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筑波大創設時の国家的お家騒動の顛末が詳らかにされる(此の内容が世に出たこと自体驚愕すべき事だろう).色々と僕の現状が重なる為,苦虫を噛み潰した様な気分になると同時に,ヒラノ助教授の自らの律し方と客観的且つ冷徹な観察眼に舌を巻く.過去・現在を通し,ポジティブな未来を見つめる視線が心地好い.
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おかしな奴が連れてくるのが、おかしな奴とは限らない
筑波大学情報学類第3学類の歴史
社会工学グループと基礎工学グループはリーダーたちが結束していて問題はおこらず。情報学類は多くの混乱要因が重なった
新しく作られた医学部は心臓血管外科の榊原仟という指導力がある大物をトッブに招き、東大と医科歯科大を中心にスタッフを集めた。強力な指導者にとって2つのカルチャーをまてめるくらい、どういうことはなかった。
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確かに以前はハードウェアを重視し、ソフトウェアは重きを置かれなかったが、今では逆転している.情報部門でアメリカのようなソフト部門を主にする組織を模索したが、最終的にはうまくいかなかった.これはヒラノ助教授のせいではない.教授たちの政治的駆け引きを面白くまとめている.
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「工学部ヒラノ助教授の敗戦」http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791766888 … 読んだ。ゴシップ誌やワイドショーの可笑しさ。ハードvsソフト、基礎研究vs実用化、お互いに目指すところは日本の将来に資することなのに敵対し出し抜き合って疲弊してリソースを消耗するなんて勿体ない(つづく
国立大学の内部事情を読んでいるつもりだったけど、組織割りや人事やリソース配分に関する役員間の欲望と闘いに置き換えれば企業内で起きていることも大差ないなあ。地道に自分の本分に邁進している人が割と不遇で、社内外に人脈と情報を持ち清濁飲める人が重宝されるとかも(おわり
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「日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか」という副題になっており、また書き出しには、「日本のITは1960年代はハードウェアに偏重しすぎて、ソフトウェアやアプリケーションは2流、3流と見なされていた」という文章からソフトウェアとハードウェアの攻防という展開になるのか? あるいは和製OSのTRON(トロン)がアメリカの圧力で封じ込められた裏面史でも・・・と思いつつ読んでみましたが、そんな事は全然出て来ませんでした。
1977年に筑波大に情報学類(計算機科学科)が出来た時、スタンフォードのようなソフト・アプリ中心の国際A級大学を志向したが、早々に挫折した。何故か? それはポストを帝国主義者のように略奪する物理屋であったり、内部の内輪もめであった。全編このような人事抗争や文科省との駆け引き、または「文化果つる筑波」への不満ばかりの怨念等々で、かなりゲンナリします。
この著者の「スプートニクの落とし子たち」では、その時代の大きな潮流や、人生設計が狂った同僚へのアイロニーを感じたのですが、この本にはそのカケラもありません。竜頭蛇尾とはこういう事を言うのでしょう。
折しも、理化学研究所の井上氏がインタビューで、「京」の後継機の夢を語り、「CPU、OS、ミドルウェア、アプリまで含めて国産で対応出来るのは、アメリカと日本だけだ」とか「(スパコンの)世界トップクラスを目指さないと、最先端のアプリケーションの成果が期待できない」と意気軒昂に喋っているのを読み、本当にアプリは大丈夫なのか心配になった次第です。
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ハードウェア偏重の日本の大学で、ソフトウェア中心の計算機科学科構想を目指したが、いろいろな人の思惑で、うまくいきませんでした、というお話。人事的な話が好きな人は面白いのかもしれないが、自分にはつまらなかった。
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地元の図書館で読む。生々しいです。それを面白いと思うのか思わないのかは個人次第です。僕は、勘弁です。筑波は大変だ。
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筑波大学で起こった人事の争いの話が中心。ORや計算機学や留学の話題がもっと知りたかったのでがっかりした。
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日本のソフトウェア研究と産業が、大学の学内政治と連携したリアル政治、覇権争いのくだらなさによっていかに足踏みをし、たくさんの人間が振り回され、GoogleやAppleやMicrosoftに出し抜かれた歴史がよくわかった。
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140215 中央図書館
筑波大学発足のときに居合わせたヒラノ教授に絡みついた人事権力策謀の証言。新しい組織が既存体制からスピンアウトして生まれるとき、分捕り合戦が生まれ、ボスは手下を作り派閥を大きくすることを狙う。
今野先生は、佐々淳行の本をよく読むのだろうか。筆致が似ているような気がする。