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難しい本かと思ったですが、初めのほうは石器時代のことなどが書かれており、読みやすい導入だと思いました。(P34)
以下ライブ感想文。何書いてるか分からん(笑)
第2章までを読み終えました。旧石器時代から。ローマ帝国の時代の経済発展が書かれています。奴隷についての記述があり彼らが、どのように縛られ、経済に及ぼした影響についての記述が参考になりました。・・・しかし世界史の知識がベースにないと深読みできないと改めて感じています。ここに詳しい内容を書けないのがその証拠かと・・・orz
第三章 中世における経済発展 マナという領主制度があり、直営地制度を取っていた。中世農業におけるもっとも重要な革新は三輪作制の導入だった、馬・鉄の利用も革新に貢献した。また家畜もより生産性の高い物に品種改良された。
中世における人口増加は発達した技術の伝搬、工作地域の大幅な拡大、経済活動の増大をもたらした。それは航海設計と航海技術の発展をもたらした。交易のこのころに活発になった。長距離によるゆそうになるほど海上輸送に頼るようになり、その費用も掛かった。この点については一つ例外があった。ヨーロッパの南北取引をのぞいては。水車・時計に関する関心は労働を節約し生産を増加させた。中世経済の危機として黒死病(ペスト)が挙げられるイングランドとフランスの100年戦争(1338-1453)も関係し、この間は人口減少となった。
第4章 西洋の拡張前における非西洋世界の経済
イスラム世界:イスラム教の教義の一つはジハードであり、改宗か死かを選択させるものだった。例がとしてキリスト教・ユダヤ教は寛容な態度を取った。特にユダヤ教はイスラム教徒もとで大いに自由を享受した。
オスマン帝国:アナトリアへ領土を広げ16世紀まで続いた。宗教に関してはキリスト教・ユダヤ教ともに寛容であった。
東アジア:儒教が中国文明が哲学的基礎となっていた。一般に中国人は科学や技術の発達においてははるかに高い水準に達していた。
南アジア:インドの人口は民族言語においてヨーロッパより多彩であった。カースト制は社会的流動性と資源の効率的分配において障害となった。
アフリカ:考古学的な証拠や伝承を用いてひも解かれている。
第5章 ヨーロッパにおける第二の成長曲線
人口については17世紀には停滞もしくは減少し、その後増大した。船は帆を使った船から風を利用しすすむ船に変わり、アステカの発見に大きく手伝った。
もうだめ、一応全章よみますた。
第6章 経済的なナショナリズムと帝国主義
フランスの産業技術や商業経営について君主以上に知っていたものはなく、君主の価値観や態度をそのまま反映していた。
オランダ共和国は富裕な商人が主要な都市を牛耳っており、オランダ商人の独占は絶対的なものであった。
イングランドでは上記二国間の中間的な政策を取った。土地所有貴族は富裕な商人一族や商業につながりをもつ法律家・役人と婚姻関係を結び経済に関する権益のバランスを反映する法律や規制を制定し国内の製造業を奨励し自国の地主と農業に利益をもたらした。
これらの国を含めてほとんど国民国家で共通した認識として、金銀の蓄えが潤沢にあるということが「軍資金金庫」にとって重要だという考え方があった。
金銀はスペイン植民地から産出されたが、フランス・イングランド・オランダでは植民地を含めて産出せず貿易を介して確保するしかなかった。
どの国の国家も富の勢力をもたらすものとして植民地保有が重要だった。これら価値感政策からは、意図せざる有害な結果を生むことがしばしばあった。スぺインとスペイン領アメリカでは、巨大な政治帝国となっており堅固な経済的基板上に立っているように見えた。
16世紀半ばから経済あ後退し始め支配者の法外な野心やその経済政策の視野の狭さ、頑迷さにも原因があった。ポルトガルではアジア・アフリカ・アメリカにまたがった巨大な海洋帝国の支配を築いた。きっかけは1570年代のサトウキビやアフリカ人奴隷労働力を用いた栽培方法が移植されたことだった。これによりブラジルが帝国経済にとって不可欠になった。
他、オランダの驚異的な成長を支えるものに国際商業に依存する度合いが多く他国と違う統治構造があったためだった。又、17世紀初めには商業的優位を確立していた。移民の受け入れはオランダの寛容な宗教政策を象徴し、成長に貢献するものだった。
第七章 近代工業の夜明け
前工業化社会と近代工業社会の間のもっと顕著な違いの一つは後者では農業的役割が著しく減少していることである。
イングランド銀行は1694年に創設され地方では貨幣流通の実用にこたえる代用貨幣が発行された。これらさまざまな起源から。「カントリーバンク」制度が出来上がった。その成長は18世紀には約800あった。1660~1689年、1720~1749に河川と港の改善が行われ移動可能の中で、水路―主に運河―が広がった。
工業の技術と革新 コークスを用いて鉄鉱石を溶融する工程の開発、気圧蒸気機関の発明、この二つは18世紀の最後の20年間に行ったことであり、メン協業の急速な機械化を促した。
化学工業では製造業者が原料部祖奥に対処しようとして試みた経験的実験から生まれた。