不十分だけれど示唆に富んでいる
2015/12/30 00:13
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投稿者:TW6429 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いじめと関連にとらわれない考えは興味深かった。
レビューの中には現役の教師からの批判も見られたが、クラス運営をするに当たって、スクールカーストを利用しているのは確かなのではないかと本書を読んで思いました。
分析が不十分だと思うけれど、教育に携わる者にとって示唆的ではないかと思います。
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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題に惹かれ、衝動買いしました。
本書によると、今、主に中学・高校では、「スクールカースト」と言う疑似身分制が自然発生し、上位に位置づけられるグループがクラスを支配。そして教師は、スクールカーストに気が付いているが、何とそれを肯定的に捉えた上で、学級経営に利用している。とのことです。
内容は、十分衝撃的で、興味深いものでした。しかし、集めたデータは、たった10人の大学1年生とたった4人の教員からのインタビュー、そして神奈川県下の公立中学23校の中学2年生のアンケート調査。これだけで、書かれています。特に、インタビューした教員のレベルの低さ(言葉づかいも酷い)は恣意性を感じます。
また、極めてつっこみは弱く、例えば、進学校と非進学校ではどうなのか、都会と田舎ではどうなのか、いつから何故このような状況となったのか(少なくとも30年前にはありませんでした)、いじめとの関連はどうなのかといったことには、全く触れられていません。
そして、あとがきを読んでびっくりしたのが、本書は大学の修士論文をベースに本にしたとのこと。浅い内容のはずです。こういうのを竜頭蛇尾というのでしょうか。早く「スクールカースト」のことを世の中に知ってもらいたいということだったのでしょうが、いかがなものかという印象を持ちました。
結局、結論は何なのという終わりでした。『「スクールカースト」は緒に就いたばかりで、本書の知見もパイロットスタディの域を出ません。今後、より精緻な検証が必要であることには間違いないでしょう(285ページ)。』という言い訳が象徴しています。
「これからの研究では、この仕組みの更なる解明を目指し、もっと洗練された解決策を提示する(293ページ)」ということですので、今後の研究に期待するということでしょうか。「2」評価です。
意気込みは買いますが・・・
2013/06/22 09:28
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投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
学校の問題を新しい切り口から分析しようとした意気込みや、着眼点はすばらしいと思います。が、データ調査のサンプル数が少なすぎて、自分の主張にあうようなデータを取り出したのでは?と勘ぐられてしまうかもしれません。
自分は公立中学校で教員をしています。確かに「スクールカースト」という意識は子供たちの中にあると思います。が、少なくとも自分や、いままで一緒に仕事をしてきた人たちは、逆にそれをいかに壊すかということに心を砕いてきました。
本書に出てくる先生たちの「スクールカーストを利用する」という発言を支持する教員が、世の中にどのくらいいるのでしょうか。また、世間の人たちに、これが一般的な教員の意見だと誤解されないことを祈りたいと思います。
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精神的な、ヒトから見えづらいいじめをそれ単体でとらえるのは困難という現状がある中で、いじめを生む構造からアプローチするというのは、興味深かった。これからどんどん検証が進んでいき理論として精緻化されていくことを期待している。
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「平等」なはずの教室の中に、「多様性」をうたう社会であるはずの教育の現場に厳然たる序列、スクールカーストは存在する。スクールカーストの実態とはどのようなものなのか。また、生徒から見たスクールカーストと教師から見たスクールカーストはそれぞれの目にどのように映っているのかをまとめる一冊。現状把握に適か。
問題の画期的な解決策などあるわけがないので、最後に書かれたそれぞれの立場に向けた呼びかけはこれが限界、と思いながらもぱらぱら本論をめくってみるとえぐられるものがある――のは、おそらくカースト上位の人間にはあまり考えられないことなのであるように思う。わっかるかなあ、わっかんねーんだろうなあ。そんな事を思いながら読んでいた。現状把握には適。
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学校内での生徒間序列(スクールカースト)意識について、アンケートとインタビューによる量的、質的調査を行い、分析を加えてまとめているのだが、主には調査結果が羅列されているだけで、その個々のつながりが見えてこない。あと、新書向けに直しを加えたためか(?)文章が冗長で(面接調査での会話を、一度読めば分かるのに、会話の引用の後いちいち著者が、会話と同じ言葉を使ってまとめていて、同じ内容を繰り返し読むことになるので読んでいていらいらした)、さらに段落分けがおかしいので(一文ずつで段落分けって…)、読みにくいことこの上なかった。章末のまとめもまとまってないw
あと気になった点は、生徒対象の調査は充実しているのに、先生が著者の知り合い4人で全員20代男性ということで教師経験が浅く、生徒側がグループ間のダイナミクスを中心にカーストをとらえているのに対し、先生は生徒個々人を切り離して考えているために、前半と後半で議論がずれているように思ったのですが(これは教師側がカーストを「生きる力」と個人の能力に還元して考えてしまっているからかもしれない)。先生に対しても同じように量的な調査アンケートも行い、さらにもっと経験のある先生にも複数、面接ができればよかったのになと思った(生徒の面接を大学1回生に限定するのであれば、先生も同じ程度の数の中学高校教師にすれば、比較対照できると思うのだが…)。
ただ、最後の解説にもあるように、日本での研究がまだまだ始まったばかりのようなので、続編に期待したいし、著者も足りないところを充分認識されている。「人間のあいだにある地位の序列」が、当然視され固定化されてしまうことが、他者の人権軽視などに繋がっているのだと思うと、スクールカーストを生む原因と形成過程をぼんやりではあるが明らかにしたことは大きな意味を持っているのではないでしょうか。
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前掲の『桐島、部活やめるってよ』が面白く感じていたところに書店で発見し購入。タイトルのスクールカーストを現状把握した本を今まで読んだことがなく、自分の中高時代と現在も大きな変化はないものであると感じた。
第五章の教師側からのところで、一部教師が「スクールカーストの上位層=能力がある。下位層=能力がない」と言っているが、あまりにも短絡的ではないだろうか。
確かにそういう面があるのは分かる。とするのであれば、解説で本田由紀氏が述べているように、同じメンバーで同じ授業を受けるという息苦しい満員電車的な学校の制度を変え、大学のように授業選択性によりクラス以外との生徒の接触機会を増やすとともに、学校以外での居場所感を得られるような制度が必要だ。能力がないのではなく自己肯定感が得られないから下位層になってしまうのではないだろうか?他者に包摂されているからこそ新しいことにも挑戦できると思うのであるが・・・。現在社会は他者への承認提供ができないほどの余裕がなく、同調圧力に晒されているということなのだろうか・・・
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生々しい内容だった。
我々が思っている以上に教室の権力関係は敏感でかつ深刻である。
近年ネット上ではよく使われる「スクールカースト」について社会学的手法から分析を試みた本である。
いじめは「暴力系いじめ」と「コミュニケーション操作系いじめ」の2つに分類され、前者は警察を持ち込めばどうにかなるが、後者はそうはいかない。それはスクールカーストと「コミュニケーション操作系のいじめ」は密接に結びついているからである。
権力関係でなりたつスクールカーストに生徒は抗することはできない。なぜなら、それに抗した生徒は、より下位のスクールカーストに落とされてしまう可能性があるからである。そのため、粛々とスクールカーストを認めるしかないのだ。生徒側から見たコメントで面白かったのが、「教室内の上位カーストの仲が良ければ良いほど」、もしくは、「クラスの結束が強ければ強いほど」よりカーストのヒエラルヒーが強まってしまうことだ。
この研究で目を引いたのは、スクールカーストを教師側がどう思っているか、である。教師側はスクールカーストを権力関係として捉えているのではなく、いわば「生きる力」の能力ヒエラルヒーとして捉えているのだ。だから、積極的にスクールカーストを肯定してしまう。
この生徒側の消極的なスクールカーストへの従属と、教師の積極的な肯定によって、スクールカーストは維持される。
これは、クラス替えだとか、同一学区内の進学ではなかなか変えられない。
学校制度自体をどうにか変えないとならないのだ。
スクールカーストの研究はまだ始まったばかり。
いじめ問題を一掃するには、より一層の研究が待たれる。
これ以降の研究にも期待したい。
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最近メディアでもよく取り上げられてる感じする「スクールカースト」。日常の空気として当たり前に存在してた実感とともに、私にとって、とても重大な関心事のひとつ。この研究、この先も気になる!
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一九八四年生まれの、めちゃくちゃ若い著者の本。
けっこう厚い本で研究っぽい小難しい本なのかなあと思いきや、とても読みやすい。
基本的に、インタビューのあとに著者がそのまとめをしてくれているので、さらに読みやすくまとまっている。
スクールカースト、確かにあるよなあ。
読んでる途中、ほんまに「そうそう!」とひざを打つような話題が多く、同世代の友達とこのテーマについて話しているような、そんな感覚に襲われた。
しかし、最後に著者から今のところの対策を提示されているのだが、それが「学校という場所を絶対だと思わなくていい」「学校に行かなくてもいい」というものに留まっていたのが残念。
なにかほかに、学校にいくひとたちがしあわせになれるような、そんな学校のあり方ってないもんやろうか、と思う。
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内容は、基本的にインタビュー・アンケートの内容を要約して次へ、要約して次へ、の繰り返しに過ぎず、問題への踏み込みがあまりにも浅い(著者も認めていますが)。
一番問題だと思うのは、インタビューのスクリプトの使用を承諾した教師が、著者の知人の20代男性教師4人しかいないこと。さらに言えば、下位スクールに居た私の嗅覚が「こいつら全員、学生時代は上位カーストに居た」って言っている(多分あっている)。こんなインタビューじゃ正しい現状把握は不可能。
しかしスクールカースト、リア充/非リア(こういう言い方は本の中では一回もしていませんが)の構造に焦点を当てた研究っていうのは今までなかったわけで、パイロットスタディとしてかなりの意義があるんじゃないかとは思う。この分野の研究をひたすら進めていただきたい。
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教室のなかで自然発生的につくられる序列、スクールカーストにいかに対応していけるか。
ある程度序列ができてしまうのは仕方ないことなのかもしれない。それでも、お互いがお互いの良さをちゃんと認識して、尊重し合える、そんなクラスをつくりたいと思う。
そんな決意で、読みました。
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中学生の男の子から
スクールカーストって知ってる?
と聞かれたことがきっかけで購入した本。
上層部はDQN、下層部はオタク。
であると彼は話していましたが。
いまいち実感がわかなかったです。
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アメリカの学校ドラマにはよく学校社会内のヒエラルキー(「ジョック」「クイーンビー」)がモチーフとして登場する。当然日本の学校にも(形は違えど)そういうヒエラルキーはあるだろうし、なぜそれが研究調査の対象となることがほとんどないのだろう、と常々思っていた。本書はそのような意味で、出てくるべくして出てきた研究であり、その成果であろうと思う。日本社会においても学校内のヒエラルキーはあり、それが「スクール・カースト」という名前で呼ばれている、ということだ。
そのような意味で、ヒエラルキーやカーストが存在していた、という知見はそれほど新鮮味があるわけではない。それよりも、本書においてもっとも興味深いのは、生徒たち自身によるスクール・カーストへの意味づけと、教員によるスクール・カーストの意味づけがまったく異なっているにも関わらずそれらがズレを持ちつつも相乗的に機能した結果、スクール・カーストの構造がより強固に存在し続けてしまうという、そのメカニズムを明らかにしたことにあると思う。
生徒たちにとっては、変えることのできない確固とした「権力構造」にしか見えないスクール・カーストが、教員にとっては、「(コミュニケーション能力などの)生徒自身の能力やそれを身に付けけようとした努力の結果」として見えているというのは、非常に残酷な話だ。
このような構造的メカニズムを踏まえたうえで、著者と解説者の間でそれに対する対策に関する見解がずれている点もまた興味深い。より当事者に近い著者は、最終的には、逃げることも大切だと述べる。それに対して解説者は社会が構造的に孕む問題を解決することの重要性を指摘している。
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私はこの本に関しては真面目にレビューを書くことができない。
なぜなら、自分は教室内カーストに自覚的だったことが殆どなく、この文章をよんでも"そうそう"と相槌をうつことができないのだ。
自分の小中学校を振り返ってみるとこんな感じだろうか。
・圧倒的に勉強ができる子
・ときどきいじられキャラ
・本質的には他人に興味がない
・寡黙ではあるが話を聞いて臨機応変に話を広げることができる
・グループは優等生兼スポーツ系グループ
おそらく、自分のいたクラスカーストがあったとしたら、スクールカーストの埒外に自分はいたのではないかと思う。今もそうだが、自分はグループで上・下とか思うことが少ないことも、その要因かもしれない。