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東映では助監督よりも制作進行が実は大変な仕事であること、プロデューサーとして数々の傑作をものにした裏では、実に人間臭いドラマがあったとだということが分かった。もっと深く掘り下げてほしいエピソードが多数。
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「五社監督のように、スケベなほど、いい映画が撮れるようである。~脚本家もスケベな方がいい。~プロデューサーもスケベがいい、とは先に書いた。何のことはない、映画はスケベが作るに限るのである。」
凄い理屈だ。暴論である。しかし以下理由も続く。
スケベは女で苦労している、女の悲しみ、痛み、虚栄心、強さ、弱さ、嫉妬、喜びがよくわかるから。
「仁義なき日本沈没:東宝VS東映の戦後サバイバル」と併せて読むと尚良し。
あちらは客観的目線、こちらは思いっきり主観的目線、しかしながら数々の名作を産んだプロデューサー、説得力はある。
強烈な自負が感じられる締めの文章がまたいい。
「ひとりでは何もできなかった。その感謝の念を持った上で言うが、ただ一点、プロデューサーをやらせれば、わたしの右に出るも者はいない。だから生まれ変わってもわたしは映画プロデューサーになる。」
読み応えあり!
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新文芸座の菅原文太特集の「仁義なき戦い 代理戦争」「仁義なき戦い 頂上作戦」から、即ゲット。こんな生々しい映画、関係業界とどう付き合いながら成立させたのか、ドキドキしながら読みましたが、思っていたよりは堅気の世界で作られていました。そうはいっても東映という男の世界のイケイケ感で突っ走っていて、よくヤバイ側に落ちなかったな、と思います。そう、まさにMEN'S MEN'S WORLD!その白眉が岡田茂社長と日下部プロデューサーのスケベ親父丸出しの企画プレゼン。爆笑です。本書ではスケベというキーワードが頻出しますが、東映が映画界の一等賞だった時代は、時代もスケベだったのかもしれません。映画が大衆の欲望の鏡であった時代に対するレクイエムにも思えました。
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久々の、映画好き、映画オタクのための、ふむふむ本です。
日本映画好きじゃないと、まあ、読んでも何も面白くないです…。
日下部五朗さんという、東映本線で長らく社員プロデューサーをされていた方の、まあ自叙伝です。
●千恵蔵、右太衛門の東映剣戟時代の末期に、入社。制作の下っ端働き。その逸話。京都東映、日本映画の黄金時代(の終り頃)
●剣戟映画の低迷、テレビの台頭。任侠映画への乗り換え。俊藤プロデューサーの辣腕(藤純子さんのお父上)。任侠映画=健さん映画、というのがゼロから作られる舞台裏。
●多くの人が、「疑問もあったし、嫌いだったかもだけど、当たったから任侠映画に走った」
●もって10年、任侠映画の衰退。実録路線。「仁義なき戦い」。
●実録路線もあっというまに尻すぼみ。大作時代劇、ちょいエロ文芸大作、極道の妻たち…
というような話が、実に赤裸々。自慢話も含めて、自虐話も含めて、なんともむき出しで面白い本でした。
ご本人がハッキリ言っていますが「けっこうインテリではあるけれど、通俗性、スケベ心が大事な映画興行。左翼も右翼も何でもアリ。共産党でも愛国党でも、大日本映画党だ」という、肝の据わった完全成果主義(笑)。当たれば何でも良いんです。
当たれば何でも良い、というギトギトしたパワーが、そのまま長期低迷時代の日本映画の激動史と重なるんですね。
そこンところの身もふたもなさが、素敵な本でした。
改めて、「仁義なき戦い」シリーズを観たくなってきました(笑)。単純なので(笑)。