたのではないかと想像することはできないだろうか。
128 強い国家、強い軍隊はできたかもしれないが、その結果、異なる価値観や文化を摺りあわせる知的体力が国民の間に醸成されることはなく、やがてそれがファシズムの台頭を招いた。
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「コミュニケーションマニュアル」を否定した本。最近の「○○力」みたいな本にけっと思っている人にとにかくオススメ
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少しでもコミュニケーションが苦手、下手だと感じている人は読むべき。今までのコミュニケーションに対する考えを変えさせられる。
ありのままの自分を見せなくてもいい、演じていい。頭の中の殻を、カツンと割ってくれた一冊。
2012/12/22読了
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「同じ日本語を話していても、私たちは一人ひとり、違う言葉を話している。
こういった話し言葉の個性の総称を、「コンテクスト」と呼ぶ。」
とあり、このコンテクストの差異をコンテクストの「ずれ」と呼んでいる。
共有できる部分が多すぎることで、摩擦が顕在化せず、
「ずれ」が生じてることがわからない。
こういうケースはとても身近にあると思った。
なるべく言葉を尽くして伝えたつもりでも、
違う背景を持っているってことで摩擦が生じているかもしれない、
ということを気遣うことも必要ですね。
併せてオススメの映画
『演劇1』『演劇2』 http://engeki12.com/
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何か凄い本を読んだ感覚。久しぶりに読んで強烈なインパクトが残った本と出会った感覚。
世の中に対する深刻な問題意識と、コミュニケーションの考え方、演劇の教育としての有用さなど、本当色々実用的なことが色々書かれていると思った。
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タイトルに「コミュニケーション」とつけている本で、ここまで納得できた本はなかった。最高だ。★10個でもいい。
これ一冊で、ここ数年自分の中でくすぶっていた子育てだとかいじめだとか介護だとか政治だとか自殺だとか殺人だとか戦争だとか、そういったものにめどがついた感じ。
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目から鱗がぽろぽろ落ちた。おもしろい。このままじゃだめなのだけど、読んだあとなぜか希望が湧いてくる。新書は今までほとんど読んでこなかったけど、もっと読もー!
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コミュニケーションが「わかりあえないこと」から出発するという視点が平田さんらしい見方である。ダブルバインド、国民気質、社会環境の変化などとコミュニケーションの関係を鋭く捉えておられる。コミュニケーションの本質を考えさせられる名著と感じます。
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本書の「"バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力"が今後日本でもいよいよ重要になってくるだろう」という見通しに深く同意する。日本の教育は”正解”を教え込む教育になることが多いため、その教育を受けて育った大人が議論をしていても、どうも”正解”を求めて議論をしているような節があるが、重要なのは”正解”を言い当てることではなく(そんなものはない)、議論を経て関係者の合意を形成することである。このことを忘れてはいけないと思う。
著者の話に時折出てくるダブルバインドの話が非常に面白い。確かに日本の企業が学生に求める能力は、矛盾をしているというか、はっきりとしない側面がある。会社は表向き自分の意見をしっかり持っていることを学生に求める一方で、特に明言はしていないが、職場の調和を保つような協調性も学生に求めているのは間違いないだろう。学生からすれば「どちらが重要なの?」ということだろうが、会社の人間からすれば「どちらも重要である」としか答えようがない。全く平等に重要なのか、どちらがより重要なのかなどという議論はあまり有用であるようには思われない。これはささいな一例ではあるが、これに限らず、人間はあらゆる葛藤、ダブルバインドの状況を乗り越えながら、成熟していかなければならない。
本著を素晴らしいと感じるのは、そのダブルバインドの状況を単純に悪とせず正面から向き合おうとしていること、また教育の観点から、どうすれば子供がその状況を乗り越えられるのかを誠実に考えてきた著者の姿勢が伝わってくるからだろう。内容、文章ともに平易に書かれてはいるが、とても大切なことを言っていると思う。コミュニケーションは、まさに「わかりあえない」という認識から始まるのである。いや、始めなければならない。
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演劇のコンテキストからコミュニケーション能力、コミュニケーションデザインなど、コミュニケーションに必要な考え方についてアプローチしたとても新鮮な一冊、とても面白く読みつつ大変勉強になった。
冒頭に布部小学校に関する記述があり、全校生徒11名そのうち外国籍5名とあった、その名前に懐かしさを感じるとともにあまりの過疎化に驚き、外国籍が5名というのも気になる。今度北海道へ行く機会があれば訪ねてみたい。