紙の本
わかりやすかったです。
2015/08/23 18:18
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投稿者:eri - この投稿者のレビュー一覧を見る
入門シリーズも、練習シリーズもよく読んでいます。著者の本は、深く納得したつもりでも、しばらくして読み直すとまた反省・発見があるように思います。
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「考えない練習」に引き続きこちらも読了しました。
私にも世の中みんな偽善だ!嘘つきばかりだ!!と斜に構えていた時期があったので、とても腑に落ちることばかりでした。
今もその傾向が少しあることも、読み進めるうちに実感。
でも偽善というものが、どういうものなのか分かったのでこれからまた自分を見つめ直したいと思いました。
今もう既に読み直したい!って思ってます(笑)
解説にも書いてありましたが、それ程に目からウロコなお言葉だからけで、びっくりすると同時に、読むととてもホッとできるのでふとした時に読み返したくなります。
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素直に面白かった。「偽善」を実践してみようか、と思える本。
わかりやすいし、日頃の自分に当てはまる部分もあって反省しつつ読了……。自戒の念を忘れないよう、ちょくちょく読み返そうと思う。
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備忘録的に...
・道徳とは一般に「自分が得をするために、他人に守らせたい」という利己的な特徴を帯びるのではないかと推測されます。自分が労力を払うことなく周りの人間に労力を払わせるために道徳に「タダ乗り」しようとしているのです。結果として、世の中の道徳は「他人に押し付けるもの」「命令的なもの」という特徴を帯びて参ります。
・たとえば「そんなの常識でしょ」「それは社会性に欠けているよ」という台詞があります。このような「誰もが皆こう振舞ったり考えたりするのが当然である」という言い方をするとき、「それを言っている本人の意見が社会全体のルールや社会全体の常識に一致していて、それを言われている相手は、その素晴らしい意見を理解できない非常識な人間である」という印象を作り出すことができるのです。しかしながら、たかだか一個人の意見が社会全体の常識や意見に一致する、ということはありません。
・私達の心の中身がとっ散らかった不全な状態へと導く下手なエネルギーには、たった三種類しかありません。「欲望」「怒り」「迷い」
・自業自得という言葉は、自分自身を理解するときにのみ有効な言葉であって、他人に投げかけますときは、ほぼ必ず欲望や怒りになって、相手を蔑ろにしようとしているものであるということが、気づかれるでしょう。
・100%の悪、100%の善というものはない。偽善のグラデーションを少しでも、偽「善」とぜんを増やす努力が必要。
・「欲望=やる気」ではない。
・やる気のエネルギーと申しますのは、欲や怒りなしに、集中して何かに取り組んだときに得られた、過去に積んだ善いカルマのエネルギーを原材料として作られます。
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あまり期待せずに読み始めたが、期待以上に示唆に富んだ本だった。
道徳というものについて、自分が労力を払うことなく周りの人間に労力を払わせるために道徳に「タダ乗り」しようとしている、利己的な特徴があるという下りは、なるほどと思った。確かに純粋な善というものは稀有かもしれない。
カルマのエネルギーに関しては、少し抵抗感があるが、まあ著者は僧侶なのだから、当然ああいう表現になるのだろうと思う。
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【経緯】
小池さん気分。タイトル買い!
【書き出し】
善、偽善、悪、偽悪。
これらが本当はどんなものなのか、ほとんど誰も知りません。
知らないのに無意識に、誰もが毎日、善や悪を使っています。
しかし、知らなければ、うまく使いこなすこともできません。
【感想】
【共感】
【引用】
【不可解】
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筆者は人が他人に為すことのほとんどが「偽善」であり、それを受け入れる生き方を提案している。筆者の暴力や依存の経験に基づき仏教という知恵を通じて語っているので、実践的であり参考になる。三毒に現れる恐れの話、瞑想の有用性などである。
他者に対して「道徳」という大義名分を振りかざす人は、自分の私欲に突き動かされているに過ぎない。またあからさまで無い、多少なりとも他人の力を借りようとする行為も全て悪であると言う。人が何かを為すことに「善」はほとんど無いとする。
筆者の意図を極端にすれば、自分の悪の部分を否認すると、より悪を為してしまう、ということだ。逆を言えば、全てを偽善だと認識した上で、その善性を増やす方がその人のためになる、ということだ。
そういう意味で、自分を客観的に見るための手段としての「瞑想」がある。怠りがちであり反省するが、やはり効果が有るのだと改めて気付く。
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いろんなことが
合点いった
僕にとっては
価値ある内容でした
「諸法無我」とか
「欲望はやる気とは違う」とか
「時間差カルマ」とか
「カルマの流れを乗りこなす」とか
いままで不確かだったことが
すっきり(頭では)理解できた気がします
後は体得するだけ
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p66 その怒りの感情により心身は損なわれ、惨めな気分になり、相手をも不快な気分にさせる。"偽"善ではなく、偽"善"とクローズアップするせい
p71 過去に作った何かに対する、嫌だなあ、というガソリンが心の中に蓄積し、それが原因でたかが雨や風のことにすら心がネガティヴに波打つ。これがカルマの報い
p87 勝者への恨みを抱く、それに我慢ならず、勝ち負けを逆転させるへりくつとして道徳を発明。勝者は卑怯で強欲、自分は心優しいから競争に関わらない、道徳的にまさっている
という道徳ゲーム、ニーチェのいう奴隷道徳
p91 自分は愛されてる特別な存在と錯覚したいほど、できるだけ自分は優しくせず相手から一方的な愛情を、もとめる、という呪わしい態度
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普段行っている「悪」がどれだけ多いか、
「偽善」の「偽」の部分に躊躇して行動そのものを起こしていなかったかを思い、衝撃を受けた。
この衝撃を受けたことも、本書の内容からすれば悪になるのだろうか?
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江戸しぐさのように、人とすれ違う時に肩を引く「肩引き」、傘を傾けてすれ違う「傘かしげ」など、相手を思いやるちょっとした心遣いも、世の中を平和に繋がるような気がします。
偽善の中に必ず数パーセント含まれる純粋な善が、自らの心に染み付き作用することによりまして、自らの心が善い方向へと組み変わっていく効果があるのです……。
私たちは、ついつい、慈善を装ったように見える行為を非難してしまいがちですが、小池龍之介さんは、このように偽善の効能・効果を期待することで、いきなり到達することが難しい真の善を目指すことを奨めています。
ですから偽善者のように見えないかな?なんて恐れずに、良いと思ったことは躊躇せず行いましょう。座禅のように先ず姿勢を正すことで、心が整ってくるのだと思います。
仏教の本、特に、アルボムッレ・スマナサーラ長老や、小池龍之介さんの著書を読むようになって、怒ることが相手はもちろん、自分の心身を蝕むということを知り、他の解決策(暗いと不平を言う前に、進んで灯を点けましょう的な)を模索するようにしていますが、予想以上にうまくいくので驚いています。
小池龍之介さんの本は『しない生活』から始まって『考えない練習』『苦しまない練習』『もう怒らない』『坊主失格』『煩悩フリーの働き方』『沈黙入門』そして、この『偽善入門』と8冊を読んできました。
お釈迦さまから禅の教えまでを、ご自身の失敗談や私たちにとって身近な出来事を絡めながら分かりやすく解説してくれています。いきなり仏教の本を読むよりも、よっぽど仏教の思想が理解できますよ!ブックオフでは、108円になっている本も多いので、オススメです!