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いい言葉はたくさんあったけど、今回は為末さんのこれを。(p.266)
「日々練習を重ね、せいいっぱいの努力をしてきた時間が、それによって報われると思っていた。だが、実際には、走っても走っても自分は自分でしかなく、メダルを獲ったあとも、何も変わらない日常が続くだけだった」
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アスリートの為末大さんと、禅僧の南直哉さんとの対談本。為末さんは走る哲学者ともいわれているが、その理由がこの本を読んでわかった。なるほど、普通の人は疑問に思わないようなことも考えているひとだ。それは目次を見てもわかる。
・心と体は一致するものなのか
・はぜ人は走るのか
・生きる意味、走る意味
・フェアとは何か
・善悪を超える自己は肯定されるか
・「信じる」とはなにか
すべて、「問い」になっている。為末さんは小さいころから「問い」続けていた。その「問い」に対する答えを考え続けていた。生真面目なのだろうか。本書の中でも、対談相手の南さんからこんなことを言われている。
「これはもう体質みたいなものだから、自分はあれこれ考え込んでしまう人間なんだってことを引き受けて生きていくしかないですよね。吉と出るか凶と出るかは、もうバクチみたいなものだから」。
南さんも言うねぇ、と笑ってしまった。
南直哉さんは、現在は恐山菩提寺院代を務めている禅僧で、他にも著作がある方だ。先日、この方の『老子と少年』を読んだけど、この方自身が悩んできているのだろう。言葉にも悩んできた人だから語ることができる重みがあるように感じる。
人は意味の病みたいなものを持っている。理解するということは「誤解する」ことにすぎない。誤解すること以外に理解はできない。何度も何度も言葉にしようとすることで、何度も何度も誤解を繰り返し、語り損ね続けることによって意味が生まれる。それでも、言葉にして考え続けていく作業が必要だろう。だから、「意味」は「ある」のではなく「設定するもの」なのだ。
南さんは、仏教の根源的な「問い」というのは言語論だと思っている。言語に対して、どういうアプローチをかけていくかということが重要だという。だから、何度も何度も誤解を繰り返し、言葉にし続けて考え続けることが大切になる。
また、こんなことも言っている。
「今の自分を肯定するために物語は必要だけど、その物語を信じることができないから苦しい。でも、その物語がないと人間は実存できない。それを使わないと拒否した人間は社会にはいられない。その苦しさにどこまで耐えるのかという問題は、物語と自覚してやっていくのか、リアルなものとして飲み込んでしまうのか、あるいは飲み込むことすら自覚しないのか」。
「矛盾があるから解決しましょう、っていう発想と、矛盾があってもやっていきましょう、という発想と2つある。ボクはね、後者で行きたいんですよね」。
南さんの指摘は編集工学とも通じる部分があると思う。恐山に行ったら会えるだろうか。しばらくは、南さんのほかの本を読んだりしてみたい。
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元プロ陸上選手の為末大氏と恐山の院代、南直哉師による対談集。
異質の取り合わせのように思いましたが、実際に読んでみると、かなり二人の考えがシンクロしていることに気付きました。
サラリーマン経験を経て、永平寺に入山した南師と、オリンピックで記録を出したのちに引退した為末氏。
立ち位置は全く違いますが、お互いに絶えず自問自答しながらもがくように生きてきたことが、語りの中から見えてきます。
記録至上主義の中、ひたすらアスリートとしての自分を磨くことに専念した現役時代の為末氏。
ストイックな特訓は、傍から見ると修行僧のそれと共通するものを感じます。
限界まで身体を追い込み続けることで、一般の人とは違う考えを抱くようにもなるのではないでしょうか。
そんなハードな現役生活にピリオドを打ち、の著作を読んで、為末氏は恐山を尋ねます。
「走る哲学者」と言われる彼でも「語る禅僧」と呼ばれる師の考えに圧倒されるかと思いきや、彼は彼なりに長年思い悩んできたことを、一つ一つゆっくりと言葉にしていきます。
その悩みは、広く人間全体に共通する漠然とした不安でもあり、自分の中のあやふやさを突かれたようで、引きこまれたように読み進みました。
師もやはり、そうした悩みを抱えて寺の門を叩いた人物。
長いこと考え続けてきただけに、定義も明快でシビアなまでにシンプルです。
人間の限界に挑戦し、ワールドレコードを打ちたてた人物が抱える悩み。
でもそれは結局、広く人間だれもが持つ苦しみでもあります。
その生きる苦しみとどう向き合い、折り合いをつけていくべきか。
師の言葉が冴え渡ります。
師は「思想には仏教とその他しかない」と豪語していますが、思えば確かにその通り。
ほかの一神教とは、性質が違うものだということがわかってきました。
夢や希望は、人が生きる上で必要なものですが、それに縛られ過ぎる功罪も語られます。
そもそもは「自分はなぜ生まれてきたのか」という問いから全ては発しているという師。
その不安を強烈な力でぬぐい去ろうとするのが一神教で、曖昧なままにしているのが仏教。
その分、一神教には矛盾と幻想が伴います。
初めは、二人のデコボコな感じを面白く思っていましたが、すぐに真剣に読みふけるようになりました。
この、言葉にすることさえ難しい問題を、よく為末氏は南師に持ちかけられたと思います。
「夢や希望は必要ない」「生きるということに意味はない」という考えは、たしかに足元をすくわれるような危険性をはらんだものではありますが、逆に現実を認識し、踏み締められる実際性もあります。
人間はなぜ生きているのか。その根源の問いを模索しながらも、折り合いをつけて生きていくための考え方。
それは二人がめいめいに考え続けていることであり、人間だれもが抱えている疑問でもあります。
答えの出ない問いにつぶされそうになりながらも、考え続けていく人は「ある意味"業"が深い人だ」と南師は言いますが、そうやって考え続けることこそが、人の生き方なのか���しれません。
氏の座禅体験も書かれていましたが、何より二人の問答に圧倒されました。
もっとサラッと読み通せるものかと思いましたが、かなり踏み込んだ深い内容となっています。
南師が 「こんな会話、本にしちゃって良いんですか?僕は知りませんよ」と声を上げている通り、時には驚くような思想が堂々と語られたりしますが、最後まで二人が真摯に向きあい、言葉を尽くして語り合った内容が記されており、集中して読んでいたため、読後にはかなりの疲労感も味わいました。
私も、特に信仰心が強いわけではないながらも、宗教思想に引かれるのは、やはり一人の人間として、生まれてきたことへ根本の問いを抱えているからだと気がつき、腑に落ちました。
かなり読みがいのある内容で、時間をおいてまた読み返したいと思います。
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見返りを求めるのは「信じる」ではなく「取引」
裏切られてもいいから「信じる」
まず、信じる。
信じるという行為をするから
そこに立ちあがってくるものがある。
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2015年2冊目もホームラン。自分の感覚にハマる1冊でした。語る禅僧と走る哲学者の対談。
もともと南さんの作品は好きでしたが、為末さんの語る言葉も自己の内面に向かって正面からきっちりと切り込んでいて共感できました。さすが、twitterに人が集まるだけありますね。
スポーツを題材に、人が(もともと意味のない、と南さんはいう)自分の人生にあえて意味づけをしようとすることや、努力が必ずしも結果や評価に結びつかない現実のなかで努力した自分をどう自分で受け入れるかなど、興味深い話がたくさん。
対談ということもあり、まとまった思想を紹介するような内容ではないですが、内省的な発想を好む人には、多くの示唆を与えてくれる1冊と思います。
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走る哲学者と語る禅僧の堂々巡りの対談。
本文の中身でも言っているが二人とも結論を出すのが嫌なタイプ。
だからこそ対談の中身も語れば語るほどゴールに近づくというよりは離れていく。
ただそれがこの本の魅力なんでしょうね。
「言葉は常に言い損なう」は名言です。
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渡部暁人さんが出演してたテレビ番組で知って。
なるほどふむふむという部分もあれば、時々いきなりポーンと2人の対談に置いていかれたり、行ったり来たり。
たまにトップアスリートの口から出てくる「ゾーン」と座禅修行でなることがあるらしい状態は、通常の自意識のありようが、訓練された行為への感覚の集中によって、解体されてしまう事態...体験したことのない私は、なるほどと言ってしまいそうで、やっぱりわからない。
で、実際大事なのはその体験ではなく、それをどう語るか、ということであるという。
2019.2.20
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いろんな人が、南さんは面白いって言っていたので、Kindle Unlimitedで読んでみた。
対談本。しかも相手はアスリートの為末さん。出だしから、謎の意気投合なんだが、読んでいるうちにふたりの合致するポイントとちがってるポイントがお互いの会話の中で整理されていくのを見るのが面白い。
そして、印象で言うと、二人とも絶対友達少ないタイプだろうな。いい意味で。
調和を乱すんじゃなくて、調和自体の意義をぶっこわしていく感じがある。
為末さんのいう「ゾーン」を仏教的な「覚り」や「信心」に置き換えてみると、『「価値」なのだと思ってしまったら、それはもう別の者になってしまいますね』が結構しっくりくる。ところどころ、そういう違う事なんだけど、同じことだなみたいな話が絶妙にかみ合っていて面白い。
よくある文化人の啓発本にはなってない。
禅宗の僧侶の方だが、とても悩んでこの道に進まれたのが伝わってくる。でもこの「絶対友達少ないタイプ」っていう雰囲気も自分で握りしめたらだめですよっていうのもちょっと思った。